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わたしのすきな自然・いきもの・カメラ・絵

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むかしからひまがあると宇宙を空想して時間をすごす少年でした。ヒューとこがらしの冬にこたつでまどろみながらすごすのが無性にすきでした。その想いは年月を経たいまでも変わらない。その日…
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#画家

ポール・セザンヌがやろうとしたことのごくごく一端に接して

はじめに 中学生になりしばらくのあいだはポール・セザンヌの描く絵はよくわからなかった。まちがいなく油絵だけど、それまでの古い時代の画家の描く実物に忠実に描く絵とはちがうし、印象派のモネやルノワールたちとはちがうなと思っていた。 描く対象は身近な静物や風景、そして人物。なぜ「こんなふうに」描いているのかその意図がわからなかった。それらの絵にあじわいを感じるようになったのはずっとあとのこと。ごく最近といっていいかもしれない。 きょうはそんな話。 ひとあじちがう 印象派以降

アルフォンス・ミュシャ のように息づいているかのような人物を描けたら

(2004.1.1加筆) はじめに どの図柄にもためいきがでてしまう。しかも初見でもあっ、ミュシャだなと気づく。それだけ独自の世界。 さまざまなところで目にする。たしかに大きなポスターでみると迫力がある。堂々としていてバランスやなめらかな描線などまなびたいところばかり。 きょうはそんな話。 魅了されて 人物を描きはじめてさまざまな作家の作品を意識した。どんなふうに表現するのか。風景ばかり相手にして実際の人を描くとなると、とたんに目のまえの息づく人物を線であらわすことの

イギリスの画家コンスタブルのえがく風景のなかに湧き起こる追憶の想い

はじめに この画家にはじめて接したのは学生のころ。地方の図書館にありがちなほのかなふるい本から発する空気のなかで、ページを開いた。 ロマン主義の絵にありがちなどこかとりつくろったようすはかんじられず、ありのままというか素朴。よそよそしさをかんじない。そこにひかれてしばらく彼の絵をさがした時期があった。 きょうはそんな話。 絵をえがく一方で 大学の美術部のとびらをたたいて油絵に接した。もちろんいちばん安価な画材一式のはいったセット品をなけなしのてもちのなかからひねりだした

パウル・クレーの絵を模写してへやに額装すると日々いろいろと語りかけてくる

はじめに  模写はおもしろい。中学の美術で画家の特徴を実習で知ろうと企図しておこなう。先日も学習サポートにおとずれる生徒たちがやったと話していた。わたしも学生時代以降たびたび、そのときどきで興味の向く画家の絵を画集から選んで模写。 そのせかいにしばらくのあいだひたる。するとその絵のなかに画家が思い入れたものの片鱗がすこしだけ見えてくる。 きょうはそんな話。 画集をかりる  できてまもないちょっとわが家からはなれた公民館図書室。このあたりはこのところ開けて多くのヒトビ

鑑賞だけではもったいない 模写をとおしてその画家のタッチの特徴とともに構図や描く絵にこめられた背景を知れる

はじめに  模写はたのしい。画家の絵にはいずれもその個性がにじみでている。何人かの画家を模写するとそれぞれからあらたな視点をまなびとれる。 きょうはそんな話。 大学のころから  絵をさかんに描いていたころ。ふと同級生の女性から「これ、どう?」と差し出された一冊の画集。 ふと、いわさきちひろの絵に目がとまり、その数日のちにクラスメートの彼女にその話をした。「いいよね。」「うん、たしかに。」おなじ興味のヒトが身近にいるといい。 おぼえてくれていたのだろう。絵にしたしむ

はるかむかしの生命誕生からずっとさきの未来までをかんじられるジョアン・ミロの絵画

はじめに  中学のころだったかな。おそらくいまごろの時季。新学期に配られたばかりのインクのにおいのするまっさらな美術のテキスト。パラパラとめくるとおもしろいさし絵。変わったデザインを描く画家がいるなあとしばらく目がはなれない。 図書室で画集を探しあてる。それ以来、彼の絵にはいまもって惹かれる。興味のつきない画家のひとり。 きょうはそんな話。 絵への興味  世のなかには見たとおりでない絵を描く画家がいる。中学のころにそう思った。新聞の日曜版の大きな画面で毎週ひとりずつ