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しごとにまつわる問題

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ヒトと出会ってはたらいて、それにともなうあれこれ。こころに浮かんだり、前むきに行動するきっかけだったり。つらつら記します。
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2022年9月の記事一覧

これからは大学入試共通テスト数学の長い問題文で、数学と同時に国語の読解力をつけられそう

はじめに  今春の大学入学共通テストの数学の問題、とても文章が長かった。平均点がたいへん低く世間をにぎわせた。すでにこの学年の生徒たちは小学校以来、テストの問題が長いことは経験済み。解けるかどうかはべつとして。 わが学習サポートでは以前からやってきたことなのでむしろ福音ととらえている。その影響というわけでもないが、ここではこんな教え方も。 国語の学習で  現代国語の学習は読書をふくめて時間をつかいがち。すると英語や数学にしわよせがいく。わたしが主宰する学習サポートでは

このクニにおいて日本語で先端分野まで学べる環境をいつまで維持できるだろう

はじめに  学生時代まではなにも意識せず専攻した分野の教科書をつかってきた。小学校から大学院まで。そのさきには専門書。ここまでいっきに読みすすめられる。わたしたちの自国の言語で専門分野を学べるそれほど多くないクニのひとつ。 基本的にこのクニで著された書物。それがあたりまえでなにも意識せず学べる。立場が変わり、書物や論文を執筆する立場になり、一言一句のことばの重みを感じずにはいられなくなった。 ひとこと書きすすめるたびにその情報のでどころがすべてあきらかでないとならないと

1年前からのさらなるふりかえり「昨今の事象をきっかけにこれまでの価値観を見直すこと」

はじめに  note記事としてタイトル「 」内の題名で記したのは2021年8月15日 09:25 のこと。そのふりかえり手記を記事Aとしよう。かれこれ1年前。それから状況がすこしずつ変化した。 鈍感なわたしでもすこしはまなんでわずかばかり身についたこともある。ふりかえりのふりかえり。記事Aとの対比で記したい。 記事Aの時期とくらべて  記事Aの一部を参照しよう。➡にきょう時点でのコメント。 ➡彼の病にひきつづき、ことしは世界をまきこんだ「あの争い」が起こり、いまも終

なかまうちでの役まわりはメンバーの気づかいのおかげでおのずときまるものか

はじめに  ながく生きてくるとざまざまな集団のなかですごす。するとそのなかでじぶんのふるまいから、立ち位置というか、どんな役まわりとなるのか、何を期待されているのかおのずとおたがいにわかってくる。そのようすについて。 部活のなかまと  まだあいまい模糊としていたままの中学より、高校ではなかまとよりふかくつきあう。部活(卓球部)もそう。さほど広くない体育館をバレー、バスケ、体操、バトミントンとわけあってつかうので、いずれの部も男女いっしょに練習した。 練習は準備運動と筋

あたまのなかで「雑用」とわたしのみなす作業のいずれもがヒトと関わり自分の主張をとおすことだと気づいた

はじめに  noteに記事を書く行動は自己をみつめるには好適。これまでおもてに出てこないように押しこめていたものを文をつらねる作業をつうじて気づかせてくれる。 まさにきのうのnote記事をふりかえりつつひとつ気づいた。みずからの記事中の「雑用」と表記していた言葉のねっこのところをつかまえた気がする。 きのうのnote記事から  なんだそんなこと、と思われるかもしれない。この年齢になってこんなことに気づくなんて。 下線をつけた「雑用」という言葉。べつにそのしごとを卑下

連休の功罪 わが身の心身のバランスとしごととの関係で祝日を休日にくっつけることの意義を考えた

はじめに  いつも連休中に思うこと。祝日を本来の日にちでなく、寄せてしまう制度はなんのためにあるのだろう。もともとは連休を拡大させて余暇の時間をつくり、大いに休日に消費にはげんでください、人生をしごと以外でも謳歌してくださいということだったような。 すでに世間では土日などの週休2日がほぼ成立している(一部はそうでないが)。わたし個人としてはむしろ週のなかばに休日をほしい。 はたらきかたのアンバランスで前職を辞した半生をふりかえりつつ、その理由を記す。 祝日とは 国民

高校化学の半分を独学でまなび、生物化学を専攻してバイオ分野の博士になるまで

はじめに  ひょんなことで独学で学んだ分野を生業とした。こんな人生もある。迷いに迷って決めた進路が化学。生物にしようか化学にしようかと高3の夏までさきのばしにした結果の選択だった。 その経緯に関して。 小学校では  小学校で理科に興味を示した状況に関してはべつの記事にした。 すでにちょっとハスにかまえて世の中をみがちなこどもだった。虫とりをするにしても多くのこどもたちはうごきまわりたい。たまたまその日は虫とり、飽きるとあすは三角ベースとそとでおもいっきり動ければいい

気のせいか、ひさしぶりのこのクニの首都に元気を感じなかった

はじめに 3年前の昨今の状況の起こる前の東京について。そのとき感じた印象をすなおに記す。あくまでも先入観のある主観にすぎず、悪気はないので東京の方々、気を悪くしないでお読みいただきたい。 十数年ぶりに仕事で上京。依頼先から「旅費は出すが日帰りでお願いします、宿泊はなしで。」とのこと。しごとをふくめて17時間半の行程だが、しかたなく受けた。 10時過ぎに到着。「あれっ、地下鉄も地上も十数年まえよりかなり古くないか?」が第一印象。もちろん目のとどかないところでさまがわりしたの

ひさしぶりに接した黄金色の日の出とヒトの活動のようすにしみじみほっとした

はじめに きのうの話。このところ週3で研究パートに車で通勤。朝5時に起きて家族と自分の弁当をつくり出勤。 あっ、そうだ、ガソリン入れないと。来週値上がりするってニュースが言ってたし。走りはじめて燃料メーターに目が行き、めずらしく機転がきいた。 ほのかなあかるさ 話はいきなりかわり本業のほうから。このところ陽が短くなっていくのがよくわかる。わたしの主宰する学習サポートの高校生の終了時刻あたりで日が暮れるようになってきたから。保護者の方々の送迎が気になりはじめる。 あかるい

歴史に残るであろう昨今の状況のもとで このところヒトの顔をなかなかおぼえられない

はじめに  昨今の状況のもとでさまざまな経験をしてきた。かぞえあげるときりがない。なかでも出会うヒトに対する認識と記憶がうまくできない。その原因を考えてみた。 昨今の状況の影響  あきらかにヒトに出会う機会が減っている。交換した名刺の数とメールアドレス。この3年間はその前の3年間とくらべて圧倒的にすくない。もちろんおたがいに連絡をとりあう手段にちがいがあるだろう。くらべること自体に意味がないかもしれない。副業のしごとも変えた。 それにしてもヒトに出会わないとなんにもは