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note九発目。JinHASHIMOTO

さてさて、いよいよ九発目。リフトオフのカウントダウンが近づいて参りました。

発射後は一体どうなるのか!? と言ったところで、とくに楽しみなことは何もなく、少し人様に読まれることを考えながらきちんとした内容を記していきたいなぁ、と考えているところです。

さて、皆さんはルドルフ・シュタイナーという人をご存知でしょうか。
知っている人は知っていて、知らない人は知らない、と当たり前のことを言ってみますが、知っている人の中ではさらに熱狂的な信者のような人もいれば、神秘主義、オカルト、気持ち悪いなどという抽象的な罵詈雑言が聞こえてくるような、そんな感じの人物です。

ここで、そろそろ神格化されそうなABEを思い出しましたが、それとは全く正反対に位置するような人物でしょう。笑
繰り返しますが、「かわいそう」とか言って支持率が急上昇する民度に私はほとほとがっかりしています。

さて、シュタイナーの話に戻ります。シュタイナーは教育や農業や自己啓発など非常に多岐にわたるメソッドを残している人です。
彼は内的な思考性を重要視していますが、それは決して内向的な構えのことではなく、外界においての有効な対処のための思考性です。つまり、有効な対処のための基部を作る営みとして内的思考性の重要性を説いているのです。

シュタイナーの面白いところは、猿からの人間への進化や宇宙への科学的アプローチなどを、科学的見地を十分に有しているのにもかかわらず否定するところです。そこにあるはずの目には見えない諸力にこそピントを合わせている人なのです。

彼は人の営みの浅はかさや存在の小ささに気づいた哲人であり、科学的な視座を持ちながら定義付け不可能な本質をあくまでも感じることしかできない、「我々という覚束なさ」を謙虚さで表した人だと言えるでしょう。
無論のことその謙虚さは著書の文体や発言や態度などという小さな世界ではなく、地球や宇宙への謙虚さということです。

いきなりですが、ブータンの幸福度について考えてみましょう。
それは一重に宗教の成すものとも言えるでしょう。私は日本人は宗教をやるべきであると常々考えてきました。なぜなら武士道という家庭の教育は失われ、まぁ、それも武士という特権階級のもので日本人の規範には寄与していないと言われればそうなのですが、ではそれならばと思うのは、戦前の教育には修養がありましたね。

修養とは知識をたくさん会得するだけでなく挨拶や躾を身につけることで、国の根幹を成すエリートの教養教育以前の普遍的教育でした。
日本の教育はそうしたところから人が社会を形成する上で最低限必要な倫理道徳を学び行動規範、精神規範を作り上げてきましたが、戦後は江戸時代以前から続く「お上」が崩壊して米国への憧憬と羨望だけが日本人のお上にすげ変わったため、規範が失われ、「あぁなりたい」「こうしたい」という欲求だけが行動原理になってしまいました。
ちなみに新自由主義とは名前はとても先進的でカッコいいものですが、私はただの欲求の行動原理を肯定するための呼び名としか捉えていません。

新自由主義が出てきたところでやはり社会問題として外せないのが少子高齢化でしょう。
少子高齢化の問題点は政治が何も有効な手立てを打たずあまつさえ市民側のわがままであると結論づけた無知蒙昧さであると考えていますが、最近はそれを言ってもしょうがないとも思っています。例えば少子化を市民の我儘と言いのけた自民党二階幹事長の脳を変えようとしたところで変わるわけもないでしょう。

つまり金持ちで傲慢な人はその身を置く環境ゆえに不幸であると私は思います。人はいくらでも変わることができますが、環境次第でそのハードルの高さは変わるのです。満ち足りすぎていれば自分自身を見つめ直す機会も失われ、変化を目指す動機も起こらず、自己変革という世界が変わる楽しみをもしかしたら死ぬまで享受できないかもしれません。

私は少子高齢化を包括する社会機構にはもちろん多様な問題があると考えていますが、それよりも、自身のパートナーさえ感覚的に選べなくなっているほど野性が退化した部分に着目しています。
だいぶ回り道をしてきましたが、その野性や感覚を磨くためのメソッドがシュタイナーの言にはあるのだということが言いたかったのです。

しかし何も私はシュタイナー信奉者ではありません。そのメソッドは私たちの社会機構の中に既に組み込まれているはずであると考えます。
つまり、その内的思考性と精神規範、行動規範の道標となるのが宗教です。

宗教とは人間が集団を形成し社会生活を営む上で必然的な世界設定のことを指します。仏画や曼荼羅図はその世界設計の設計図です。ただ、宗教の誤算は人が異なる世界設計の持ち主と出会った時にその世界認識の差から驚くほど短絡的で粗暴な感情が噴出するということでした。

宗教戦争がいつまでたっても無くならないように、現在においても尚その部分を攻略するための有効な試みはまだ行われていないように思われます。日本においてはむしろ、民族主義と相まって極めて危険な内向性を顕わし始めているのではないでしょうか。

本来、民主主義が健全に機能する集団規模は文化や言語、風俗への共感ができる範囲に準ずるもので、日本で言えば本来の村程度の規模だったのではないかと思います。
小集団ごとの自治を認めつつ経済の流動性を確保し、テクノロジーで言語翻訳を飛躍的に伸ばし、民族間におけるコミュニケーションに多様性を生み、一切の領土侵略、武力衝突を認めない国際法を作ることで、我々はもう少し平和で楽しい世界が構築できるのではないでしょうか。
ちなみにこれは持論ですが、平和には楽しさが必要で、楽しさとは全てに対する共感よりも、異なる感覚に触れた時に得られるものであると考えています。

つまり、多様性を現実社会へ落とし込むには小集団自治と経済の流動性保持と集団相互における不可侵の絶対条約が必要であると考えます。しかし、そんな大変なことではなくもっと現実的にいうならば、人と人との約束事をきちんと作ることなのではないでしょうか。
やたら国際関係を難しく考えるから武力を持って警戒しなければならなくなるのであって、「我々はより善き人間粒ではなかったか」(ハンス・アルプ)と思えば、警戒よりもなんとか「愛と平和と環境保全」に尽力したいと臨むのが人の道であると私は固く信じています。

さて、ブータンではこのような言葉がたくさんあります。「生き物は誰かの生まれ変わり」「自分は今のままでも十分幸せ,だから周りの人にも幸せが訪れますように」「ブータン全部がトイレ」「人間死ぬときは死ぬんだよ」「死後の世界にお金は持っていけません」これらの言葉に共通して見えるのは大きな循環の中に個々が在るという宇宙観ではないでしょうか。

それは極小の微生物界から我々人体はもちろんのこと、イームズのPowers of Tenに循環的世界観がプラスされたイメージでしょうか。
死ぬ時のお金については面白いですね。中華圏では必死にお金に見立てた黄色い紙を燃やし死後の世界へ送り届けることで霊界貯金をしています。

少子化の問題に戻りますが、最近ではマッチングサービスがだいぶ一般的になってきたようです。しかし広告で見るほどうまくいっているような話は聞きません。むしろマークシート化された人間の価値感覚でマッチングしようとするからうまくいかないのではないでしょうか。
マークシートでは現状の所得、将来性、外見が先に見えてからようやく実際に会って相手のスピリットに触れることになります。それは本来我々が持っているコミュニケーションにおいては全く逆のプロセスです。

一つ良い例として古い言葉を紹介します。アイヌ語では挨拶に「イランカラプテ」と言います。昼も夜も一緒です。
イランカラプテは「あなたの魂にそっと触れさせてください」という意味です。
このフィーリングを失うと、対人感覚が上記のように温度を失い悲しいマークシート感覚に陥ることになるのだと私は思います。

結局は出会った時に惹かれうる素敵な人や面白い人というのは人格の話になるのではないでしょうか。
ブータン国王はあるスピーチの中で「人格は経験を食べて成長する」というようなお話をされましたが、ビスマルクは「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」といいました。

一見して言葉の上では相反することのようにも思えますが、私は親和性のある対立項であると見るべきだと思います。
両方とも、向いている方向は一緒の言葉のように感じられるからです。

要するに、ここには「人間の内的成長」についてが記されているのであって、それは一重に一人一人の人生がより豊かなものになるようにという願いが込められた言葉なのではないでしょうか。言い方が違うだけで、方法は違えど着地点は同じことだと思うのです。

さて、久々の投稿でなんだかグダグダと吐き出させていただきましたが、これもインターネットの為せる技かと存じます。
一人で日記のように書いて満足しておけば良いものを、なぜもこんなに人様の目に晒すのかと言えば、それはアートというものが日本ではまだまだ製造業と混同されていると感じるからです。

アートとは何か生活に役立つモノとして作品を作り売買する単純な営みではありません。
一人のアーティストが歴史上のある一点に偶然誕生し、その生涯を懸けて自身を包括する現実と遮二無二取っ組み合った結果が作品なのです。

故にアーティストは悩み続けます。そしてその都度小さな結果を残しては自己検証しまた新たな問題提起のもと結果を出し検証し..と繰り返し生きながらその生を閉じるのです。
何かに達することができるのか否かは分かりませんが、アーティストはただ漠然とした「正しさ」のようなものを求め作り続けていく人間なのだと私は思います。


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Instagram: jin_777

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