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豊岡演劇祭2022に行ったよ

どうも、じんです。
2022/9/22~23の一泊二日で兵庫県豊岡市にいってきました。旅日記のようなものを書きます。

私が豊岡に行った理由

私は外向的なタイプではないので、旅行とかはあまりしない。観光旅行は数年ぶりという感じだったが、出不精の私が(特に有名な観光地でもない)豊岡まで出かけていったのは理由がある。

豊岡演劇祭2022

私が豊岡に行った理由の一つは、豊岡演劇祭だ。

豊岡演劇祭に、知念大地がメンバーとなっている「しんしんし」が出るということで、しんしんしの活動理念に注目していた、知念大地を生で見たことのない私は豊岡に行く理由ができたと思った。

↑ピアノマン。(公式で上げている動画は赤い風船を用いたものは無かったのが残念)

↑踊り。知念大地と踊りについて、「こうきょう舞までの足あと」も参照。

また、日程が近い「架空カンパニーあしもと」も、過去に文を寄せているにもかかわらず、私は生で見たことがなく、見に行くことにした。

地域や日程が都合よければ、青年団『銀河鉄道の夜』、ポシロ舎『物の間違った使い方』、鈴木仁『幻夏 その夕暮れ』なども見たかったが、今回は断念。特にポシロ舎は(私の定義では)ジャグリングを面白い切り口でやっているので、今後もチェックしていく。


芸術文化観光専門職大学

私が豊岡に行った理由のもう一つは、芸術文化観光専門職大学だ。

2021年4月に開学した、この大学(私は「豊岡大学」と呼んでいる)は、豊岡演劇祭2022の総ディレクターを務める平田オリザ氏が学長を務めている。
私は大阪大学にいた時に平田オリザ氏の講義を受けたことがあり、開学前から注目していた。世間的にも、演劇を学べる唯一の公立の大学(専門職大学だが)ということで話題になっていたと思う。

もっとも、結局、今回の旅では大学内には入れなかった。

旅の記録

写真を混ぜつつ、旅程を書いていく。

2022/9/22(木)

家を出た時間が中途半端で、特急しまかぜじゃなく、電車を乗り継ぎ、17:30頃に豊岡駅に着いた。JR播但線とか初めて乗ったよ。キャリーケースを連れた観光客以外は学生(高校生?)が乗っていた。

豊岡駅。駅構内にも演劇祭のポスターが貼ってあった。
彼岸花。宿は豊岡大学のすぐ近くだった。

22日の宿(@ふじい旅館さん)へ着き、20時からのしんしんしを観る前に夕ご飯を求めてうろつく。

うな幸にて。うまきが美味しかった。
駅と市役所を繋ぐメインの通り。
市役所前の旧市役所(稽古堂)。

しんしんし「しんのいし」

しんしんし「しんのいし」。22日は最終日(3日目)だった。

踊るスペースには、砂利や石が置かれていた。

この日のしんしんし「しんのいし」の評については、しんしんしの活動思想へのアンサーと共にまた文を書くつもり。
詳細はそちらに譲るが、内容はこの回だけだろうというもので、これは怒るか笑うかのどちらかをすべきだろうと思い、私はニヤついていた。これは私の感想だが、知念大地の踊りは見れなかったが、大道芸を見た気分だった。この日に来て良かったと強く思った。あと、しんしんしには強く批評を書こうと思った。

市役所前の白ポスト。「青少年に有害な本はこのポストへ!」と書いてある。
この町でもあるのか、とウケる。

宿に戻り、しんしんし評のメモを書き留めてから、知念大地が使っていた曲、友部正人「絵葉書」を聴いて眠る。

2022/9/23(金・祝)

台風が発生するとかで、雨が心配だったが、チェックアウトの午前10時時点では曇りだった。

芸術文化観光専門職大学。隣には学生寮があった(一年生は原則全寮制らしい)。

宿のすぐ近くの芸術文化観光専門職大学に向かったが、私の下調べが悪く、土日祝は学外利用者は入れないとのこと。演劇祭スタッフの人(学生?)は出入りしていたため、駄目元で守衛さんに聞いてみたが申し訳なさそうに断られた。図書館で本棚のラインナップを見たかったのだが、残念。

架空カンパニーあしもとは夜のストリートということで、暇になってしまった。私にとって旅は歩くことなので、とにかく散歩した。
(参照:私が旅について考えること
https://twitter.com/jin00_Seiron/status/1041783231098417152
https://twitter.com/jin00_Seiron/status/1184476755198787585
https://twitter.com/jin00_Seiron/status/1193541758853890048

流行りの店名が奇抜なパン屋(「いつかの馬鹿ップル」)と隣のタピオカ屋。閉店してる?
水路
幹に洞
ポストに落書き。これが「ポスト・グラフィティ」ってか。
パトカーが写り込む一枚。
公衆トイレと公衆電話。
入口に掲げる看板、攻めすぎだろ。


豊岡小学校前のモニュメント。正しすぎる。
豊岡法務合同庁舎。この二択よ。
中央公園(であい)。ここから中央公園(いこい)まで歩いた。
公園のそばにSLが展示されている。
「SL公園ローカルスケーター」という名書きがいいね。ちゃんと文化が根付いてる感じがする。

他に散歩中に行った場所としては、
・駅前のAity(4階にフードコートとか座れるスペースあったので)
・コープデイズ豊岡(2階の喜久屋書店にいた)
・TSUTAYA AVIX豊岡店(古本のラインナップを見ていた。その地域の文化資本の雰囲気が分かるので)
ヒグラシコーヒー 駅通本店(店名が好きでふらっと入ったが、日暮らしではなく蜩だった。歴史あるお店らしい)
本と暮らしのあるところ だいかい文庫(私設のシェア型図書館/本屋。ここは特に今回の旅で行って良かった所だった。別途後述する)
・ナウミプリン(洋菓子店。プリンを買ったが、ワッフルやシュークリームもある)

・散歩中に見つけた「あしもと」


架空カンパニーあしもと「ゆらぐ」

私は、「ゆらぐ」は一度動画で見たことがあるのだが、生で見るのは初めて。23日の18:30-の回(全日程通しての初回)を見た。

路上を一部通行止めにしてスペースをつくっていた。
会場には飲食等の出店がいくつか、時間と場所をずらしてパフォーマーがいくつか、という感じ。

基本的には前に書いた「架空カンパニーあしもとについて」と変わらない。
生で見て、たつる氏の視線が靴の上方(透明人間)にきちんと向けられていることの良さや、また、透明人間に触れるときの頼りなさ(嘘っぽさ)も感じられた。
トスが始まったあたりで、良さが高まってきて、グルグルと回る所とか良かったし。いくつか変更部分もあったのかな。

ただ、室内でなく野外(まさに道路上)である点と、呼び込みから始まるストリートであるという点、つまり「場」が変わったことにより、私の内容の受け取り方に違いがあったことは気になった。

名乗りと導入
たつる氏の初めの名乗りで、『オブジェクトシアター・パフォーマンス』という語を出していて(まあ伝わらんだろ)、『10分程度の変な演劇を…』みたいなことも言っていたが、たつる氏がパフォーマーとしても変な立ち位置にいる(一応公式サイトでは「ジャグラー」表記になっているが)ことや、
また、初めの喋りで、靴について話していたが(『靴が好きなんですよね』『考えてみてください、…』(『想像してみてください』だったか?))、「靴が好き」というフレーズから出てくる作品としても、観客が靴という引っかかりから入っていくにも、ちょっと難しかったと思う。

今回のイベントは感染症対策で参加者に検温と手指消毒をさせていて(「ご協力にお願い」していて)、ストリートであったものの「パフォーマンス見るなら検温と消毒していけ、通り過ぎるなら通行はあっちの道に迂回しろ、」といった雰囲気で、通行人が通りがかって立ち止まったりできるような場ではなかった。その一方で、エリア内では同時に複数箇所でパフォーマンスをしていて、場にいる皆がそのパフォーマンスを見るという感じでもなかった(各々が近くに呼び込む必要があった)。

観客は、すれ違い出会うような形でもなく、がっつりあなたのパフォーマンスを観に来ましたという感じでもなく、まさかこんな形で架空カンパニーあしもとのステートメントが聞けるとは思わなかったが、言葉の基盤が弱いな、というのは感じた。(ということは私の仕事だ!
たつる氏は、氏と物の(氏と透明人間の)コミュニケーションを、観客はどういう立ち位置で見ているべきなんでしたっけ?という問いに何と答えるのだろうか。(これは知念大地を見ているときにも感じたことだが、私はこの知念大地の態度(踊り)にどのように向かい合うべき/どのように居合わせるべきなのか、ということがはっきりしなかった。)
①たつる氏と観客、②たつる氏と物、③観客と物、この関係性の三者がどのような形であることが、架空カンパニーあしもとの鑑賞の環境として適切なのだろうか。

私ならなんて言うだろうか。③観客と靴の関係性を変革させるようなことを言うかもしれない。
①たつる氏と観客については、パフォーマンス・演劇を見るということでいい(メタだが)。②たつる氏と物については、靴が好き/関心があるということでいい(不十分だが)。
③観客と物について。この関係性を、作品を観る前と後で変化させるような効果を持つのが「ゆらぐ」という作品だと私は考える。だから、その導入をすべきなのではないか。靴について考えさせる投げかけという意味では、たつる氏のやった『考えてみてください、…』も方針としては適切か。

私は、だいかい文庫で「put yourself in someone's shoes」という言い回しと出会って、そのことについて考えていた。

誰かの靴を履くことが、その人に共感できる手段であるとしたら。そして、実際に誰かの靴を履いたことがある人間がこの世にどれだけいるだろう。いわんや、透明人間に自分の靴を履かせた(明け渡した)ことのある人間は。
いや、そもそも幽霊は靴を履かない(足が無いので)。だとすれば、私は幽霊と永遠に共感することはできないはずだ。
たつる氏が目の前でやっていることは何だろう。透明人間とのコミュニケーションという、不可能性の実践

「皆さん、誰かの靴を履いたことはありますか? 誰かに自分の靴を貸したことは?」「幽霊は靴を履くと思いますか?履くとしたら、どこに行くのでしょう?」「あなたの靴を幽霊に貸したとき、幽霊はその靴でどこに行くのでしょう?」
「そして、あなたは、(裸足で、どこへ?)」

私ならなんて言うだろう?

路上という場所
ラストシーン、たつる氏は靴を脱いでから、この場に一秒もいたくないとばかりに一直線に走り出してしまった。
やはり最後のシーンの解釈は難しいが、靴を履かずに路上にいるという点では、真っ先に(浮浪者や、事件性を疑わせる)”普通ではない”存在にたつる氏がなってしまったという解釈が今回の場だと生じる。
前回、私がラストシーンで残された靴を見ていたことと対照的に、今回は、私はたつる氏の行く先を追ってしまった。(「場所」というのは架空カンパニーあしもとにとってもキー概念だろうと思うが、この「ゆらぐ」という作品は、演じる場所がどこかということが作品の解釈上も重要だということが明らかになった。)
ここに居られないから走り去って、そして、行くべき先はあるのだろうか?人が靴を履かないのは、普通、家/HOMEの中だけだ。たつる氏には帰るHOMEがあるのだろうか、と。
もう少し社会的なことを言うなら、靴を履いていない者に居場所はあるのか?(ここで、前日の知念大地が靴を履いていなかった(テーピングのみ)ことを想起すると、より話が深くなる。ダンサー/アーティストの社会的居場所の話。)


本と暮らしのあるところ だいかい文庫

今回訪れた「だいかい文庫」という場所を紹介したい。
グーグルマップで見つけた時点でヤバい(褒めてる)ところだと思ったが、行ってみて、やはりヤバいところだったと思った。

まず、図書館を有志(私設)でやってるというのがヤバい。
図書館といっても、棚の一区画を棚オーナーに有料で貸し出し、自分の本棚をつくってもらうとのこと。名刺とかを置いている人もいた。
貸出システムは、「リブライズ」というものを使っているらしい。

貸出の本棚区画の他に、購入できる本棚の区画もあって、また、ドリンクも売ってるので座れる椅子もあった。
本の品揃えは、アート、ケア、コミュニティ、とふむふむ納得の取り揃え。(ある意味では偏っているともいえるが。)例えば、平田オリザ『新しい広場をつくる』、ケア・コレクティヴ『ケア宣言:相互依存の政治へ』、岸政彦『東京の生活史』、但馬(たじま)地域の女性有志で発行している小冊子『弁当と傘』、絵本や詩も少ないが貸出しの棚にいくつかあったし、プペルもあった。

もう一つ、相談室というか、カウンセリング?をやっているのがヤバい。
母体の「一般社団法人ケアと暮らしの編集社」のメンバーをみると、医者や理学療法士などが参加している模様。
「社会的処方」の拠点でもある、と。実際、私が訪れた時間にも一人、お話に来られた方がいた。

『暮らしとの接点を考えて、悩みを共有するダイアローグをしたり、医療福祉専門職が孤独や健康の相談にのる居場所の相談所を開いたりしています。興味のある方は、スタッフに一声かけてください。』

https://carekura.com/daikaibunko

おいおい、「先進的」を体現しているんか、ここは。
財務状況気になるな。

豊岡における平田オリザ氏の取り組み(大学の開学や、豊岡演劇祭)が、街づくり・社会づくりとつながっているのだ、という思想の含みが、この図書館/本屋に表れている感じがした。
私は散歩中に小学校や中学校、高校を通り過ぎたが、ここで育った子供はどんな風になるだろうと思った。


持ち帰ってきたもの

架空カンパニーあしもとを見てからすぐに駅へ向かい、また電車を乗り継いで帰った。23日の夜遅くに帰宅。
今回の旅での戦利品は以下の通り。

本・漫画
・弁当と傘 第2号「外へ出よう」、第5号「あしたどこいこ」
(第5号はアンケート特集で、雨の日に子供を連れていく但馬地域のスポットのアンケート集計とかが載っている。こういう実践の実績をそろえておくのは非常に重要。)

・小川洋子『物語の役割』
・鯨庭『千の夏と夢』
・西村ツチカ『北極百貨店のコンシェルジュさん1』

出会った
・友部正人「絵葉書」

解除した実績
・しんしんし/知念大地を生で見たこと
・架空カンパニーあしもと/たつる氏を生で見たこと
・豊岡のまちに少し詳しくなったこと


だいかい文庫で買った、小川洋子『物語の役割』から以下引用する。

『レイモンド・カーヴァ―は「書くことについて」(『ファイアズ(炎)収録』)というエッセイの中で、
「作家にはトリックも仕掛けも必要ではない。それどころか、作家になるには、とびっきり頭の切れる人間である必要もないのだ。たとえそれが阿呆のように見えるとしても、作家というものはときにはぼうっと立ちすくんで何かに――それは夕日かもしれないし、あるいは古靴かもしれない――見とれることができるようでなくてはならないのだ。頭を空っぽにして、純粋な驚きに打たれて」
この一文に出会った時、私は子供の頃読書から得た、二つの矛盾しながら共存する思いを蘇らせました。ぼうっと立ちすくんで、夕日や古靴を眺める。それはまさに自分が世界の一部分であることの確認です。そして、純粋な驚きに打たれる時、私はその驚きを自分だけに特別に授けられた宝物として受け取ります。そうして、そこから小説を書くのです。』p119-120

小川洋子『物語の役割』筑摩書房・ちくまプリマー新書(2007)

いい旅だった。
この豊岡での旅行経験も私の自論・創作に活かされることでしょう。

じんでした。今回出会い損ねた人やものも、またどこかで。

Twitter @jin00_Seiron


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