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「人間関係が100%こちらの責任である」を立ててみた経過報告

こんばんは。挿絵のSachiaです。私という存在のありようは、結果ではなく、原因である、と考えると、全部ではありませんが、上手くいくケースは多い、ということについて書いてみます。

伯母が老齢で目が悪くなって、日常生活に、やや困難が見られるようになりました。
父が、伯母の「手術したくない」「もう死ぬのに目が良くなっても仕方ない」という発言を聞いて父は「そういうなら仕方ない」「やる気ださせることはできない」と愚痴めいたことを言っていました。

私に任せてとは言わないのですが、何となく任せられてみました。

伯母の受けるかどうか悩んでいるのは、白内障の手術なのですが、そのために目の近くのイボを取り除く手術を勧められていました。

診察当日「手術するの怖い?」と伯母に聞くと、
切ってから、同じものがまた出てきたり、悪くなって何度も手術するとすれば、嫌だ、ということらしいです。

切ったらもう一回切りで、すんなり終わると思うよ、と言ったら、じゃあやってみよう、行くなら早く行こう、となって、3人でタクシーで、病院に行きました。

タクシーの中で、あまり明るい話も思いつかず、何だか情けない気分ではいたのですが、診察が終わり帰ってきました。

父が初めて「お前はすごい」と言いました。
私がこうだこうだと、色々言っても、そんなことは無意味だ、という傾向が父にはあったのですが、私のやることに意味があると言ったのは、生まれて初めてではないでしょうか。

ちょっと嬉しいので、書いてみました。
やったことは、あんまり高度なことでもないです。
伯母が決断した、ということで、私は無力でもあります。

ただ、父の私に対する不信を、父が原因ではなくて、私が原因と見ることが、ちょっとできたんではないですかね。

追記

父の承認を得るかどうか、がこの頃の私の大問題になっている様子が伺われて、少し視野狭窄が起こっているな、と思われます。




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