彦根にかつて金城館という映画館がありました。
団鬼六の生誕地は滋賀県彦根でありまして、
先日出張のついでもあって、何十年かぶりにその地を訪ねてみました。
前回父が存命のころ連れてこられたときは実家の足跡など
さして興味もなく、
言われるがままに彦根城や琵琶湖など観光をしていただけでしたが、
今回は父が幼少期に過ごした地はいったいどのような雰囲気なのだろうと、
半ば探検の心持で訪れたわけであります。
父が生まれたとき(昭和6年)は金城館という映画館が
この地にあって、
私の曽祖父にあたる人間がこれを経営していた。
彼が映画館の指図を行っていた時分は
金城館は極めて順調な経営を行っていたようでありますが、
その義理の息子である私の祖父
(義理、なのはいろいろあって祖父と曽祖父は血がつながっていない。実母である曾祖母はこの曽祖父と駆け落ちしたという経緯)が
経営をゆだねられるようになると途端に人が入らなくなったというのです。
祖父はそんな曽祖父と折り合いが悪く、半ば決裂し、
自分は相場師として生計を立てていくと決意したそうです。
とはいえ買えば下がる、売れば上がる、の
全くうだつの上がらぬ相場師であったと私も記憶しております。
鬼六はこの祖父から常に、
「小説家などやめて、相場師になれ」
「人生は甘くない、などと考えるな。甘いものと思え」
と訳の分からぬ薫陶を受け続け、
精神の核に危険極まりない賭博的思考を植え付けられてしまった。
小説さえ書いていればよいものを、やれ小豆相場だ、
出版事業だのに手を出し、
最後はほぼ無一文になるまで身を落としたわけです。
この時期の彦根は湖の風と、彦根独特の盆地気候のせいなのか、
すこぶる寒い。関東の冷え方とまるで違った底冷えの気候です。
生前父とその場所を訪れたという筆者の妹から情報得つつも
彼女の記憶も曖昧模糊としている。
かつて金城館のあったであろう場所を目指すものの寒さも手伝って
探索の歩調もだんだん鈍くなってきてしまう。
現在は何の変哲もない駐車場になっておるとの話を聞き、
恐らくこの辺りではないかと目星を付けたのが写真の数か所。
役場などできちんと情報を得ておけばわかったのだろうけど、
そのような時間も取れずじまいだったのが少し悔やまれます。
(どなたか正確な場所がわかればお教えください・笑)
わかってはいたものの、当時をしのぶ面影は何も残っておりませんでした。
訪れたのは土曜のお昼前でしたが周囲はなんとも閑散としており、
映画館があった当時のほうが
よほど活気のある街だったのではないかと推測したりします。
幼かった鬼六は自分の実家である映画館で
数々の作品を目に焼き付けながら、
その後の創作の底辺を引き描いたのだ考えられます。
ただし実際の自分の創作は
ピンク映画として世に出ることが多かったけれど。
かつてこの場所で団鬼六が子供の姿で、生きていた。
その違和感と不可思議さを感じながら、想像をめぐらす。
すると自然と笑いがこみあげてくるのです。
そういえばあの親父、
最後まで子供なのか大人なのか分からない人間だったなあと。
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