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【抜粋紹介】飛騨高山の宮大工 祭り屋台に匠の技を生かす /「日本の原点シリーズ 木の文化②檜」より

高級建材として名高い檜。耐久性が高く、湿気にも強いので古くから寺社仏閣・住宅建築で重用されてきました。建物のほかに、神輿のやぐらや山車も、檜に漆を塗ってつくられることが多いそうです。

日本三大美祭のひとつに数えられる春の高山祭は、地元の市民にも愛されている伝統行事。さらに「高山祭の屋台行事」は、ユネスコ無形文化遺産にも登録されています。その祭りの屋台づくりに関った方の話として、書籍『日本の原点シリーズ 木の文化②檜』より「飛騨高山の宮大工 祭り屋台に匠の技を生かす」を本文から抜粋して紹介します。過去の内容ではありますが、宮大工の技を豪華な祭り屋台に生かす話は興味深いです。
※市町村名・語句や数字などの表記は発行当時のまま記事にしています。

【抜粋紹介】
飛騨高山の宮大工 祭り屋台に匠の技を生かす

飛騨高山という町を、単に山間の小都市と捉えることはできない。古い町並みが残るというだけではなく、京都・江戸の文化を受け継ぎ、連綿と続く人々の暮らしや思いを感じさせる。そんな高山の宮大工・八野明さんは、祭り屋台にも取組み、職人の技術を伝えようとしている。八野さんを訪ね、ヒノキを中心に社寺建築と屋台づくりの話を聞いた。

檜の加工性は一番

「職人にとってヒノキの特徴は刃物の通りがとても良く、加工性が良いこと。」狂いが少なく、腐りや強度の点でも強く、匂いの良い木材で、日本の木として最高だという。「やはり化粧材として使うのが一番でしょう。」白木造りの神殿は、手の汚れさえ気になるほどで、手を合わせたくなる気持ちになる。

今は東京・世田谷の伝乗寺の五重塔を新築する工事を手掛けている。高山市にある八野さんの作業場では、この五重塔に使う材料の刻み仕事がまさに最盛期をむかえていた。小ぶりな塔だが、すべてヒノキを使う。

屋台づくりの幸運にめぐり合う

高山祭は、絢爛豪華な祭り屋台(山車)の曳き揃えで全国に知られている。この祭り屋台は23台が現存しているが、新たに「平成の屋台」をつくる計画が持ち上がったのは平成のはじめ。現代の名工の技術により、新たな文化遺産をつくり、職人の技術を後世に残していきたいという思いからだった。高山市郊外にある「まつりの森」という博物館に納めるため、八野さんが中心になって平成の祭り屋台8台を新築した。八野さんは木組・漆・箔・彫刻・飾金具・染織・鍛冶といった各職を統率し、「平成の匠」として、新たな屋台を完成させた。

「この仕事にめぐりあえたのは幸運でした。普通であれば、屋台の修理を年に何台かやる程度で、新築は一生に何回できるかという具合ですから。」平成5年から13年にかけて、8台の祭り屋台を完成させた。1台をつくるのに1年半くらいかかったことになる。しかし、これは通常に比べ非常に早いペースで、忙しすぎて余計なことを考える余裕がなかったという。

「私自身が屋台のある町内に育ったので、自然に小さい頃から屋台には関心がありました。」八野さんによれば、ぬき構造や渡りアゴなど、社寺建築と同じ技術が、屋台にも応用できるのだという。ちなみに屋台もほとんどの構造でヒノキを使っている。

「屋台の車をつくる車屋は、ずっと昔に高山には1軒もなくなっていました。そこで、分解し仕口などを見て、自分でつくるようにしました。」

職人の修行は感覚でおぼえる

八野さんのお父さんも名工として知られた宮大工。八野さんは高校卒業後、京都で宮大工の修行をおこない、高山に帰って来た。京都では20代の時に、桂離宮の月見台・京都御所・修学院離宮などの工事を経験。「職人の修行は、繰りかえしやってからだで覚えるというものです。机上の論理では成り立ちません。」

高山に帰ってからは、社寺の仕事に恵まれず一般住宅なども手がけたが、29歳のとき下呂の禅昌寺ぜんしょうじを手がけてから、社寺の仕事が中心になる。今までに多くの寺を手がけてきたが、その中で最も印象的だったのは、京都の智積院ちしゃくいん。ここは、成田山新勝寺や川崎大師など真言宗智山派の総本山で、すべて木曾ヒノキでつくるという豪華なもの。柱の材を手配したところで「柱はもう少し太くしたい」という意向があり、すべて取り替えることになった。さすがに錚々そうそうたるお寺の総本山だと思ったという―――
(『日本の原点シリーズ 木の文化②檜』より抜粋)

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