さすらいの影山部長
【キムチチャーハンの巻】
ある日の朝の相談役室で、
「影山くん、今晩、時間を空けといてくれないかな?」
「あっはい、何か急用ですか?」
「あっいやね、久しぶりにあの店で晩飯を食いたくなってね」
「あの店って、例の路地裏の?」
「覚えてるか?」
「相談役のお好きな、キムチ炒飯の店ですよね?」
「あぁ、それだよそれ」
その日の夜、路地裏の例の店のカウンターの鉄板で、その店の主人がコテを鳴らして、キムチ炒飯を調理しながら、
「実は今月で店を閉めることにしまして」
「なんで?」
「来年で80になりますし、そろそろかなと思いまして・・」
「残念だねぇ・・」
美味しそうにキムチ炒飯を食べている相談役の横顔を見ながら、影山はポツリと言った。
「私が相談役のために旨いキムチ炒飯を作りますよ」
「君が?」
「こう見えても料理には自信が有りまして」
「そう、じゃぁ期待して待ってるよ」
次の日の朝礼は、いつになく緊迫した雰囲気が辺りを支配していた。巨人の星の星飛雄馬のお父さん(ブチ切れてちゃぶ台をひっくり返すことで有名)が怒った時の様な形相で影山は話し始めた。
「いいか!古臭いことを言うようだが、営業ってのはな!取引先の担当者と癒着してなんぼなんだよ!例えばその担当者の好物が、キムチ炒飯だとする。それを知った時、君ならどうする?」
影山は、この春に入社した新人の若手営業マンに尋ねた。
「はい、私なら、キムチ炒飯の美味しい店ベストテンをネットでググります」
「違ーーーう!」
辺りはシ~ンと静まり返っていた。
「ええか、1回しか言わんから、耳の穴かっぽじってよう聞いときや、キムチ炒飯を自らの手で真心込めて作る、ええか、その真心が癒着しまくってる得意先の担当者の心を打つわけや、分かるな」
辺りはシ~ンと静まり返ったままだった。
「君達に1週間だけ猶予を与える。来週の土曜日、社内にてキムチ炒飯コンテストを開催する!もちろん休日出勤だが、手当は出さん!ええか!日本一のキムチ炒飯職人!出て来いや!」と元プロレスラーの高田延彦のポーズと口調で締め括った。
その時何故か、全営業マンの中で侍ジャイアンツの番場蛮(ばんばばん)が、分身魔球を投げる時のような半端ない握力でボールを握りつぶす投球ホームをイメージしながら、拳を握りしめていたのは、高崎ただ1人であった。
キムチ炒飯コンテスト当日のキッチンスタジアムは、異様な緊張感が漂っていた。
今回のコンテストにエントリーしたのは、昨年、秋の人事で昇進した高崎の同期(神山、外山、中務)の3名と高崎の計4名であった。
営業部のデスクは全て窓際に寄せられ、倉庫から運ばれてきた、年に一度、会社の創立記念日のイベントで使用する折りたたみ式の机には、まな板、岩谷産業のカセットコンロと中華鍋、食材のキムチと出入り業社の弁当屋に圧力を掛け持って来させた、七升炊きの象印の電気ジャーが置いてあった。
「私の記憶が確かならば、このコンテストの優勝者は必ず昇進するだろう。出でよ!アイアンシェフ!」影山の掛け声で4名の挑戦者にスポットライトが当てられた。
キッチンスタジアムの正面の壁には、美食アカデミーの主宰に敬意を表して、2002年にフグの毒にあたり食中毒の為、この世を去った鹿賀文史の笑顔の写真が超特大の額縁に収められ、飾られていた。
実況席にはフジテレビアナウンサーの福井謙二と、解説には服部栄養専門学校の服部幸應、審査員には料理記者歴40年の岸朝子が、「おいしゅうございます」と料理を食べる前から、挨拶がわりに愛嬌を振りまきながら、審査員の席に着いていた。
キムチ炒飯対決のゴングが鳴り響いた。4人の挑戦者は一斉に作業に取り掛かった。この1週間、朝昼晩とキムチ炒飯を作り続けた傑作が中華鍋から円を描くように天に舞った。
対決を終えた4名はキッチンスタジアムの中央に立って、審査発表の結果を待っていた。
影山と審査員の服部と岸は挑戦者4人の前に立ち、影山が静かに話し始めた。
「白熱したキムチ炒飯対決、皆んなよく頑張った!感動した!」と元総理大臣の小泉純一郎が大相撲の千秋楽で優勝者の横綱貴乃花にトロフィーを手渡す前に語った様な口調で声を詰まらせながら労をねぎらった後、鋭い視線を勝者に向けて叫んだ。
「挑戦者!高崎!」
高崎は信じられないような表情で、この日の為に応援に駆けつけて来ていた、家族のもとへ駆け寄り抱き合って喜んでいた。そしてその後、営業部全員が高崎の周りを囲んで胴上げが始まった。高崎は瞳に溢れるほど涙を溜め勝利の大空へ舞い上がっていった。
次の日、影山は相談役の自宅で、高崎のレシピ通りのキムチ炒飯を振る舞っていた。
「うーん。旨い。これは実に旨い」
「そうですか。それは良かったです」
「君がこんなに料理が上手いとは思わなかったよ」
「いえ、それほどでは・・」
翌月、影山は専務取締役に就任した。
一方、高崎はと言うと、夜行列車に乗って未開拓の地へと向かう途中の車窓から過去を振り返っていた。
「高崎くん」
「あっはい」
「来月から札幌だ」
「札幌?ですか?」
「そうだ、札幌営業所長だ、おめでとう」
「営業所長?ですか?」
「そうだ、我社では史上最年少の営業所長の誕生だ。思う存分頑張ってきなさい」
高崎の瞳から一滴の涙が頬を伝って流れ落ちた。
「有難うございます」
「とりあえず、10年、辛抱しろ」
「10年・・・」
「高崎君、毎年、正月にある箱根駅伝見ているか?」
「箱根駅伝?あっはい」
「青山学院の原監督はなぁ、箱根駅伝を征するまで10年の歳月をかけて、選手達一人ひとりを丹念に鍛え上げていったんだよ」
「あっはい」
「なので私も心を鬼にして今回の人事を決めさせて頂いた」
「あっはい」
「少々の苦労は覚悟しておけよ」
「はい!」
「ただ」
「ただ?」
「ただ、札幌は我社にとって未開の地だ。なので、利益が出るまでは経費を認めるわけにはいかない。1円もだ」
「1円もって・・」
「それから、札幌に事務所はないから、駅前の中華料理屋の2階を事務所兼自宅として使え。家賃の内、8割は給料から差し引く。それから、電話もなければ、トイレも風呂も冷蔵庫も無い。本社に連絡するときは、一階の中華料理屋の店主にお願いして、電話機の横においてある貯金箱に10円を入れて電話して来い。携帯を使ってもいいが、携帯料金を会社に請求する事は私が絶対に許さん。それから、トイレも一階で借りるように、風呂は銭湯を探しなさい、冷蔵庫については、冬の札幌は醤油が凍るらしいから必要無いだろう。四畳半一間の手狭な生活からスタートして、10年後は吉幾三のような大御殿を建てて、自宅のカラオケセットで歌い放題ってのはどうだ?夢があるだろう?」と言った後、微妙にニヤッとして、影山はその場から消えた。
高崎は一人でその場に立ちつくし、頭の中が真っ白になって、「本日は晴天なり。本日は晴天なり」等とAIが話しているような口調で言葉を発しながら、頭の中を必死で整理していた。
「あんにゃろー!ふざけやがって!」
それから、10年後、高崎は札幌が全国一の売上がたつ営業所に発展させたという噂を聞いたことはないが、札幌に行く途中、偶然隣の席に座った秋田県出身の女と意気投合し、出来ちゃった婚したあと、その女の実家である秋田県の農家へ婿入し、みかん農園を営んでいるという噂を聞いたことがあるが、定かでは無い。
何れにしてもその日の夜、高崎の泣き声まじりの叫び声は、夜が明けるまでやむことは無かった。
高崎のアパートの隣に住んでる親子の会話は、
「お母さん、また隣のお兄ちゃん泣いてる」
「今日は特別に会社で嫌なことがあったんだろうねぇ。そっとしておいておあげなさい」
おわり。
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