幸せとは、貧しさの中にある豊かさを感じとることなのか?
人は誰しも幸せになる権利があると言うが、実のところ幸せとは何かという事を学校の先生に聞くために、この世に生まれて来たのかも知れない。そして何人もの先生に聞いてはみたものの、誰一人として奇想天外な落ちをつけた先生はいなかった。なので私は長い間、学校の授業は一切聞かずに、独学で人生の意味を学ぶことにした。そこで分かった事は、日常の生活にその答えはあったということだ。それはおそらく貧しさの中にある、豊かさを感じとる事ではないか?というのが現段階での答えである。
「ファイナルアンサー?」
その答えを探すために何十年もの間、公園でたこ焼きを焼くが如く、たこ焼きの舟に身をまかせて、川の流れのように千枚通しで数え切れないくらいのたい焼きを焼きながら、子門真人のモノマネで仮面ライダーの歌を歌ってきた。が、しかし、何年経ってもカルビーの仮面ライダースナックに付いているカードを揃えることは出来なかった。それが現代においては、ユーチューブの数々の番組で、いとも簡単に これまでの人間の歴史をひっくり返すような出来事が、始まっているではないか。自分の居場所がこの世にあろうが無かろうが、ようやく自分の座る場所を見つける事ができそうなのである。
満員電車のヒーローであるサラリーマンは、今日のAIの出現により日々、先が見えない恐怖を感じながら自信喪失作業を加速させている。自分がこの世に必要な人間なのかと言うことについて、昨夜、にんにくラーメンを食ってきたであろう小太りの親父が、何故自分の隣で吊り革にぶら下がりながら至近距離でこちらに息を吹きかけてくるのかと、怒りが頂点に達しようとしているのだ。眠そうな目をこすりながら、今日も一日、人間関係維持装置のスイッチをONにする。
他方、これからはAIを生業にして、この業界で天下を取りに行こうと意気込む社内では、毎日のようにAIの未来について、パソコンに向かって独り言を言いながら、半ばノイロウゼ気味の症状を周りに気づかれないように振る舞うのが、彼らの仕事である。朝から晩までAIの未来だのと、上司から出来の悪い頭に刷り込まれて、疲れて家に帰ると、家族間の会話は、全てチャットGPT経由で当たり障りのない無難な会話が交わされている。何れにしても近い将来、AIが世界平和の為に汗を流してくれるはずだと、大いに期待しているところでありますが、私が今日、皆さんにお伝えしたかったことは、『幸せとは貧しさの中にある、豊かさを感じることではないか?』ということでございました。
「ファイナルアンサー?」
ご静聴有難うございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?