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家庭製パンの世界を知ったときに震えた話

パン作りを始めたきっかけは
1995年夏
その当時入っていた
社会人アイスホッケーチームの先輩の家へ
お呼ばれしたときに出てきた「あんぱん」

そのあんぱんは今まで食べたことのない
小麦の香りと甘味が
ダイレクトに感じる
衝撃的な美味さだったのだ

********

先輩のお家は
これまためちゃくちゃお金持ちで笑
(前記事のさっちんも超お金持ち笑)
お家の広さはもちろんのこと
壁一面のガラス窓から覗く景色を見ながら
「どこまでが土地なんだろう?」
と庶民派じみ子がつぶやくと

「んー見えてる景色のもっと向こう側」
と答える先輩

しかも先輩が言う庭(確実に草原)には
先輩のご主人と
じみ子のオットが馬に乗りながら
楽しそうにはしゃいじゃってるし

意味不明
理解不能
会話終了


その後、「そろそろ食べましょー」
と集合がかかり、ダイニングへ行くと
そこにごくごく普通の「あんぱん」が


庶民派じみ子は
先輩のご主人がハンターということも
情報で仕入れていたので
鹿肉とかのジビエが出てくるものと
勝手に思い込んでいた

「あんぱんどーぞー」
テーブルの上にはあんぱんがもりもりっと

お腹も空いてたし
パンは大好物だし
そのうち鹿肉でてくるだろうと
(結局出てこなかった笑)
深く考えずにがぶりついた

「なぬ!!!!((((;゚Д゚)))))))」
めちゃくちゃ美味い!
「これ!!!どこのあんぱんですか?」

「え?それ?私が作ったのよ」
と先輩が手に粉をいっぱいつけながら
森英恵の品のある眩しいエプロン姿で
キッチンから出てきた

じみ子は
すぐにキッチンへ押し入り
どーやって作るのか
材料はなんなのか
私にも作れるのか
質問をたぶん30項目くらいぶつけたと思う


「やだーもぉーじみ子ちゃん、しつこいー笑」
と言う笑顔が
エプロン姿の彼女の眩しさをアップさせる

「じゃ、ちょうど新しいホームベーカリーを
アメリカに発注したから、これあげるわ」


その当時はまだ日本製のホームベーカリーは
なかなか手に入る代物ではなかった
(まぁ、先輩はログハウスもカナダから
まるごと一軒分輸入していたりもしてる笑)

遠慮なくこれまたいただく素直なじみ子
家に帰ってからよくよく見てみると
いただいたホームベーカリーには
英語でしか明記がなく
取説も紛失していたということで
本能と度胸でとにかくつくり始めた


それが、ちょうど26年前

一般家庭の中で
パンを焼き上げることができるなんて
今ではごくごく当たり前のことだけど
そのときは本当に衝撃すぎて震えた

今もその先輩とは
月一でお料理サークルで一緒に
いろんな料理やパン、お菓子を作っている

今でもその先輩のエプロン姿は眩しく
彼女がいてくれるから
今のじみ子がいるんだなと

ちなみにそのいただいたホームベーカリーは
壊れるまで(壊したのかもしれない)
数年間大事に使わせていただきました

パンをつくり始めたきっかけは
そんな感じ

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