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わたしは義母にお墓を作らなかった

8月上旬に義母が亡くなった。83歳。
7月下旬に入院し、あっという間に逝ってしまった。

義母にはお墓があった。
正確に言うと、「お寺の霊園に区画を買ってあった」。
墓石はなく、もちろん誰の遺骨も入っていないものの、基礎部分の根石(墓域を囲む石)はすでに施工済みで、永代使用料と施工費の合計210万円の領収書もあった(かなり昔に義父が支払う)。


義母と義父は20年ほど前に離婚。
オットは一人息子である。
オットと義母の関係は、こじれていたわけではないけれど希薄であった。
義母は自身の3人の弟妹たちと疎遠で、オットが逝去を連絡をしたが、3人とも香典を送ってくることもなく、埋葬場所すら聞いてこなかった。
オット自身も叔父、叔母、いとこたちとまったく付き合いがなく、いとこに至っては存在すら知らないと言う。
義母は仏教徒でもなく信仰もない。寺とは懇意にしていない。
義母はあまりお金を遺していない。
離婚した義父は、自身の祖先が眠る地方の墓所へ入ることを希望。


義母をめぐる状況や義父の意見も確認しつつ、
オットとわたしがどうしたいかを話し合った。

檀家になることは考えていない。
わたしたちは義母の墓に一緒に入るつもりはない。
義母には永代供養墓という選択肢がある(オットが希望)。

娘が墓に縛られる人生を望まない。
自分たちの死後は、海洋散骨か樹木葬を希望。


結局、オットとわたしは
墓じまいをすることにした


義母は嫁のわたしに優しかった。
決して干渉してこなかった。
文句も言わず、口出しもせず、ただただ、いつもの場所にいた。
そして自分の人生のことをわたしに話した。
息子にも弟妹にも友人にも言えなかった苦しみを、
ずっと我慢してきたつらい思いを、元夫(義父)に対する恨みを、
嫁いできた私に幾度となく話した。
そして何度もわたしに「ありがとう」と言った。

わたしは家に、義母が幸せそうに笑っている若かりし頃の写真を飾った。
それを見ながら、義母のことをずっと忘れずにいよう、と思った。



※あくまでもわたしたちの考えで決めたことであり、お墓を作って埋葬することや檀家になることに対し、異議を唱えたり批判するものではありません。