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はじめの一歩

はじめまして、飯島雄輝と言います。この記事がnote初投稿です。パチパチパチ。何を書いていくかはやりながら方向性とか決めていきたいと思います。

記念すべき1回目の投稿は社会人10年目という区切りもありキャリア出発点までの出来事を書いていきたいと思います。次回はキャリア編にしようかな。文字にすることは苦手ですが最後まで読んでいただけると幸いです。

就活スタート

さっそくですが就活は順風満帆というわけではありませんでした。2011年卒の僕はまだリーマンショックの影響で買い手市場であり今ほど求人倍率は高くなかったことと、途中就活が一切できなかったこと、大学4年の前期にも関わらず相当単位が残っていたことが重なりそこそこ大変な思いをしました。思い返すとよく巻き返したなと感心します。

就活開始時は金融系、特に銀行を中心に説明会や面接を受けていました。志望動機も固まっておらず何となくかっこよさげなイメージがあったので銀行を受けてたんですね。そうするとやっぱり二次面接以降は通りにくくなりますし、目の前のスケジュールをこなしていくことだけで、ちゃんと活動できませんでした。それが2010年の3月くらいまでの話です。

会心の一撃

このタイミングで1つの事件が発生しました。これは完全に自業自得、身から出た錆ともいえるのですが当時の僕は思考停止もいいところで何もする気になれませんでした。

失恋です。高校から付き合っていた彼女がいたのですが大学3年の夏に僕から別れを切り出しました。理由はマンネリ化していたために距離を置きたかったんですね。だから当時の彼女のことが嫌いになったとかでもなく、見つめなおしてまた寄りを戻したいなーなんてことを考えていました(相当アホですよね)。

それからは就活が始まり忙しくしていたのでしばらくその子のことは考えることもなかったのですが、2010年3月に中だるみしたところで急に会いたくなってLINEで久々に連絡を取ってみると、既に新しい彼氏がいました。もう唖然茫然。もともと嫌いになって別れたわけでもなかったですし、寄りを戻せると謎の自信を持っていました。なんでそんな風に考えられていたのだろう。

再スタート

そこからしばらくは就活をすべてストップし現実から逃れたいがためにひたすらバイトしていました。就職なんてせずにフリーターにでもなろうかと本気で考えたこともあります。旅したいなーけど出かける気力もないし、どんどんネガティブな感情に陥っていき大学もサボりがちでした。そんな生活を5月の頭くらいまで続けていると友達から、内定とった、という情報がLINEやmixiでちらほらと出てきて気づきました。今のままだと人生つまんないことになるな、と。

そこで初めてちゃんと就活というか人生について考えました。なんで金融受けてるんだっけ?ほんとにやりたいことなのか?これまでの人生でやりがいを感じたのは何だったのか?社会人3年間でどうなりたいのか?本来は半年前に組み立てることでしたが、一度立ち止まったおかげでゼロから思考することが出来たのは幸運だったと思います。

いろいろと整理をした結果①入社してから圧倒的に成長したい(ありたい姿)②将来を見据えた学生生活を送りたかった(反省点)を踏まえて教育業界の中でも個別指導塾、更に勉強だけでなく生徒の将来を一緒に見つけていく、そんな特色のブランドを持った企業まで一気に絞りました。

ターゲットが明確であること

方向性が明確になったころには友人の半数くらいは内定をゲットし就活を終えている子もいました。再スタートが遅かったことは自分自身割り切っていたのですが、卒業単位を取るにはこれまでで一番講義を詰め込む必要もあり、その結果就活に割ける時間はかなり制限されたことに焦りを感じていました。ただ、さっきも言ったようにターゲットが明確になることで無駄なエントリーや面接をせずに活動出来たために二次、三次面接の通過率は格段に上がり就活の無駄がだいぶ省けました。

幸運なことに再スタートしてから1ヶ月程で複数の内定をいただきました。ブレずに就活が出来たことがスピード内定に至ったと、このnoteを書いてて気づきました。やっぱアウトプットすると新しい気づきがありますね、大切。年収か、勤務地か、ブランドか…いろいろと条件面で検討していましたが最終的にはそのどれも決め手にはなりませんでした。決め手は僕にどれだけ期待してくれているかでした。

入社するからには活躍したいですし、期待を持って迎え入れられたい。そのためオファー時の熱量が最も重要であり、年収や勤務地は些細なことと思えました。結果的にその判断は正しかったと確信しています。

内々定を承諾してからは実家から片道2時間かけて教室へ行き講師業務を覚え、研修で社会人になるための準備を進めていきました。教室長よりも早く教室に行き掃除や座席のチェック、授業の準備、出迎え、授業、生徒とのコミュニケーションやテスト研究をし、終電で実家に帰る。割と辛いこともありましたがそれも含め経験することで教室長としての体作りが進められたと思います。

チャンスは引き込むもの

僕がいた会社では入社と同時に教室長になる者、副教室長になる者に分かれます。教室長に選ばれる基準は実のところ分かりませんが、往復4時間かけて通っていたことや負けず嫌いなところが気に入られたのか、年が明けてすぐに会社から、4月から教室長やってみる?と尋ねられました。一瞬迷いましたが圧倒的に成長するためには願ってもないチャンスと思い引き受けました。ここでの気づきはチャンスは自分で引き込むものであって転がってこないことです。

そして社会人へ

入社後のことは次回書きたいと思いますが入社日のことは鮮明に覚えています。午前中に本部に集合し入社式を行い、それが終わったらその足で各教室に行き、僕はその日から教室長として勤務開始しました。教室に着いて実感させられたことが1つ、頼れる人が教室にいない、という事実でした。周りは学生講師(とはいえ年はほぼ変わらないです)で、同じチームの社員はそれぞれ教室を持っています。

それからと言うもののGWに突入するまで生きた心地がしませんでした。毎日毎日目を回しながら必死に教室を回すことに集中し、教室長であることを認められるために背伸びし続けました。そんな状況でも乗り切れたのは動機の存在と自分が何者になりたいのか明確にできたこと、内定後の準備があったおかげです。そしてそのきっかけは彼女にフラれたことに起因します。このことは当然その子は知りません。この場を借りてお礼を言わせてもらいます。

目を覚まさせてくれて、ありがとう

終わりに

ところで僕は2011年卒です。リーマンの影響を受ける中無事就職先が定まり教室長に向けて着々と準備を進めていました。けど2011年卒なんです。東日本大震災がありました。僕は幸運にも無事4月から社会人になれましたが、中には内定切りにあい就職先が見つからない人もいました。

そして今度はコロナウィルスが猛威を振るい特に大きな打撃を受けた業界もあります。今普通に働けていることは実は感謝すべきことだと思いますし、仕事をするからには世の中に役立ちたいです。

今の仕事は世の中にまだまだ認知されていませんがきっと役に立つものだと思っています。そのためには知ってもらうこと、価値を感じてもらうこと、ファンになってもらうことを目指しわくわくしながらこれからも仕事をしていきたいと思います。