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DEAR FRIENDS_自叙伝1989年01_平成元年、初めてのNY!

1989年スケジュール

 02月21日 4thシングル『DEAR FRIENDS』リリース 
03月14日  3rdアルバム『NO MORE TEARS』リリース、オリコンアルバムチャート初登場で2位を獲得 
03月15日 川崎CLUB CITTA’【Thank You! Dear Friends】

【WONDERFUL MEMORIES TOUR1989年】26公演
渋谷公会堂を皮切りに“WONDERFUL MEMORIES”ツアー
04月10日 渋谷公会堂

04月19日 水戸市民会館 
04月21日 前橋市民会館 
04月25日 福岡市民会館 
04月27日 大阪厚生年金会館 
04月28日 愛知県勤労会館 
05月05日 新潟県民会館
05月06日 秋田児童会館
05月08日 岩手教育会館
05月09日 仙台電力ホール
05月10日 宇都宮市民文化ホール(小)
05月17日 高松オリーブホール
05月18日 高知県民文化会館オレンジホール
05月20日 中村幡多文化センター
05月21日 愛媛南予文化会館
05月22日 日比谷野外音楽堂【LFイベント出演】with リアクション・ヤス)

05月25日 5thシングル『7COLORS(Over The Rainbow)』をリリース、パナソニック・ヘッドフォンステレオCFイメージソング
05月26日 札幌道新ホール
06月03日 長崎市民会館
06月05日 熊本郵便貯金会館
06月06日 鹿児島市民ホール
06月08日 広島県民文化センター
06月11日 長野県民文化会館(中)
06月12日 石川県教育会館
06月14日 福井県民会館
06月15日 京都会館第2ホール
06月18日 日比谷野外音楽堂
【オールナイト・ニッポン ぶっとおしライブスペシャル】
共演者:ZIGGY/Come On Baby/UNICORN/筋肉少女隊

06月29日ツアーファイナル 中野サンプラザ2DAYS
06月30日ツアーファイナル 中野サンプラザ2DAYS

10月28日 名古屋商科大学【学園祭】

11月01日 横浜アリーナ
平成1年11月1日11,111人のDEAR FRIENDSへ

11月09日 柏崎情報開発学院【学園祭】
11月17日 名古屋レインボーホール【SF ROCK STATION GIG】
共演:氷室京介/ZELDA


【MAGIC MOMENTS TOUR】
(※このツアーの自叙伝はDEAR FRIENDS_自叙伝1990年_MAGIC MOMENTSダイアリー全箇所、01~03をご覧ください〜)

41公演  MAGIC MOMENT”ツアースタート
11月29日 山梨県立県民文化ホール
12月02日 大阪厚生年金会館
12月04日 徳島市文化センター
12月06日 愛媛県文化会館 

12月06日 6thシングル『Fallin’ Angel』、4thアルバム『DREAMERS ONLY』リリース、オリコンアルバムチャート初登場で第1位を獲得

12月07日 高知県民文化会館オレンジホール
12月12日 旭川市公会堂
12月13日 札幌市民会館
12月18日 大阪厚生年金会館
12月20日 水戸市民会館
12月21日 千葉県文化会館
12月23日 新潟市体育館 
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3rdアルバム『NO MORE TEARS』リリース

メジャーデビュー後の88年、89年はバブル景気とバンドブームがリンクし、作品の販売数も伸び、制作バジェットも増え、1年間でセカンド、サードとアルバムを2枚も作る荒業もこなし、ツアーも全国ホールツアーは拡大し続け、フル稼働の時期でした。

1989年1月。
私たちは3rdアルバム「NO MORE TEARS」のTDで初渡米。
平成元年になっちゃた状態で。

初めてのNYでのTD生活10日間

わぁ〜!NYのイエローキャブだぁ!とか喜んでいたと思います。
昭和から平成へ
時代のはざまの初海外。
NYから持ち帰った天皇崩御の号外。
わぁ!1月8日からピシャリ平成元年。
新しい旅立ちが見事に時代とリンクしました。
当時の行程表。
宿泊はHOTEL EDISON。
TDのスタジオはSOUND TRUCK STUDIO
フォトセッションやコーラス入れをしながらの行程。
左側には私の自筆で
自由の女神やコンタクトを買う日が記入されてます。
右側には給料日とかJILL Birthdayとか帰国後の日程も。
割と几帳面な私です。
憧れのNYの夜景!

私は何故かバンドをやり始めた時に、最初に行く海外はNYでしかもバンドの仕事で行くんだ!と心に決めていたので念願叶っての旅となりました。

当時は円が140円の円高。(※2022年9月現在は円安で140円台ですわ〜)
海外TDやレコーディングは国内より安いバジェットとなり「NO MORE TEARS」のレコーディング中にTDは海外でやることが決定!
まさに躍る気持ちでありとあらゆる洋楽アルバムをメンバー全員で聴きまくり、その中から選んだエンジニアはロジャー•ムントゥノット。
ある意味、勘だけの選択だったけど見事素晴らしいエンジニアに巡り会えました。

ロジャー。私と同い年。
写真がなんで〜か、ブレブレ。
同じく写真ブレブレ。

東京で88年の年末までトラッキングした素材を新年早々渡米してNYでMIXして貰うために旅立つ日がなんと!なんと!
昭和天皇崩御により時代は昭和から平成へ変わるタイミングの日。
「平成元年」という文字を私たちはNYで日本語の新聞の号外を目にして知ることになったのです。

しかも、なんと言ってもメンバー全員、海外は初めての体験!
飛行機は靴脱ぐんだよ〜とかデマの嵐の中、かなりドキドキしながらノースウエスト航空で成田から夕方出発。

全てが初めての連続。

当時はね、今じゃ考えられないけど、まだ飛行機は喫煙が可能で、とにかく後方にある喫煙席を絶対的に確保!という私たち。
だって13時間でしょう〜〜〜的な切迫感でしたね。
今は煙草の煙は大の苦手になりました。
人は変われば変わるもんです。
当時はメンバー全員喫煙者でしたからねぇ。
今はメンバー3人まで吸いません。

とにかく初めての海外旅行で乗ったノースウエスト航空(現デルタ航空)は日本のほんわかな航空会社のサービスとはかなり違い、はっきり言って乱雑。食事を投げられるような粗雑なアテンドもあったけど、初体験だからねぇ、まぁ、いろいろなことに驚きながらもメンバー4人、かなりはしゃぎながらの13時間のフライトでした。

NYには夜に到着。

今でも覚えてるんだけど、初NYは到着してすぐ巨大なエレベーターみたいなゲージに乗客は乗せられ、ガァーとそれが動いて到着ロビーについたんだよね〜。後にも先にもあのゲージ移送の経験はないなぁ〜。
まるでSF映画みたいだった。しかも囚人的?な雰囲気。
しかも格安旅券だったのでしょうね。
夜に到着する便だもの。それにいきなり到着したら囚人的な移送だからぁ…
一同、その時、大丈夫かNY!と一抹の不安がよぎったに違いないけど、イミグレーションも無事通過。
ケネディ空港からお迎えの車に乗りマンハッタンへ。

それでも、夜のハイウェイから初めて遠くに摩天楼が見えた時の感動は忘れられない。

オレンジ色の街灯と建ち並ぶ高層ビル。
MTVでヘヴィーローテーションだったU2のHarlem of Angelをウォークマンで聴いていたのが見事にリンクした風景。

わぁ!!!!
ほんとにNYに来ちゃったんだぁ!と何度も心で叫んでました。

到着して少し休んでから、20:00にはホテルでコーディネーターさんとミーティング。ホテルの階下のステーキレストランで会食したんだけど、肉が固くて驚いた記憶があるのみ。

翌日から10日間のNYでのTD生活がスタート。
1回目のNYはなぜかビデオで撮ってばかりで写真が少ないので悪しからず。

TDという作業はひたすら待つ作業。
エンジニアの音源が整うまで待つのみ。
だけど、いつ整って聞けるかわからないから
外出するわけにもいかず、ケータリングが多かった。
ビールとかは、この感じからすると
まぁ、軽く飲んでいたりもしたのね。
私たちはデビュー当時から
今でも仕事の間は私たちは絶対飲まないから、めずらしい。
待つ時間は長い….
ジェットラグもあるから寝ちゃうよね〜


そうそう、この初NY生活。
勉さんの適応能力に驚く😳こと、しきりでございました。

私がブロードウェイのホテルの周辺にある美容資材専門の問屋さんみたいなところで購入したブリーチ剤に目をつけた勉さん。それを少し分けてくれと懇願。何を思ったかホテルの部屋で髪をいきなりブリーチアアウト!

その後も、徐々にNY生活に慣れてくると、また面白いエピソードが。

イタリアンレストランで食事中、テーブルに飛んできた小蝿に向かい「Fly! Getaway!!!!!!」と言い放ってメンバーにかなり引かれたり。
自転車をレンタルして、なぜかひとりだけ乗ってフォトセッションに参加したり。

勉さん、NYに着いたとたん身も心もすでにニューヨーカー体制。
適応力半端ない。すごかったなぁ。

(この先、勉さんエピソード満載です〜)

1989年の勉さんエピソード

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