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DEAR FRIENDS_自叙伝1970年03_what next
初のバンド結成
ロックバンドを創る!
それが私の思い浮かべた最初の夢。
でも、どうやって創ったらいいのか、さっぱりわからない。
だって、その夢には教科書もガイドブックもマニュアルもなかったから。
学校に行けば取れる資格や、試験に受かれば免許が貰えるような世界とはまったく違う、漠然とした「夢」。
だからこそ、可能性があると思えたし、
だからこそ、夢中になってやれる気がした。
誰も踏んだことのない道を作ろう。
高校からはみ出て、迷いに迷って見つけた夢。
そんな思いだけの17歳。
現実的には通信高校に通う日々。
なにもやりたいことが見つからなかった時よりは、どうにか夢らしき目標も決まったけど…
さて、どうする?
何をしたらいい?
夢の着火、炎上はエアロスミスとキッスだったけれど、目指そうにも彼らは雲の上のまたその遥か上のスーパースタア。そう、私が見つけた最初の「夢」は超現実的じゃなかったわけです。
バンド!と思い描いた未来だけど、いったい何から始めればいいのかわからないまま、モヤモヤ状態の私。
それが、その後一気に具体化するタイミングが、近しい時期に訪れます。
同じ年の77年の6月。
エアロスミスやキッスにを観た数ヶ月後に来日した
「ランナウェイズ」‼️
このライブを新宿厚生年金会館に観に行ってから、雲の上のバンドが地上に舞い降りてグッと身近になっちゃっいました。
「ランナウェイズ」のメンバーたちと私はほぼ同年代。
それなのに、すでにかっこいいバンドをやっていて、それはもうレア過ぎて、バンドってどうすれば〜?の私を、あっそうか!と突き進めるには最高の原動力バンドとなりました。
ボーカルのシュリーカリーはコルセット姿だったけどボーイッシュだったし、ジョーンジェットは、もぉ〜、まさに理想的なロックガールでギター弾きながらニコリともせず、眉間に皺でWOW!なんてシャウトしてるし。なんだか、べたぁっとした日本の芸能界のぶりっこ女子とはまるで違う新鮮さに一気にファンになり、これなら自分にも出来る!と思えたのです。
ランナウェイズは実際、女子ファンが多かった。ほぼキャァ〜〜〜〜!と叫ぶのは女子。
そこも日本のロックファンのシェアはまだまだこれから増えるし、きっと若い世代がロックを好きになる可能性があると思えたし、ランナウェイズを観て、断然、女子が観てカッコいい!!!と叫ぶような女子のロックミュージシャンになりたいと確信しました。
夢のスタート
最初のスタートはエアロスミスやキッスを教えてくれた幼なじみのサコと、これまた幼稚園から近所でエアロもキッスもランナウェイズも一緒に観て、同じく感化されたマリエと、幼なじみ3人トリオで、よし!バンドやろう!ということになり、毎日キャッキャッ言いながら話し合いを重ね、じゃぁランナウエイズと同じく5人編成でバンドを作ろうよ!メンバーを募集しよう〜!と決定。
その前にまず3人でジャンケン!
誰がなにやるのかを運試し。
勝った順にポジションを選ぶジャンケン。
最初はサコが勝ち、面倒な機材がないので一番人気のボーカルは彼女に決定。私は二番手、ギターより弦の本数が少ないし、ドラムはどう考えても我が家には置けないし…なので、私はベースをゲット!とにかく今までベースなんて一度も触ったこともないのにね。最後のポジションはもともとドラムに興味のあったマリエがドラムをゲット。
3人の最初のポジションがこれで決定しました。
JILL
このジャンケンと同時期にみんなでステージネームをつけよう!と話が進み、ロックをやるのに理絵ちゃんはないよねぇ〜と、あれこれ考えていた時、たまたま姉が持っていた大学時代の英語のテキストに、外国の女性名がずらりと並んでいるページが偶然目に止まり、それを見ながらインスピレーションでこれいいなと思った名前が『JILL』でした。
女性名でも甘くない感じがしたし、当時大好きで観ていたテレビドラマ「チャーリーズエンジェル」のファラ・フォーセットメジャーズの役名がジルで、良いイメージにつながり決定!!!!
面白でしょ、
幼なじみ同士でいきなり翌日から、
こう呼んでという状況が…笑
他のみんなのステージネームは定着しませんでしたが、なぜか私のジルはそのまま呼び名になり、以後はそう呼ばれるようになりました。
17歳の初夏。
私は「ジル」になりました。
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初期の頃はスペルをGILLやZILLに変えていた時があるけど、呼び名はずっと「ジル」
計算したらJILLになって45年になりますね。
本名との境目や、名前が違うとキャラが違うとか、そんな二面性とかは昔から、ない、ない。
ただ、自分で名付けたからね、愛着はあるし本名である理絵ちゃんは消えたわけではないけど、暗雲立ち込める時代と一緒に心に眠らせてしまったかな。
それに、今やPERSONZのメンバーや友人も、夫である渡邉くんも全員ジルと呼びます。本名は公の場でしか呼ばれません。
長い付き合いだなぁ…「ジル」とは。
ポジションチェンジとメンバー募集の日々
さて、バンドのポジションやらステージネームが決まったあとは、楽器を手に入れなくては!
…ですが、楽器に関してはピアノを途中で放り出した過去があり、すでに親には頼れるわけもなく、就職したばかりの姉に泣きついてウエストミンスターというベースをなんとか買って貰いました。確か小さいアンプも。
やったぁ!お姉ちゃん、ありがと〜!と、その頃は感謝して言っていたのに、ついこの間までこの記憶を忘れておりました。現金な妹でございます。
そして次の行動としては、あとのメンバーは原宿で募集しよう!となり、原宿へ。
今は東急プラザ表参道原宿の建っている場所にセントラルアパートという最先端でラジカルなビルがあり、その地下に「原宿プラザ」という名前の小さなブティックモールがありました。
可愛いDCブランドの服やらなにやら、とにかく原宿、最先端!みたいな服がたくさんあって、その中でも際立っていたのが、洋楽スタアのステージ衣装!そのまんまのスタイリングで店員さんがいたロックファッションのお店「GYPSY EYE」
長髪、グリッターメイク、シースルーやスパンコールの露出の高いひらひら衣装、ヒールの高いロンドンブーツ。もぉ〜、そこは異次元の世界です。
海外のロックミュージシャンそのまんまの格好で、きゃぁ〜と言われる店員さん多数!(初期のQUEENや突如公演中止で問題になったANGELとかのファッションね)私たちもロックな格好を真似て、そこそこメイクすればハタチすぎには思われていたから、思い切り背伸びして、その界隈を闊歩していました。
その原宿プラザには掲示板があり、バンドメンバー募集の張り紙だらけだったから、迷わずそこに張り紙して数日待っていたら、まぁ、いろいろ来るわ。女子を応募したのに男子も来る。ナンパに近い動機が不純なものもあったり。
当時はなにせ家の固定電話のみの連絡ですからね、個人情報なんてない時代。ダイレクトに自宅の電話にかかりますから。
どうやって選ぶか。
それは、もぉ〜〜〜〜
声の感じとか、少し話すと好きな音楽の好みとか出てくるから、そこでふるいにかけながら選ぶしかなかった。
こっちはエアロ、キッスなのに、イーグルスとかリンダロンシュタットとか言われると、あぁぁぁ〜うーん、そうゆうのではないのでぇ…ときっぱり断る。そんな感じ。
募集はリードギター、サイドギターだったけど、エレキギターを弾ける女子はね、ほんと少なかったですよ。キーボードはピアノの流れでかなりいたけどね….。
最終的には吉祥寺の女子高生ふたりがギター出来ます!と現れて、彼女たちと最初のバンドを組みました。かめちゃんとなおちゃん。
なおちゃんはいまだに付き合いがあるので縁がありますねぇ。
そして!
華々しいライブハウスデビュー❗️
初ステージ❗️…は新宿LOFTでした。
まだ薄暗くて、どちらかというとパブ的な雰囲気で、潜水艦みたいなモチーフの客席で、ステージまで見通しの悪かったLOFT。
新宿のKEYで練習していたら壁にライブバンド募集!みたいなのが貼ってあって、いいじゃん!と昼の部で出ることになりました。
初ライブ….なんにも夢中で覚えてない。
エアロスミスのS•O•Sとかやったような気がする。
2回目のライブもKEY絡みかなぁ。
北区公会堂のアマチュアイベントに出たけどステージは大きいし、たくさんバンドは出るしで舞い上がって終わった記憶しかない。
この初期のバンドは、2回きりのライブで終わりました。
なんとなぁ〜く、メンバーがバラバラになって自然解散。
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それからは、またまたバンドメンバー探しの旅が長く長く続きます。
私は通信高校に通いながら、週3日とか適当に休みが取れるバイトをして、あとはひたすらバンドのリハをしていました。
でも、毎回違うメンバーだったりね。マリエとはなんだか話があってプロ志向みたいな結束で結ばれていて、サコちゃんとはその当時から少し疎遠になりました。
そのうち、音楽雑誌「プレイヤー」とかにもメンバー募集を載せるようになり、今度はマコトというボーカルとサイコというギターのこと巡り合います。
サイコという子は、それこそダルな雰囲気でかっこよかった。
JAPANが大好きで、袖の長いシャツをだら〜んと短いジャケットから出して着こなしていて、デビッドシルビアンを真似たファッションだったし、ギターもSGを持っていて、弾き方もかっこよかった。
NEXT BAND
私、マリエ、マコト、サイコのバンドは「PILLZ」
バンド名はマコトとサイコが好きだったNEW YORK DOLLSの曲名「PILLS」から名付けました。このバンドでTBSの夕方5時からやっていた「ぎんざナウ!」のアマチュアフォーク&ロックコンテストに応募。何回目かの応募でやっと出場できたんだけど、その日がなんとコンテストの最終回の日で勝ち抜きは無し、テレビに生で映ったのみ。ビデオなんてまだない時だから、姉にテレビの画像をカメラで写して貰いましたよ。笑
それからは、しばらくは、このメンバーでやっていたけど、マコトとサイコのふたりが時間がルーズだったりして、プロになる気もないみたいだし、と、だんだんマリエと苛立ってきて結局は仲違い。
また新たにメンバー探し。
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![](https://assets.st-note.com/img/1648570695419-sIbOsx6o7e.jpg?width=800)
忘れてた…
NEXT NEXT…まだまだ続くメンバー探し
その後に、知り合ったのが、今度はボーカル、シルヴィーと、ドラムス、リナ、私はその頃にはポジションがギターになっていて、幼なじみのマリエは変わらずドラムでした。
バンド名は「RED」
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というか、この写真を撮って
一番左のサイコが抜けました
![](https://assets.st-note.com/img/1648572756637-SYD3XSeUfe.jpg?width=800)
1Fに吹き抜けになってるカフェスペースがあったような…
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でも心はナイーブでピュアだったよん
この頃から渋谷のヤマハエピキュラスでリハをやるようになりました。
その前は新宿のKEYだったり、下北沢のWHO'S WHOだったんだけど、ヤマハはコンテスト全盛期時代だからシステムがよくできていて、フォークだとポプコン、ロックだとEASTWEST、そのコンテストで上位になればデビューも夢じゃないという目標が明確だったのです。
だからエピキュラスをホームグラウンドにしました。
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エピキュラスの会報の表紙にもなりました〜
エピキュラスは、その登竜門のそのまた下のコンテストを定期的に行なっていて、練習を重ねるとスタッフの方からアドバイスを貰えたし、スタジオ使用ごとにスタンプを貰えるポイントカード制度があって、ポイント10個だったかな、貯まるとスタジオが一回無料になったりと特典も多い。
エピキュラスは神奈川、埼玉、千葉県からものたくさんのバンドがリハに来ていたから、メンバー探しも人材豊富で交流も豊富。そんな事情でかなり長い間利用していました。
このエピキュラスのフレンズコンサートには結構なゲストが出ていて、RCサクセションとか一風堂とかもここで見ましたもん。アマチュアバンドのゲストみたいなね。とにかくプロの演奏を間近で観れるのは刺激になりました。
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(うん、今見ても違うわね〜)
結局その後彼女が抜けて3人になりました
そんなある日、そのエピキュラスに向かうのに、その時だけ、いや、その時に限って!知り合いから借りたエクスプロラーを持っていた私。
山手線の車内でCharさんに会ったことがあります。
派手な身なりで派手なエクスプロラーを持っている私を大御所は一瞥。
私は平気な顔してたけど、内心はひやぁ!そんなギターの神の前でこんな弾けもしないギターを持った姿なんてぇ〜とドッキンドッキン。
もちろんCharさんは微塵も覚えてないでしょうけれど、今覚えば私にとっては少なくとも神に近づいた瞬間なのでとても思い出深いです。
Charさんはギターケースを持って座席に座っていて、割と空いてる電車だったので私は立っていてイバニーズのケースを持っていて、あらあら、目があっちゃった!みたいなね。
そして、結局、そのREDもまたメンバーといろいろあって、ついに分離、その後、エピキュラスで応募して、またメンバーが見つかりました。
このぐらいの時期になるとメンバーの質も向上し、エピキュラスで上手い女子がいると引き抜き争奪戦もあるくらいでしたから、今回のメンバーは女子では最強でした。(はい。もちろん引き抜き、ラミアというバンドをやっていたドラマーと、名前は忘れたけど違うバンドでギターを弾いていたギタリストに積極的にアプローチ、もう当時は人見知りなどと言ってる場合じゃなかった)
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その後、REDは解散…
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隔離病棟ゼロベクトル
ボーカル、シルヴィーが名付けましたが
私とマリエにはイマイチ…な
ボーカリストJILL誕生
その頃には私がボーカルをとるようになります。
数々のボーカルと一緒にやっていた中、なかなか声が出る子がいないねぇと相棒であるマリエと話していたら、ジル歌えば?コーラスしてる声すごく通ってるし、いいと思うよ、と言われて、あら、そうなんだ、それじゃやってみようとなりました。
割とそう言われたのが嬉しくて、歌なんて歌うなどとは思ってもいなかったのに、これを機に自分の声を意識するようになります。
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