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DEAR FRIENDS_自叙伝1993年_「THE SHOW MUST GO ON」〜「Private Rendez-Vous」


1993年スケジュール

 1月はトラッキング
2月 ロンドンTD
05月12日 「FUTURE STAR」シングルカット
06月09日 7th アルバム「THE SHOW MUST GO ON」リリース
07月23日 NHKホール
08月03日 愛知県勤労会館
08月11日 大阪厚生年金会館
08月13日 渋谷公会堂
後半はJILL SOLO 「Private Rendez-Vous」レコーディング
12月15日 1st SOLO アルバム「Private Rendez-Vous」リリース

リリース作品詳細

1993年1月1日 東芝EMI TM FACTORY移籍。
5月12日8thシングル『FUTURE STAR』リリース。
6月9日には移籍後初の7thアルバム『The Show Must Go On』リリース。
浩宮皇太子、雅子様のご婚礼、ロイヤルウエディングと同日。
トラックダウンをロンドンにて。メンバー3人初渡英。



6月9日 :7th album「THE SHOW MUST GO ON」
01. Overture
02. My Desire
03. Sleeping Beauty
04. New Sensation
05. Two Hearts
06. Future Star
07. What Is Love
08. LostIn Sunset
09. Miracle
10. 恋せよ乙女
11. いつの日かきっと
12. The Show Must Go On


JILLの1stソロアルバム。東芝EMIからリリース。ジャズテイストの曲やボサノバ、ワルツ、グレッシブなフリージャズの要素を持つ曲からビッグバンド、オーケストラ、贅沢なアレンジ満載。
曲と歌詞はすべてJILLが書き下ろし。(英訳歌詞のみ別)



12月15日 初JILL SOLO 「Private Rendez-Vous」
01. Introduction;WELCOME TO MY PRIVATE WORLD
02. TRACY
03. LOVE IS A MERRY-GO-ROUND
04. PARADISE IS YOU
05. GUESS WHO?
06. PRIVATE CINEMA
07. YOU DON’T KNOW ME
08. HYPER HYPER
09. BE MY BABY FOREVER
10. PRIVATE RENDEZ-VOUS
11. あなたを見つめている
12. SMILIN’ANGEL
13. UNDER THE MOONLIGHT
14. SONG FOR YOU


SHOWを続けよう…

1992年の「MOVE」ツアーが終わり、バンドはミーティングを繰り返し、夏には進むべき方向性が決まった。

いろいろな体制が決まるまで、私は何もする気にはならなかった。
ほんとうに、あの神奈川県民が終わって、何かが終わってしまったので。
なにもする気にならず、歌もやめようかなとか。
気が抜けたままだった。
それぞれに進む道は、どうあがいても元には戻らないだろうし、その道を止められなかったという悔いは心の中に充満していて、気分の落ち込みも最悪。そこから抜け出す解決方法もまるでみつからなかった。

何もできない日々が続き、もともと仕事好きな人間だから、日にちだけが過ぎていくような状態が一番耐えられなかった。音楽以外のものに目を向けて少し気分を取り直そうと努力もしたけどダメだった。

だけど、そんな状態の日々が2ヶ月過ぎたあたりから、自然に詞を書くようになった。

毎日思いつくままにという感じで、歌うための歌詞ではなく、ポエトリーに近いものだったけど。ワープロに向かってとにかく毎日言葉をつなげていくうちに不思議と気持ちが浄化されていた。

やっぱり表現者として、心の中のものを外に出すという行為は、自分にとって一番の救いと思えたし、その書きつなげた詞を見て、ある日、自分の考えてることがはっきりとわかった。

PERSONZを残そう。
PERSONZを続けよう。

そこからは振り返らなかった。

タイミング的にもデビューからお世話になったテイチクのディレクターが、少し前に違うメーカーに移籍していたし、そのあたりの関係性も含めて、私たちもこのタイミングでメーカーを移籍する動きが濃厚になり、1992年の後半は移籍するためにやらなければならないテイチクの後処理や、移籍がほぼ決まったら決まったで、その先に制作する作品のことを考えなければならなかった。

しかも、その移籍第一弾のアルバム制作にはギタリストがいない。
どんなアルバムになるか、その時点ではまるで先は見えなかった。
ただ、わかっていることは、メンバーがひとり欠けた状況だけど、今までよりも最高の作品を作らなければならないということだけ。

いったいどんな作品が出来るのか…
徒然と書いた詞を見ていたら、言葉が浮かんだ。

サーカス用語で「ショウはなにが起きても続けなければならない」という意味を持つ強靭な言葉。

「THE SHOW MUST GO ON」

このタイトルに決めてから、ある意味、その当時の思いは全て、アルバムに込めた。

作曲をする渡邉くんも、演奏の体制は違うけれど、それまでのPERSONZの王道を崩さず、まっとうでストレートなPERSONZの曲を12曲、職人技で一気に作った。PERSONZのメロディメーカーとしての才能の発揮はさすがだった。

最初に生まれたのは、
「FUTRUE STAR」
アルバムの先行シングルとなる曲を先に作らなければならなかった。
当時の制作スタイルはタイアップを取るため、先行して1曲を先に仕上げるというやり方が主流だったので。アルバム制作と並行してシングル制作の進行が優先された。
この曲、きっと本来ならPERSONZのギターサウンドが柱になって構成される楽曲スタイル。だけど、以前と全く違う作り方としては、スタジオでバンドが楽曲を持ちよって、まずはみんなで音を出してみるという、今まではあたりまえにやって来た作業がなかったこと。
新たな作り方としては、とにかくプリプロをして打ち込みで全体像を先に作る。基本的な部分の打ち込みは、渡邉くんと藤田くんでそれぞれ分担して作り、あとはふたりの同郷の友人である内田さんと作り上げ、その後のギターの仕上げは布袋くんに私から直接お願いして、リフとソロの部分に関しては助けて貰い仕上げることが出来た。

レコーディングの時の勉さんは
ずっとこんな感じでした。

あとは、幕開けの「Overture」に関しても、私たちの今までの制作工程とは違って、当時同時進行していた私の初ソロアルバムの流れで、服部隆之さんと知り合い、オーケストレーションを依頼して作り上げた。この曲は、何度聴いても、どうしようもなくドラマチックな曲過ぎて、切ないながらも凛としていて、まるで映画の幕開けの曲に思える。
その先にどんな物語があるんだろう…
そんな想像を掻き立てられるような。

試行錯誤を繰り返していた1993年。
この時代には全く考えられなかった「未来」だけど、
2017年にREROLDとして本田毅が参加した「THE SHOW MUST GO ON」のリレコーディングアルバムがあるので、聴き比べて貰えば、この時代にやりたかったことが一目瞭然にわかると思う。

このアルバムがどんな作品だったかを。

1993年にはいなかったスペースに、本田毅のギターが重なると、当時、3人でやろうとしていたことがわかると思う。このアルバムはギタリスト不在で作ったアルバムだけど、その場所はちゃんとあったんだよね。

2017年5月25日リリースしたRELOADバージョン

1993年から24年先の「未来」、2017年には、
左右田薫さんが描いた4人が存在するジャケットの
「THE SHOW MUST GO ON」が、今は存在している。

ほんとうにドラマチック。

話を1993年に戻そう。
そう、PERSONZを辞めないという選択をしてから、急に世界は慌ただしくなった。

まずは1992年の終わりには曲作りとプリプロでほとんどの時間を費やし、年が明けた1993年の1月からは「THE SHOW MUST GO ON」のレコーディングに追われた。全てのトラッキングを終えたあと、2月にはロンドンへ向かう。
1993年は頭から忙しい日々が続いた。
7月8月にはライブ。
ツアーが東名阪3本で極端に短かったのは、その後にすぐ私の初ソロアルバムの制作とレコーディングがあったのと、ほぼ並行して、すぐ8thアルバムを制作する予定があったから。
次作は1994年4月にリリースされているのでかなりのハイペース。

1993年は激動だったわね。

ロンドンTD

ゲーリー・ランガン
NYのロジャーとはまた違うパーソナリティー。
だけどMixはすごい。見た目と違って繊細〜

新しい試みとしてのロンドンTD。
エンジニアはART OF NOISEのゲーリー・ランガン。
私たちにとっては雲の上の人。
が、しかし実際会ってみるとフツーにお喋り好きでシニカルなジョークも飛び出すイギリス紳士でした。

2月19日 成田発ロンドン
2月20日 TDスタート MASTER ROCK STUDIO
3月03日 TDフィニッシュ
3月04日 Photo session&Mastering
3月05日 ロンドン発
3月06日 成田着

このTDの様子は後半、ポラロイド写真と共にお伝えしましょう〜

約10日間くらいの旅。
ロンドンから帰国してからは3月末にシングルカットの「FUTURE STAR」のMV撮影。

いやぁ、これはこれで大変な撮影だったなぁ。
勉さんはオイル塗りまくりだし〜
当時撮ってくれた加藤監督はとことん撮影をする人だったので、数々の構図で撮影。朝早くから始まって結局撮り終えたのは翌朝のことでした。
撮影は日活スタジオだったかな。
ギターソロは私が当て振りしました。
布袋師匠のソロを〜💦


「THE SHOW MUST GO ON」ツアー

07月23日 NHKホール
08月03日 愛知県勤労会館
08月11日 大阪厚生年金会館
08月13日 渋谷公会堂

そしてライブ。
ライブはね、とにかく大変だった。
ツアースタートのNHKホールは、それでなくても緊張するライブ初日なのにWOWOWの生中継があってね。3人の緊張度は半端なかった。

メンバーも初サポートメンバーを迎えてのライブ。
ギター:内田光一
パーカッション:スティーブ衛藤
キーボード:矢代恒彦(矢代さんは2022年に永眠されました。ご冥福を祈ります)

7月23日 NHKホール【PERSONZ LIVE 1993 The Show Must Go On】
SE.OVERTURE
01.Sleeping Beauty
02.My Desire
03.いつの日かきっと
04.Lost In Sunset
05.Two Hearts
06.What Is Love
07.Fallin’ Angel
08.Magic Moments
09.Miracle
10. New Sensation
11.Future Star

ENCORE-1
12.7COLORS
13.TOKIO’S GLORIOUS
14.MAYBE CRAZEE

ENCORE-2
15.恋せよ乙女
16.The Show Must Go On

バンドの音は劇的に変化してるしね、
サポート・メンバー3人プラスという見え方も初。
演奏メンバーの衣装はなぜか露出の多いワイルドでハードな衣装。
不安を隠すように威圧感を与えたかったのか…

オープニングの「Sleeping Beauty」では白い羽根を纏っての登場。
これは吉祥寺のJAP工房さんに、みんなの衣装共々、制作して貰いました。
その後、この羽根はスタッフを通じて、あのガクトさんが在籍していたマリスミゼルさんにお貸ししたらどこかへ行ってしまいました。残念。

強靭なのは衣装だけではなく、過去の曲もかなり強引なアレンジ技で勝負しましたね。
私はPERSONZで初のギターソロ披露だったし。
「Miracle」でアーム使ってぎょわ〜んとやったかな。

そして、このツアーでは思うところあって「DEAR FRIENDS」の演奏はしなかったのよね。これもPERSONZマニアには考えられないことだったと思う。

当時、このライブを見たPERSONZマニアの方々はかなりの大衝撃(大ショック)だったでしょうね。「MOVE」からわずか1年で、この変化はね。

ただ、私たちも当時は後には引けない状態。
ステージのパフォーマンスも全て私が引き受けた!みたいな感じでね、気持ちは今までのPERSONZを覆そうとする鎧を着まくってた感じでしたね。

その後の未来に「THE SHOW MUST GO ON」のRELOADとして、2016年のステラボールでの完全再現ライブや、2017年のリレコーディングにたどり着くなんて、1993年のこの時点では誰も思わなかったわね。

だけどね、アルバム制作でも言ったけど、曲はすでにそうなっていたんですね。渡邉くんの書いた曲と私の書いた歌詞は、なんら4人の時のPERSONZとは違っていなかったんだなぁと今、あらためて思います。
ただ、演奏してる人が違うと、ここまで変化するということをね、その時はわかっていたけど、私たちにはそのこともわかりながらも進むしか方法はありませんでした。

とにかく、この1993年の新たな旅立ちはどう説明したらいいかわからないくらい安易なものではありませんでしたね。
この時代PERSONZの音源を聴いたり、ライブを観たPERSONZマニアの皆さんもたくさん戸惑ったでしょう。
その時点で離れていった人も多かったと思うけど、仕方がなかった。
それぞれの道を歩き出したわけだから。

今はね、その先の未来を知っているから、
さらりと振りかえることが出来ているけれどね。

よかった。
未来よ、ありがとう。

初JILL SOLOアルバム「Private Rendez-Vous」


そして、「THE SHOW MUST GO ON」のツアーが終わると、私はすぐにソロアルバムの制作に取りかかります。

最初はね、このアルバムのプランはカバーアルバム企画からのスタートだったんですよ。準備期間中にカバー曲を何にしようかなぁ〜とあれこれ考えていたら、ふと、これじゃぁ企画ありきのアルバムすぎない?って思えてね。
それなら、よっしゃ!曲を書いてみよう!と俄然奮闘!信じられないほどの勢いで集中致しました。

当時はKORGの重い〜キーボードを買ったばかりでね、それが録音機能付きで。データの保存はフロッピー💦だったけど。

毎日、そのキーボードに向かっていたら、これがまた、すごいのなんのって曲が次から次へと湧いてね〜
ほんと自分でも驚くほどすごかった。
ほとんど全曲を眠ることもご飯を食べることも忘れてみたいな感じで、一気に作った。
まさに神がかってた。

曲が出来て、並べてみると、いろいろな世界観があって、バンドサウンドとはまるで違うわけ。私、個人的には幼い頃からサウンドトラック大好きで、今もよく聴くんだけど、そんな雰囲気になってね。

曲が出来てディレクターに相談したら、アレンジャーを立てようということになり、ジャズ界の大御所であるコルゲン鈴木さんが加わり、毎日、渡邉くんと私とコルゲンさんでプリプロ作業。

まず私の音源を渡邉くんがバンドタイプの譜面にして、それをコルゲンさんがキーボードで確認しながら弾いて、アレンジと共にちゃんとしたアレンジ譜面に書きかえる作業。

曲をまな板にのせて、じゃぁ、この曲はどんな感じに料理しましょうか、みたいなね。
私が、う〜ん、これはフランスみたいなとか、イタリアみたいなとか、ボサノバ〜!とか、これは思い切ってオーケストラ!とか要求して、コルゲンさんが、それを聞きながら、それなら、こうかなとパート譜面を書き上げる的にプリプロは進行しました。バンドのアレンジとはまったく違うから楽しかった。

コルゲンさんは、このアルバムは世界一周的な感じがするね〜とか言ってくれてね。ワクワクした。

ある種、PERSONZの7thアルバムは方向転換をどうしても強いられていた時だったから、ソロはね、もぉ〜それこそ自由で、なにもかも初めてで良いし、それがとても新鮮だった。

ジャズの要素が濃いアルバムになったのも最高だったし、今振り返ると、これだけの大掛かりなレコーディングをして、ビッグバンドやフルオーケストラまで入ってきたプランは最高に贅沢だったと思います。
今でもこんなレコーディングはなかなか出来ないことだと思うし、この時期はかなり衝動的にソロアルバムを制作することに踏み切ったんだけど、思い切って作っておいてほんとうによかったと今、思う。

私のキャリアの中でもピカピカの宝物と思える記念すべきソロ第一弾。

販促用のCDのライナーノーツにレコーディングを終えて、私のメッセージと、プロデュースをして下さったコルゲンさんのメッセージがそれぞれに書かれています。

要約すると、
[私、JILL]
当初はカバーアルバム構想だったソロアルバムが、いつの間にかにオリジナル曲が11曲出来てしまい、PERSONZの初期の曲のセルフカバー(UENDER THE MOONLIGHTとSMILIN' ANGEL)を入れて13曲のオリジナルソロアルバムになったことの経緯と、私が元々大好きなサントラの世界の表現をモチーフに曲を作った行程が書かれていました。

一方、コルゲンさんは、
[コルゲン鈴木さん]
ロックの人からの仕事依頼は初めてで、一抹の不安を感じながらも、当初はカバーアルバムと言っていたから割と手間はかからないかなと思っていたが、JILLさんのオリジナル曲を作るペースがことのほか早く、それだけ曲が出来ているならカバーアルバムではなく全部オリジナルにしたほうが良いと方向が変わったこと、そこからのアレンジの内容としては、フルバンドジャズ、デキシーランドジャズ、フリージャズ、シャンソン系ヨーロッパサウンド、歌と弦楽セクションのみの多少クラシカルサウンド、歌とピアノのデュオ、ほぼフルオケの映画音楽というように。
まさにサウンドマーケット状態。
プリプロではデジタルピアノだけで作業が進んでいたので、JILLさんもスタジオに入って生オケを聴くまでは、どんなサウントになるかは想像できなかったと思う。録音の仕方は大昔のように、又はクラシックのように、歌もオケも同時録音という形で行い、臨場感や一体感があって、いつもバラ録りしているスタジオミュージシャン達も喜んで音楽を楽しんでいたね。
と、書き綴って下さいました。

コルゲンさんは残念ながら、2001年にお亡くなりになってしまいましたが、音源は残っています。だからこそ宝物。ほんとうにありがたい経験でした。

「SMILIN' ANGEL」でコルゲンさんとふたりでブースに入って、一発録りでトラッキングした瞬間は今でも覚えています。リズムアウトして歌ってみたらと言われて、通常バンドではリズムに合わせるのは死守だから、なかなか出来ず、しばらくふたりで何回か合わせて、よっしゃ、いこう!とレコーディング。一発録り。ボーカリストとして初めての経験でした。

総勢50人を超えるプレイヤーとの共演。
33歳の私にはとにかく重かった。
だけど今聴きなおすと頑張っているんですよ、これが。
これをやろうと思ったあの頃の自分に拍手です。

参加ミュージシャンをリスペクトを込めて記します。

「Private Rendez-Vous」参加ミュージシャン


M2[TRACY] M4[PARADISE IS YOU]
Drums:海老沢一博
W.Bass :金沢英明
E.Guitar:松木恒秀
Trumpet:数原晋  林研一郎 河東伸夫 中川喜弘
Trombone: 中川英二郎 清岡太郎 平内保夫 宮本直樹
A.Sarophone:ジェイク・H・コンセプション 柳沼寬
T Saxophone: 金城寬文 高野正幹
B.Saxophone:平原まこと(平原綾香さんのお父様)
Piano:鈴木”コルゲン”宏昌

M3  [LOVE IS A MERRY-GO-ROUND]
Synthesizer Programming:鈴木豪&渡邉󠄂貢(PERSONZ)
Additional Percussion:Drums:藤田勉(PERSONZ)

M5[GUESS WHO?]
Drums 海老沢一博
W/E.Bass:高水健司
E/Guitar:松木恒秀
Piano/E.Piano:鈴木”コルゲン”宏昌
Trumpet: 数原晋 林研一郎 河東伸夫 白磯 哮
Trombene:中川英二郎  松术治 石川浩
Percussion:鳴島英治 
Horn:藤田乙比古 阿部雅人

M6[PRIVATE CINEMA]
Drums: 海老沢一博
W.Bass: 桜井郁雄
E. Gutar:松木恒秀
Strings :加藤ジョーストリングス
Harp:朝川朋之
Conductor:加藤 磐郎
Vibraphone:金山功
Accordion:風間文彦
Flute:中谷望
Percussion: 鳴島英治
E.Plano/Plano:鈴木"コルゲン”宏昌

M7 [YOU DON'T KNOW ME]
Drums:海老沢一博
W.Bass:水橋孝
Percussion:鳴島英治
Trumpet:小林正弘
Trombone:清岡太郎
Tuba:佐藤潔
Banjo:谷康一
Clarinet:ジェイク・H・コンセプション
Piano:鈴木"コルゲン”宏昌

M8 [HYPER HYPER]
Piano:鈴木"コルゲン”宏昌
Synthesizer Programming:鈴木豪&波辺質(PERSONZ)
A.Saxophone:ジェイク・H・コンセプション
Drums:藤田勉(PERSON2)
E.Bass:渡邉貢(PERSONZ)
A.Saxophone:坂田明
Plano:鈴木"コルゲン”宏昌

M9 [BE MY BABY FOREVER]
Drums:海老沢一博
W/E.Bass:高水健司
E. Gutar:松木恒秀
Percussion:鳴島英治
Strings:加藤ジョーストリングス
Conductor:加藤盤郎
Piano :鈴木"コルゲン”宏昌
Mandolin: 和智秀相 宮田蝶子 栁澤明 青山忠
Clarinet:十亀正司 渡辺端香
Flute:中谷望  篠原猛

M10[PRIVATE RENDEZ-VOUS]
Drums:海老沢一博
W/E.Bass:高水健司
E/Gut.Guitar:松木恒秀
Piano :鈴木"コルゲン”宏昌
Trumpet : 数原晋   林研一郎   河東伸夫  白磯 哮
Trombone:中川英二郎   松本治   平内保夫  石川浩
A.Saxophone/Clarinet:ジェイク・H・コンセプション
T.Saxophone/Clarinet:金城寛文  高野正幹
B.Saxophone:上野稔

M11[あなたを見つめている]
Drums:海老沢一博
W / E.Bass:高水健司
Tuba:佐藤潔
E.Guitar :松木恒秀
Percussion: 鳴島英治
Strings:加藤ジョーストリングングス
Conductor:加藤盤郎
Piano :鈴木"コルゲン”宏昌
A.Saxophone/Clarinet:ジェイク・H・コンセプション

M12[SMILIN’ ANGEL]
Piano:鈴木"コルゲン”宏昌

M13 [UNDER THE MOONLIGHT]
Strings:加藤ジョーストリングングス
Conductor:加藤盤郎

MI4[SONG FOR YOU]
Drums:海老沢一博
E.Guitar:松木恒秀
W.Bass:桜井郁雄
E/A.Guitar :松木恒秀
Strings:加藤ジョーストリングングス
Harp: 朝川朋之
Conductor:加藤盤郎
Glocken/Timpani:金山功
Flute:中谷望 篠原猛
Percussion:鳴島英治
Piano:鈴木”コルゲン”宏呂
Horn:藤田乙比古 高野哲夫
Oboe:石橋雅一
Clarinet:星野正 渡辺端香
Trumpet:エリック宮城 横山均 菅坂雅彦
Trombone:松本治 平内保夫 望月誠人 宮本直樹
Piano :鈴木"コルゲン”宏昌


そして、このソロアルバムが終わる頃、すでにPERSONZの8thアルバムの制作が始まっていました。

1993年11月17日には「I NEED YOU」が出来上がっていて、「砂の薔薇」からの先行シングルとなりミナミスポーツのタイアップ曲となって冬はかなりテレビでは流れておりました。

このあたりの記憶は曖昧。だけどソロはライブやツアーがなかったので、並行して8thのアルバム制作は進んでいたのだと思います。

(この再現ライブともいえるライブは、近日中にPtoP内のSpecial Movieにアップしますが、22年後となる2015年の1月24日に【JILL’S BIRTHDAY EVE! LET’S GO!GO!☆55☆PARTY!】というFCの新年会のきっかけになったライブでブラスを入れて披露することが出来ました。1曲目のTRACYが生演奏出来たこと。最高の思い出です。メンバーに感謝です。そして、また演りたいライブです。)

私はソロアルバムの勢いのまま、次回作では曲を書こう!とはりきっておりました。

そして1994年へ…


[秘蔵スペシャル写真集!]


秘蔵:ジャケ写

ジャケットの加工される前の写真

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