三国志についてと自分のためのメモ

三国志はロマンのある時代です。三国志に人気があるのはさまざまな理由があるのだろうと思います。

私個人としては子供のころコーエーの三国志や三國無双というゲームから三国志に興味を持つようになりました。今では立派な三国志マニアの一人になったつもりでいますが、三国志に興味を持ってから十数年、知識を身につければつけるほど好きなところもまた変化していきました。

最近興味があるのは、三国志の倫理です。三国志の倫理というと不思議な感じがするかもしれません。私の知る限りこれについて重点的に考えている人はいません。(いたら教えてほしい)

しかし考えてみると奥深いテーマが三国志にはいくつもあるのです。

例えば、三国志の群雄たちは仮にも漢という国の臣下であるにも関わらず土地を許可なく勝手に占拠しそのうえでさらに他の土地を奪おうと攻め込む。このような行為が現代日本で起こったと考えればいかに異常な行動なのかわかると思いますが、さらに異常なのは劉備を代表とするいくつかの群雄はそのようなことをしたうえで漢臣としての忠義だとか仁義だとかを主張して戦争の正当化に使っているのである。

その時代の倫理観では当たり前のことなんでしょと考えればそれまでなのかもしれませんが、それでも現代に生きる我々がこのような事態が起こった時代から学べることは大いにあると思うのです。

ちなみに、今三国志で最も興味があるのは荀彧です。長年曹操の配下として活動し続けたのにも関わらず最終的には曹操が魏公に就任するとそれに失望して自殺をするのです。荀彧は果たして単純に漢室をないがしろにすることを許せなかったのか、曹操のために魏公就任に反対したのか。どちらにせよ、その理由をじっくり考えてみることは面白そうですし、さらにこれを分析した後に倫理的に荀彧の行動は「よい」ことなのか考えることによって三国志時代が現代に生きる我々に還元されるのではないでしょうか。

ちなみに、このことは史実に明記されていることではなく、あくまでも可能性の一つとされていますが、倫理的問題としてこのことを考察するのであれば実際に起きた・起きてないということは関係がないと思うのです。それ故に史実三国志のみでなく、フィクションである三国志演義やその他三国志から生まれた創作物すべてのエピソードにも考察の余地があると考えています。

まあ、要するに私は単純に倫理問題と三国志に興味があるだけで三国志でなくて他の時代の倫理問題を考えてもいいのです。それでも三国志について考えようと思うのは他の時代の歴史について三国志ほどの知識がないことも理由の一つなのですが、もっと大きい理由としては三国志という時代の人気です。

「時代」と言っていますが、三国志が人気なのはそれが「歴史」としてだけではなく「創作物」としてでもあります。この点で、三国志は他の時代と比べて特異なのであり、三国志の様々なエピソードを様々な観点で考えることでなぜ三国志が人気なのかについてもわかることがあるのではないかと思うのです。

色々書きましたが、結論としては当分の間は三国志について考えていくだろうということです。これから具体的なエピソードを取り上げて考察していくつもりです。

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