役に立たないことこそ、あなたに話してほしいと思う理由
役に立つこと言わなきゃ、有益なこと言わなきゃ。
そんな声をあちこちで聞く。世界は鏡だ。これは私の内なる声なのかもしれない。
役に立つとは、そもそも何だろうかと考えた。
そんなものは、主観によっていかようにも変わる。時代背景や環境、その時の状況によっても様々だ。
今平和な日本で暮らす私たちにとって、一般的に役に立つこととは。
健康のことだったり、より未来を豊かにする為の知識やノウハウだったりする。
でもそれすらも状況によって一変するだろう。
もし目の前で誰かが溺れているとしたら?
役に立つ有益な知識や情報は、10年後の資産を倍にしよう!!とかそういう類じゃない。
必要なのは自分が溺れずに相手を助けるスキルと知識だし、助けた後の適切な処置法だ。
主観によっても役に立つものは様々に変化する。
例えば、葉っぱは緑や黄色や赤や茶色になる。そのどれが役に立つだろうか。
もしあなたが何か植物を栽培していたら、枯れた葉の方が有用かもしれない。土と混ぜて肥料にするかもしれない。
でもあなたが和菓子屋さんだったら。
桜餅をつくる為に緑色の桜の葉っぱが必要だと考えるかもしれない。
赤や黄色に色付いた葉っぱは、秋に和食の会席を彩る為に用いられるかもしれない。
そんな風にその人の立場や状況によって、役立つものや情報は違う。
沖縄では海に行けばたくさんの珊瑚のカケラや流木が落ちている。
興味のない人にとってはただの自然物だけど、お金を出してでも欲しがる人はいる。
自分が話すことが役に立つかどうか、有益かどうか。
それは本当に、そんなに気にする事なんだろうか。
その点を気にし過ぎて自由な思いを出せずに口をつぐんでしまうのは、何だか悲しい気持ちになる。
役に立つことばかり、無駄を省くことばかり、生産性ばかり突き詰めて、私たち人間はロボットにでもなるつもりだろうか??
役に立たない、無益な、無邪気な、自由な発想や思い。
それこそが人間の醍醐味なんじゃないだろうか。
それに共鳴したり、面白がったり、理由なんか分からないけど心を震わせたりするのが人間なんだと私は思う。
私の生きる喜びのひとつは、自分と他人の違いを知ることだ。
逆に自分じゃない人と自分の中に同じところを見つけるのも嬉しい。
なぜなら、どう頑張ってもいくらお金を積んでも自分以外の人間にはなれないからだ。
あなたが感じることや話すことは、紛れもなく唯一無二だ。
どんなに大金を積んでも科学を発達させても、あなたが感じた事を寸分違わずに再現するのは無理だろう。
そういう視点で見たら、自分の心で感じたことはすごく愛おしいものになってこないだろうか。
それが役に立つか、有益かどうかなんてどうでも良い。
外に出たがっているなら出してあげよう。
この宇宙にたったひとつの、愛おしい自分の感情なのだから。
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