この身、この血肉、一片までお寺に捧ぐ
父が亡くなってからというもの、1日たりともお寺のことを考えない日はない。
特に、住職になって初めの頃は、本当にありとあらゆることをお寺に活かせないかと考えていた。
「これはお寺に使えるな…!」
と外食に行こうが、水族館に行こうが、どこに行こうが、その場でトイレを借りたらそのトイレにある張り紙やらなんやら、もうほんと、ありとあらゆることを貪欲にお寺につなげ分析していた。これはお寺に使えるな…!
よく「お寺さんはお休みあるんですか?」とたずねられるが、正光寺の住職に限っては本当に休みがない。というより、休まない。
「えー!?ずっと働いてるのしんどくないですか?」とも聞かれるけれど、ずっと働いてるという感覚もない。
ずっと生活をしている。
みんなと同じように。1日1日を。
ただ、その生活の中心がお寺なだけ。
朝7時に起きて夜0時に寝るまで、1日17時間、お寺のことを考え、行動していた。
こう話すと信じない人もいる。
嘘だと思ったら私の家族に聞いてみてほしい。
家族からは、本当に心配された。
母親からも妻からも
「いい加減休みなさい!!」と何度も叱られた。
それでも、1ミリも片時も、お寺の運営が頭から離れない。
なぜ、そこまでお寺のことをしていたのか、できたのか。
原因は当時から明らかだ。
私を突き動かす原動力
それは
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23歳のある日、私は住職になりました。突然のことでした。それからはや7年。何を考え、何を目指し、何を成して、何を失敗し、どこへ向かうのか。…
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