道端のお地蔵様でありたい。

私は18歳から7年間、北の国を離れ、京の都で暮らしていた。

北の国、北海道苫小牧市で生まれ育った私は、気候やら文化やら言葉やら、同じ日本でもこんなに違うもんかねと思いつつも、すっかり馴染み、文字通り、京の都も住めば都となった。

その都での体験が私の身体の八割以上を作っていると言っても過言ではないだろう。この身体、めっちゃ京都。

今でも京都を振り返り、北海道の苫小牧には無い文化を強く感じ、懐かしくも羨ましくも思える。

今日はその文化から、2つ紹介しよう。

京都にあって、苫小牧にはない文化

①街を歩く 文化
②道端のお地蔵様 文化

京都で大好きなところを挙げろ、と言われたら真っ先にこの2つを挙げる。めちゃくちゃいい文化!!大好き!!!あー!恋しい!!!

①街を歩く文化
苫小牧市民は基本的に歩かない。
(吉井直道調べ)
その理由は至って簡単で、街が広いからである。もっと言うと、目的地が遠いのだ。

苫小牧は公共機関もあまり発達しておらず、そうすると自然と車社会になる。車社会は車を使用できない層からするととても住みづらい街という印象を与える。私も学生の頃、苫小牧は何もない街だと思っていた。だって歩ける距離に何もないんだもん。(車使えると色々ある街だと感じるよ!)

苫小牧と京都で過ごした私は車社会と歩く社会の大きな違いがわかる。

それは、「点と点の生活」と「線と面の生活」だ。

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23歳のある日、私は住職になりました。突然のことでした。それからはや7年。何を考え、何を目指し、何を成して、何を失敗し、どこへ向かうのか。…

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