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他人の評価に生きない

とあるお寺への常例法座、布教のご縁。

多くの場合、常例法座(じょうれいほうざ)っていうと、そこのお寺へ熱心にお参りに来ているおじいちゃんやおばあちゃんを相手に、仏さまのお話をするんだけれど、とあるお寺のとある日、とある常例法座は様子が違った。


開座30分前。とあるお寺のご住職さんがこうおっしゃるのだ。

「今日は幼稚園の卒園式。卒園式にでた保護者の方、主にお母さんが集まるのでお話をお願いします。」

え、うそ。何話そう。


私は人前でお話をする時、ご法話をする時、基本的に原稿を書かないし、何も持たない。

これは、お坊さんみんながそうだということではなくて、お坊さんのタイプによるんだけれど、原稿を書くお坊さんもいれば、その一字一句を丸暗記して臨むお坊さんもいる。お坊さんと一口に言っても様々だ。

私は、暗記が苦手なのと、原稿を書くことが苦手なので、丁寧な表現をすると、その場の「気持ち」で話している。軽い表現をすると、その場の「ノリ」で話している。ノリと言うと本当に軽い感じがするが、当人は真剣そのものだ。

そして、私のスタイル、真剣な「ノリ」は何をもとにしているかと言うと、その時の気持ちで、その時の気持ちは、その時考えたことがもとになっていたりする。


さぁ、時間になった。

本堂に入り、前へ出る。

幼稚園のお母さん方を前にして、話を決めた。


この話をしよう。

「私は小学一年生最初の登校日のことを覚えています。初めての小学校。入学式。私は吐きました。」


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23歳のある日、私は住職になりました。突然のことでした。それからはや7年。何を考え、何を目指し、何を成して、何を失敗し、どこへ向かうのか。…

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