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本の風景「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ(1984年)

存在証明

ロシアがウクライナに侵略(2022年)して2年を超えた。その破壊工作は止まることを知らない。プーチン大統領は語る。「新たな領土を解放した」と。また、ロシア正教会のキリル総主教はこの侵略を「聖戦」と位置付ける。彼らは「ㇽースキー・ミール(ロシア世界)」の概念を共有する。ウクライナはロシアの一部であって、ウクライナの人々の祖国はロシアでなければならない、と。祖国を奪われた人々は存在の場を見失った。
一方、国内では「最期は本名で迎えたい」と、一人の男が語りだした。
49年間の逃亡の末、末期癌を患い、入院先の病院で語った。彼は、1975年、連続企業爆破事件で指名手配され、49年間「偽名」で逃亡生活を送ってきた。2日後、男は死亡した。「本名で死んだ」彼の存在証明とは何だったのか。

「存在の耐えられない軽さ」

「トマーシュ」はチェコ・プラハの病院の腕の立つ外科医だった。彼の趣味は多くの女性と愛し合うことで、彼はそれを「性愛的友情」と呼んでいた。そんなある日、ある小さな町のレストランでウエイトレスの「テレサ」を呼び止め、コニャックを注文した。それは「絶対的な偶然」であった。彼女は1週間後プラハのトマーシュを尋ねる。二人は結ばれる。トマーシュは相変わらず性愛的友情に精を出し、孤独な彼女は苦悩する。テレサはトマーシュの愛人「サビナ」の紹介で新聞記者の仕事を得る。
 1968年、突然、ロシアがチェコに侵攻した。テレサはロシアの戦車と兵隊の写真を撮りまくった。その写真は多くの海外ジャーナリストの手に渡った。しかしそれは危険な日々でもあった。ロシアによってカメラを手にできなったテレサはホテルのバーで働く。トマーシュは、上部機関から求められた「自己批判の声明」を拒否し、「窓を洗う労働者、すなわち窓洗い」になった。秘密警察が見え隠れする中、二人は田舎の町に引っ越す。トマーシュはトラックの運転手、テレサは牛飼いとして、共に村に馴染んでいく。ある日、テレサは言う「私は何も失っていないわ。あなたは何もかも失ったの」。トマーシュは答える。「君は僕がここで幸福なことに気が付かないのかい」と。その3年後、二人はトラック事故で死ぬ。「幸福が悲しみの空間をも満たした」と、小説は終わる。

クンデラとチェコ


ミラン・クンデラ

ミラン・クンデラ(1929~2023年)はプラハ音楽芸術大学を卒業したが、34才の時の作品『微笑を誘う愛の物語』で作家活動をスタートさせた。1963年以降、チェコスロヴァキアはソ連のスターリン体制を批判、自由と民主化が進んでいた(『プラハの春』)。しかし、1968年ソ連軍の突然の侵攻によって、プラハの春は一夜にして幕を閉じた。プラハの春の積極的な支援者であったクンデラは、当局からの圧力と共に、著作はすべて発禁となった。1975年フランスに亡命し、市民権を得る。そこでの著作『存在の耐えられない軽さ』が世界中の読者を魅了した。作品中、テレサの撮った写真に語らせる。「そこには戦車や威嚇のこぶしや破壊された家、血まみれの赤青色のチェコ国旗で覆われた死体」等々。
 クンデラは、2023年94歳で没した。なおチェコは1989年「ビロード革命」によって再び自由を取り戻した。

存在の重さ軽さ

「人生のドラマというものは、いつも重さというメタファーで表現できる」。ミラン・クンデラのテーゼである。人生において、その人にとっての「重さ」あるいは「軽さ」が人生を左右する。「重さ」は、時に、幸福や絶望をもたらす。しかしクンデラは語る。「愛も祖国もないとしたら、何を裏切るのか」と。『存在の耐えられない軽さ』には、トマーシュとテレサのほかに、サビナの愛人「フランツ」が登場する。サビナは語る、祖国を失った彼らにとって、それは「重さのドラマではなく、軽さのドラマだった」と。それは、人間の生の「存在の耐えられない軽さ」と。(大石重範)

(地域情報誌cocogane 2024年6月号掲載)

[関連リンク]
地域情報誌cocogane(毎月25日発行、NPO法人クロスメディアしまだ発行)

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