ミヘイル・サアカシュヴィリという人物を分析!

ミヘイル・サアカシュヴィリ。

ロシアウクライナ戦争において、メディアでほとんど登場しなかった人物だと思います。

なぜこの人を取り上げるのか。
先の投稿で紹介した「ウクライナ・オン・ファイヤー」というドキュメンタリー映画のなかで登場します。

サアカシュヴィリ氏はWikipediaでは結構な量の記述がされています。

そして、おそらくアメリカ政府によって雇われた傀儡政権作りのための人物であると思われます。

ということで、Wikipediaを中心にサアカシュヴィリ氏を分析していきましょう。
きっと納得できるような展開であると思う方は多いはずです。


出生地


1967/12/21、ジョージアの前身、グルジアに生まれる。
グルジアは、旧ソ連の支配下にあったが、ソ連崩壊とともに独立した国である。

ソ連の指導者ヨシフ・スターリンの出生地でもある。

グルジアは、現ロシアからするとウクライナや北朝鮮と同じ立ち位置に当たると考えるとスッと収まるはずです。

つまり、ロシアにとっての緩衝地帯であり、決して西側に支配されたくない地域だということです、

以下、Wikipediaを中心に分析していきます。

なお、Wikipediaの中身を貼り付けた部分は、確認のために記載したものです。
最後のまとめ欄を読んで頂いても構いません。


経歴

1992年にウクライナのキエフ国立大学国際法学部を卒業
ストラスブールの国際人権研究所(フランス語版、英語版)から業績証明を取得。
ノルウェーの人権委員会で勤務
アメリカ合衆国に渡り、ニューヨークの法律事務所で勤務
1994年、コロンビア大学法科大学院で法学修士号を取得
ジョージ・ワシントン大学法科大学院(英語版)、フィレンツェの欧州大学院法学アカデミーでも学んだ

彼のこの経歴、アメリカの奨学金があってこそ適う話であるのは確かでしょう。
ジョージアで生まれ母子家庭で育った人が、ウクライナで学び、ノルウェーの人権委員会に勤め、アメリカで学位を取るなど、どこかしらの資本が入らなければ出来ないことです。


政界入り

アメリカでの勉学ののち、なぜかグルジアで政界入りしている。
1993年か94年ころでしょうか、アメリカへ渡って勉強をしたのちの1995/12月には政治家になっているのです。

「新選挙制度、独立した司法制度と警察を設立するための議会委員会の委員長として活躍。1997年の調査ではシェワルナゼ大統領についで2番目に人気のある人物にあげられた。」

考えられるでしょうか?
1992年のキエフ国立大卒からわずか5年で議会委員長とこの人気。
普通ではないのは確か。


政治家としての動き

2000/10/12、シェワルナゼ政権で法務相に任命される。
ジャーナリストが殺された事件で、シェワルナゼ大統領が腐敗をただす意図を持っていないことを非難し法務相を辞任。


バラ革命

2001/10月、グルジア議会補欠選挙で当選。11月、政党「統一国民運動」を結成。
2003/11月、「シェワルナゼのいないグルジア」を掲げ、グルジア議会選挙(英語版)に出馬
2003/11/3に発表された選挙結果は、シェワルナゼを支持するグループの勝利であった。
選挙結果に承服できないサアカシュヴィリ、ジワニア、ニノ・ブルジャナゼらは、不正選挙を訴え抗議デモを決行。
暴力に拠らない平和的な抗議活動を続け、参加者は日に日に増した。
選挙結果の認証を阻止するためサアカシュヴィリらが議会建物に入ったところ、シェワルナゼ大統領は逃亡。後に辞任を表明。
2004/1/4に行われた大統領選挙は、投票率88.97パーセント・得票率96.27パーセントという「民主的な選挙」としては驚異的な得票を得てサアカシュヴィリが圧勝。

不正選挙を理由にサアカシュヴィリ勢力はデモをしているように映る。
そして、平和的なデモと言いながらも議会建物へ押しかけ、シェワルナゼ大統領は逃げ出した。

ウクライナで起こったことと同じように感じます
ウクライナでも極右勢力が警察と交戦し、議会を包囲するとヤヌコーヴィチ大統領はロシアへ亡命することとなったのです。

サアカシュヴィリ氏は、結果的に大統領就任となる。


大統領就任

法務大臣在任中に副大臣を務めたイラクリー・オクルアシュヴィリを検事総長に任命し、シェワルナゼ政権の高官やその親族を逮捕、財産を没収
海外からの直接援助と脱税の摘発、民営化により税収は飛躍的に伸び、公務員の給与も増加した。
アブハジア、アジャリア、南オセチアの各民族共和国の分離独立運動に対しては、国を統一する方向に注力した。

大統領になってからはシェワルナゼ政権の一掃と財産を奪い、海外からの援助と言うがその相手はアメリカだろう。
汚職を摘発し民営化で税収増と良いことだらけの映るが、近隣の独立運動に対しての画策をしているのです。


メディア統制

報道機関への統制は厳しくなった。


2004/7/28、テレビ通信塔使用料の未払いを理由に民間テレビ局の所有地が政府によって差し押さえられ、大統領の記者会見や政府高官の海外訪問の取材を禁止された。
また、テレビ局ルスタヴィ2(英語版)は、サアカシュヴィリからの圧力によって売却を強いられ、当時の外相のゲラ・ベズアシヴィリ(英語版)の親族がオーナーとなった

メディア統制を行い取材も拒否となると、それは自分のやりたい放題の政策しかやらなくなります。


ジョージア抗議デモ

2007/9/25、元国防大臣のオクルアシュヴィリにより殺人および汚職を告発されたが、ほどなくしてオクルアシュヴィリは強要、マネーロンダリング、職権乱用の容疑で拘留。
11/5、大規模な抗議デモが発生。反政府デモ隊と治安当局の衝突により多数の負傷者が出たことを受け、非常事態令を発令した。デモを武力で排除するなどの強権的な手法に対し、国内外から批判が強まった。
11/16、サアカシュヴィリは非常事態宣言を解除し、国民の不満を受けて次期大統領選挙の前倒しを宣言し事態は収拾した。
11/25に大統領を辞任。
翌年1月の選挙で当選し再選を果たしたが、選挙の公平性には疑問が持たれた。
サアカシュヴィリの強権的な言論弾圧や政敵排除は、後ろ盾であるアメリカ合衆国などを始め、民主化の後退との印象を強めさせた

流れとしては政敵排除、デモが起これば武力弾圧という典型的な独裁政治のパターン
政敵排除から大統領辞任までわずか2ヵ月。
再選でも公平性に疑問を持たれるなど、アメリカの後ろ盾でも民主化は出来ていない。

つまるところ、アメリカが介在しているからといって民主化は出来るわけではないという典型例です。


南オセチアへの侵攻

2008年8月7日、グルジアが南オセチア自治州へ軍事侵攻し、同地域の大半の制圧と州都ツヒンヴァリの包囲を宣言。
これに対し同州の独立を後押しするロシアは強く反発し、同州に増援部隊を派遣するとともにトビリシへの空爆を実施し、南オセチア紛争が勃発
紛争は8/15の停戦まで続いた
グルジア軍が南オセチアから撤退し、ロシア軍が南オセチアを含む地域の一時的占領という事態に帰結。
8/12にロシアが軍事作戦を停止すると、これを受けてトビリシの議会前で数千人の支持者を前に演説し、「ロシアは我々をひざまずかせようとしたが出来なかった」と述べ、独立国家共同体脱退の意向を表明し、8/14にこの提案を議会側が承認
8/13、両者はロシアとフランスの調停案を受け入れた。
2008/9月、オクルアシュヴィリ元国防相は、国防相在任中、大統領と共に南オセチアおよびアブハジアへの武力侵攻を検討していたと述べた
今回の侵攻については拙速であり外交的支持を欠くものと批判した。

8/7から8/15までの1週間という短い紛争でした。
事案としては、サアカシュヴィリ大統領が南オセチア等の分離独立派に対してその自治州を武力侵攻したが、後ろ盾となっていたロシアの増援と反撃により撤退を余儀なくされたというものです。

また、その武力侵攻の計画は、以前から計画されていたもののようです。
そして、ロシアを非難する声明を発表というのは、まさにウクライナと同じ構図です。

ロシア人が多く住むウクライナ東部をネオナチが武力弾圧し、ロシアが武力介入して止めようとした行為を、「ロシアが侵略してきた」と批難するのと同じです。
そして、その勢力の裏にはアメリカがいる。


権勢の低下

2008/11月、反政府デモ。
2010/5月に行われた軍事パレードでは「帝国(ロシア)は再び我々の独立を脅かしている。断固戦うのだ」と述べた。
5/30の統一地方選挙では、サアカシュヴィリ率いる「統一国民運動」が他を引き離して勝利。
6月以降、サアカシュヴィリは大統領権限を制限し議会の権限を拡大する方向での憲法改定を進めた。
10/15、グルジア議会は憲法改定案を承認した。
この変更は2013年の大統領選以降有効となる。
2011/5月、ニノ・ブルジャナゼによってサアカシュヴィリの辞任を求める大規模な抗議デモが行われた。
ブルジャナゼはサアカシュヴィリを専横政治と批判した。
警察による鎮圧が行われ、死傷者が出る事態となった。

2012/10/1、グルジア議会選挙で統一国民運動は野党連合「グルジアの夢=民主グルジア」に過半数を奪われる結果となり、親サアカシュヴィリ派政権は内閣総辞職に追い込まれた
新首相には「グルジアの夢」のビジナ・イヴァニシヴィリが就任した。
イヴァニシヴィリ首相は就任にあたって、サアカシュヴィリが私物化していた大統領官邸からの立ち退きを要請したが、サアカシュヴィリは「大統領官邸は大統領の私物だ」と反論した。
これに対してイヴァニシヴィリ首相は、自ら得た私財でなく、国民の税金で賄った「私邸」に住む事は「難民や貧しい人々が多くいるこの情勢を考えると、非倫理的である」と非難した。

10/23、イヴァニシヴィリ政権が本格的に始動すると、ダヴィッド・ウスパシュヴィリ(英語版)国会議長を委員長とする政府調査委員会が設置され、統一国民運動体制下での諸問題について調査を開始した。11月22日、イヴァニシヴィリ首相は、個人的にはサアカシュヴィリ大統領の逮捕を望んではいないが、検察が訴追が必要と判断したならば特に介入はしないとコメントした。
2013/4/12、イヴァニシヴィリ首相は南オセチア紛争の開戦経緯について再調査を行うと述べた。
大統領の評判を削ぐためではないかとの見方に関しては否定した。
テア・ツルキアニ法相は、必要があればサアカシュヴィリ大統領への尋問を行うと述べた。
2013/10/27に行われた大統領選挙では、統一国民運動はダヴィト・バクラゼ前国会議長を擁立したが、親露派のギオルギ・マルグベラシビリ前第1副首相に敗れた。
サアカシュヴィリは11/17をもって大統領を退任した。

2008/11月の反政府デモを皮切りにサアカシュヴィリ氏の支持は低下します。
デモには警察による武力鎮圧を図り、野党が大勢を占めることとなった瞬間に自らの行いを調査され、公邸の私物化、南オセチア紛争の開戦経緯と、次々と曝かれることになります。

そして、2013/11/17に大統領辞任という結末。


グルジアでの政治(中間まとめ)

彼は1995年以降、政治家として活動し大統領まで登り詰めますが、結果として独裁政治と私物化、武力弾圧、分離独立派に対する侵略行為とロシア批判ということがほぼ中心的な内容です。

このような彼に対して、国民は追い出すことを選択したのです。

しかし、下記の記事のように、ノルウェーの人権団体は彼に人権賞を与えるという異様な状況が現在です。
ノルウェーの人権委員会は、彼がかつて勤務していた団体です。

記事の中で、ジョージア首相は国民に対する侮辱と発言し、嘲笑しています。

このように、何ら国民から評価されない人物が、平然と人権賞を授与されていることからしても、国際的な人権団体がいかに腐敗した団体であるか。
それはグローバリストの団体だということでもあるのです。

Saakashvili のノルウェーの人権賞、民主主義はジョージア国民への「侮辱」 – 首相
(2023/3/28)


ウクライナでの政治活動

ウクライナでは2013/11月下旬より、親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権に対する抗議デモが行われていた。12/1にはキーウで35万人もの人々が抗議活動に参加した。

12/7にもキーウで2万人規模の集会が行われた。
これに参加したサアカシュヴィリは連帯を表明するとともにロシアの暴力性を指摘した。

2014/2月、マイダン革命によりヤヌコーヴィチは逃亡、ペトロ・ポロシェンコが新大統領に就任した。2015/2月、ポロシェンコ大統領は、大統領顧問としてサアカシュヴィリを招聘し、改革に関する国際諮問評議会の議長に任命した。

5/30、ポロシェンコ大統領はサアカシュヴィリにウクライナ国籍を付与し、オデッサ州知事に任命した。
オデッサ州は親露派が多く、5/2には州都オデッサで親欧米派と親露派の衝突に端を発した火災により多数の死者が発生する事件が起きていた。
反露主義の亡命政治家であるサアカシュヴィリの知事就任により、同地域の親露派制圧の抑え込みを図ったものと考えられた。

2016/11/7にオデッサ州知事を辞任する意を示し、ポロシェンコ大統領は同9日にサアカシュヴィリを知事職および顧問職から解任した。

2017/7/26日、ポロシェンコの大統領令によりウクライナ国籍を剥奪され、ウクライナ国籍のみを有していたサアカシュヴィリは無国籍状態となった。
国籍剥奪の理由は明らかにされていないが、汚職撲滅に際して多くの政敵を作ったことが一因とする意見がみられた。
サアカシュヴィリはその後ポーランド、リトアニアを訪れ、2017/9/10、ユーリヤ・ティモシェンコ元首相ら支援者の手助けにより、ポーランドからウクライナへ検問所を通過して入国した。

2017/10月、ポロシェンコ大統領の辞任を求める抗議デモに参加。
12/5にはポロシェンコ政権打倒のため蜂起を呼びかけたことが国家転覆容疑にあたるとして逮捕されたが、支持者の手により解放された。
翌6日に犯罪組織参加罪などの罪で起訴された。
8日に身柄を拘束され、12月11日に保釈された。

2018/1/5、大統領在任中の2009年に殺人罪で服役していた元警官4人に対し違法に恩赦を与えたことが職権乱用にあたるとして懲役4年の実刑判決を言い渡された。
2/12、不法滞在を理由にキーウで拘束され、その後ポーランドに強制追放された。

2019/5月、ウクライナの新大統領に就任したウォロディミル・ゼレンスキーによりウクライナ国籍剥奪が無効とされ、ウクライナ国籍を回復した。
さらに2020/5/7、ゼレンスキー大統領により改革執行委員会議長に任命された。

グルジア大統領を退任直後の2013/12月、なぜかウクライナの親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権に対する抗議デモに参加しています。
彼はロシアの暴力性をデモで訴えていました。

時系列で追うと、ポロシェンコが大統領となってからは、
2015/2月、国際諮問評議会の議長に任命される。
2015/5/30、ウクライナ国籍の取得とオデッサ州の知事に任命される。
オデッサ州は親露派が多いので、その鎮圧とみられています。

2016/11/7、オデッサ州の知事を辞任。
ここで、なぜかポロシェンコ大統領と敵対するようになります。

2017/7/26日、ウクライナ国籍を剥奪。(無国籍状態)
2017/9/10、ポーランド、リトアニアを訪れ、ポーランドからウクライナへ検問所を通過して入国(ユーリヤ・ティモシェンコ元首相ら支援者)
2017/10月、ポロシェンコ大統領に辞任要求のデモに参加。
12/5、国家転覆容疑で逮捕、犯罪組織参加罪で起訴、8日に身柄を拘束され、12/11に保釈された。

ウクライナ国籍もない人間がウクライナに再入国し、大統領にデモを行い逮捕起訴されるという流れは、政治的な支援がないと出来ることではありません。

2018/1/5、グルジア大統領時代の罪で実刑を言い渡されましたが、ポロシェンコ大統領は彼を不法滞在でポーランドへ追放しています。
これもおかしな話で、なぜグルジアへ送還しないのか。
なぜポーランドなのか。

2019/5月、ウクライナ大統領がゼレンスキー氏になると、ウクライナ国籍の回復と改革執行委員会議長というポストが与えられたのは、一体なぜなのか。
まさしく、アメリカの工作員としてサアカシュヴィリ氏がウクライナへ入り込み、またゼレンスキー大統領も同じ立場であるということだからです。

こうしてみると、ウクライナでの政治活動はポーランドを介した西側勢力に傾いた動きが目立ちます。

ポロシェンコ大統領は以前からウクライナの閣僚としても活躍してきた人物です。
同時に、カカオ豆ビジネスで成功しチョコレート王とも言われる人物。
そういう意味では搾取する側であり、グローバリスト側でもあります。

ユーリヤ・ティモシェンコという女性政治家にも支援を受けてポーランドから入国した経緯もありますが、ティモシェンコ氏はがロシアと西側のどちらよりなのかはハッキリしません。彼女は「ガスの女王」と言われていたようです。
そういう意味では、ロシアもアメリカも双方が彼女の役割を重要視しているのは確かですね。


ジョージアでの拘束、ハンガー・ストライキ

2021/10/1にジョージアへの帰国を試みたが、職権濫用で有罪判決が出ていたため国境で当局に身柄を拘束された。
サロメ・ズラビシュヴィリ大統領は、国を不安定化させる意図があったと批判し、決して恩赦を与えることはないと語った。
サアカシュヴィリは公正な裁判手続きを求めてハンガー・ストライキを開始した。
2021/11月末、生命の危険が生じたためゴリにある軍病院に移され集中的治療を受けた。
12/18、医師団は拘留中の拷問や虐待のためサアカシュヴィリが深刻な健康状態にあると発表した。
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルも偏った正義、政治的報復が行われているとして当局の対応を非難した。
2022/2月から3月にかけてもハンガー・ストライキを行った。
5月、医師団は、サアカシュヴィリに神経系の症状が現れており、早急な治療が必要と述べた。
12/5には弁護団が医療報告書を公開し、その中でサアカシュヴィリが重金属と思われる毒を盛られたため適切な治療を必要としていると訴えた。
サアカシュヴィリを診察した医師は報道取材に対して脳障害と中毒性の神経疾患があると診断されたことを明かしているほか、別の医師によれば拘束された後に40kg以上もの体重が減ったと証言している。
一方でジョージア当局は十分な医療を施していると反論している

サアカシュヴィリ氏は、2021/10/1にジョージア(旧グルジア)への帰国を試みましたが、逮捕状が出ていたので拘束されました。

ハンガーストライキを行ったり、毒を盛られて治療を受けるなど散々な目に遭っていますが、現在はここまでで終わっています。

結局、西側の工作員としてグルジアとウクライナで政治を行い、成れの果てが獄中でもがいているのですね。


まとめ

プーチン大統領は、サアカシュヴィリ氏がオデッサ州知事となったことについて、ウクライナ・オン・ファイヤーの作品のなかで

「オデッサの人々とすべてのウクライナ人に対する侮辱です。彼の入った大学では、アメリカの就労ビザさえ与えられず、彼は定職にも就けなかったのです。しかし、彼はオデッサの知事になれるのです。知事の仕事に相応しい、プロフェッショナルで有能なウクライナ人が他にいないのでしょうか。」と語っています。

ウクライナ・オン・ファイヤーより

そんな彼がアメリカへ渡航し、大学で学び、グルジアで大統領となる。
ウクライナのオデッサ州の知事になったときも、アメリカ外交官ジェフリー・パイアット氏は

「オデッサの政権がウクライナで結果を出している限り、米大使館やワシントンからの訪問客がどんどんやってくるでしょう。」と、述べています。

ウクライナ・オン・ファイヤーより

グルジアは1991/4月に共和国として独立。
ソ連共産党員が多かったため、独立当時は紛争は絶えない情勢だったようです。

シェワルナゼ政権が10年続いている間に、国際連合に加盟。
2003年、バラ革命では不正選挙を理由に抗議デモが始まります。
同時に、サアカシュヴィリ氏がすでに運動に関わっており、アメリカも不正選挙を批難していることは、ウクライナのマイダン革命に似ています

2004年からサアカシュヴィリ氏が大統領になったあとは、2008年に南オセチアを攻め入ったとき、ロシアの反撃にあいました。

Wikipediaでは、「コーカサス研究の廣瀬陽子によれば、ジョージアが主張した「ロシアから挑発があったから攻撃した」という主張は正当性がある」としています。

しかし、2008/9月、「オクルアシュヴィリ元国防相は、国防相在任中、大統領と共に南オセチアおよびアブハジアへの武力侵攻を検討していた」とあるのであって、ロシアからの挑発があったとの話が仮に事実だとして、それ以前に武力侵攻を計画し、実行したのはサアカシュヴィリ氏です。

彼女の経歴を見ると、米国のシンクタンクに関係があるようです。
廣瀬陽子氏は、度々メディアにも出ている人物で、所感としては「西側の言い分」を主に主張し続ける方でしょうか。

事実

では、事実を確認しよう。
物事は、事実を見ればおのずと分かることがあるはずです。

ロシア軍は、1990年代初頭の紛争で平和維持軍として南オセチアに駐屯しています。
グルジア軍の南オセチア侵攻に対して1週間程度で紛争を鎮圧した。
ロシアは、これを機に南オセチアとアブハジアの独立を承認しました。

ロシア軍は、国際的な停戦の受け入れを行ってグルジアから撤退しています。
その後においてもグルジアをさらに攻め入ることはしていません

ロシアの緩衝地帯への介入は、主にNATOの拡大阻止でしかありません。
一体何のために、ロシアがグルジアを挑発するのでしょうか?
独立承認のため?
いや、それ以前から事実上、ロシア軍が駐屯していたのですから必要はないでしょう。

ランドパワー国家

これは、地政学的な話ですが、ランドパワー国家は外へ出て行くようなことは基本的にしない。
シーパワー国家は外洋を使って外へ出ようとします
シーパワー国家は、アメリカ、イギリス、フランスなどを指します。
日本もシーパワー国家ではありますが、民族的には両方できるというのが茂木先生の話でした。

ロシアはグルジア大統領がサアカシュヴィリ氏であり、アメリカの後ろ盾で動いていることは承知です。

したがって、アメリカがロシアを脅かそうとした動きに対して抵抗しているのであって、それ以上は望んでいないことは行動から見れば分かります。

だいたい、グルジアや南オセチアの産業、人口規模を考えてください。
小さすぎて、先進国が率先して大事にしないといけない国家でしょうか。
経済規模として、他国が利を得られる国でしょうか。

この紛争で西側はロシアに経済制裁はしていないことが、利益とならないことを意味しているのです。

人道的に経済発展の協力をすることは良いとしても、それ以外でアメリカやNATOが介入するには、相応の理由が必要です。

それが「ロシアが悪」というレッテル貼り。

要らぬ紛争を意図的に起こし、そのたびに介入し、敵対するロシアを悪と言っている

つまり、ロシアを攻め落としたいアメリカは、ロシアに対してあらゆる工作をもって仕掛けていること自体が「おかしい」と言っているのです。

ソ連崩壊後、ロシアが、アメリカが背後にいない紛争を引き起こしたでしょうか?
いや、無いと思います。
ロシアが介入する紛争の裏にはアメリカやNATOがいます。

西側がそのような行為をしなければ、世界中でアメリカが関与する紛争は無くなるでしょう。

日本においても同じです。
尖閣諸島問題や北方領土問題、北朝鮮のミサイル発射など、どれもアメリカを意識した行動です。
日本を盾にしたアメリカの存在がそうさせているのです。

ロシアが完全無欠の良識国家だとは言わない。
それは日本も同じです。

どっちが良いとか悪いとかではなく、根本的なことは国家のなかでの話であって、それは民族、風習、歴史に依存します。

平和な世界を作る前に、自国の平和が第一だということが国として当然の国益だということです。

西側の目的は、グルジア、ウクライナのNATO加盟でした。
それはロシアを潰すための戦略の一環。

ロシアを潰して、ロシアの国富をぶんどろうとしているだけの話です。

すべてが計算の上で、長期的に工作員を送り込んでいくのがグローバリストでありDSなのです。
アメリカ政府やNATOは、そういった連中に使われているだけの組織と言っても過言ではありません。

サアカシュヴィリ氏がこれからどうなっていくのか、獄中で、あるいは誰かが助けるのか。

普通に考えれば、ただの政治家です。
犯罪で投獄されているのならそれは償うことになる。

しかし、アメリカがまだ必要とするなら圧力をかけるでしょう。
あるいは、用済みとなった?

ジェフリー・エプスタイン氏のように・・・


追加投稿

アブハジアの独立化(2023/6/4)

南オセチアとともに自治権と独立を望んでいる地域であり、ロシアが後ろ盾となっている地域です。

そして、アブハジア人がグルジアからの独立と親ロシアであるという内容が記載されています。





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