三輪徳子さん カフェ トロワバグ店主(東京・神保町)
※この記事は2016年に伺ったインタビューです。
神保町白山通り沿い。表の看板を目印に地下へ降りると、開店から40年間、この場所でずっと珈琲屋を続けてきたカフェ・トロワバグと出会うことができます。
長年お店を切り盛りしていた母と同じカウンターに立ち、現在トロワバグの二代目オーナーとして人と人のつながりの場をつくる三輪徳子さん。お店にとって大きな存在であった母の「アトをツグ」という働き方、その生き方についてお話をしていただきました。
「店に立つことは、ずっと前から決めていました」
三輪さんの父さまがオーナーとして1976年にはじめたトロワバグ。開店して5、6年経った頃から、子育てに一段落付いた三輪さんのお母さまがお店に立つようになりました。凛としていて、お店での存在感はとても偉大で遠い存在だったといいます。
—三輪さんがお店を手伝いはじめたとき、お母さまは何と言われたのですか?
「ありがとう」って、ほっとした感じでしたね。「もっと仕事したかったでしょう」とも言っていましたけど、お店に立つこと自体はもうずっと前から決めていましたから。
—大学を卒業して、就職活動されたときもお店に立つことは決められてたのですか?
学生の頃からお店で働くことは決めていたんです。だけど、大学出たばっかりのお姉ちゃんがこういうカウンターに立っていても何の説得力もないので。まずは、社会に出て人生経験を積んでから、という思いでした。
三輪さんは、卒業後少しでも「珈琲屋」に関係のある仕事を、とご両親も大好きであったイタリア食器の会社に就職して営業や広報の仕事をされていました。
学生の頃からお店で働くことを決めていた一番の理由は、ここで働く母の姿を子どもの頃から私が見ていたってことですね。やっぱり母の姿は凛としていました。家にいるときの姿とは違って、あこがれでしたね。
—お家では違ったのですか?
家にいるときは全然ちゃんとしてなくてまったく抜けたお母さんになっちゃう。まあ、私もおんなじなんですけど(笑)
—学生の頃、お母さまにお店で働きたいことを話されたりはしましたか?
いいえ、まったく。反対したと思いますよ、珈琲屋と言っても水商売ですからね、安定してないし、女性だし。就職して、結婚して、子どもを産んで専業主婦になって家庭を持つと思っていたでしょうね。私にこの店を継いでほしいって言ったことは一度もないんです。でも、気づいていたのかもしれませんね。
母の生き様を、一番近くで見ていた
お母さまの体調が傾きはじめてから、当時の仕事を退職してお母さまと一緒にお店に立つと決めた三輪さん。二人で切り盛りした5年間、亡くなるその一週間前までお店に来られたお母さまの姿を一番近くで見ていたのは三輪さんでした。
体調を崩した頃の母は辛そうで、今まで手伝ってほしいなんて言われたこともなかったけど、普通じゃないなと感じました。一緒にお店に立つようになってから2年過ぎた頃に母の病気が癌で、余命は半年だと言われました。
病気になってからの母の生き様は壮絶で、私はそれを一番近くで見ていました。最後の1年、痩せてしまってお客さんも目をそらすほどでした。お会計もできなければ当然珈琲も淹れられない。父が連れてきて、よろよろになりながら最後は座っているだけでした。
ふつう、女性だったらあんな状態だったら外へ出たくないと思います。でも母はお構いなし。「ぎりぎりまで此処へ来る」と言って、お店へ出たくないとは最後までいいませんでした。
仕事へかける熱意なんてものは全然なかったと思います。それが母の生き方、生き様でした。
—お母さまの後を継がれてからからの2、3年はお店のことだけに集中されたとお聞きしました。どういうお気持ちだったのでしょうか。
母にとって、お店は人生そのもので、それを私は近くで見ていたのでこのお店を続けることは私の使命だと思いました。命をかけていましたから、あの人は。それは私だって生半可な気持ちではできないです。母を亡くして、覚悟が決まったというのはありますね。
むしろ、一緒にできた時間があったのはラッキーでした。残してもらったことがとても大きいです。一からはじめるのはとても困難で、私には「アトをツグ」ことが合っていたんです。母親の代があって、私の代がある、それを守っていけることが何より嬉しいんです。楽しくてしょうがないです。
此処に携わってきた、膨大な数の人たち
わからないことが多く、一人でお店をまわす大変さで余裕のなかったはじめのうち、たくさんの方が三輪さんを助けてくださったそうです。街のお店の方や、同じ喫茶店の方々が「大変なときは何でも協力するから」と訪れ、三輪さんは人のつながりを深く感じたといいます。
私がお店を手伝う前にこのお店には10年、20年以上の歴史があって、そこに携わってきたお客さんや店長さんのそれぞれの歴史があって、その上でいま私が関わらせてもらっているんだな、と。当然、それは母だけがつくってきた歴史ではない、膨大な数の人々の存在があるんだと思い知らされました。
ここに一人で立っていた母の偉大さも改めて感じましたし、どれだけ大変なことだったのかすごく実感しました。
だから、はじめた最初の2、3年は他のことは一切やめてお店のことだけに集中しました。4、5年経った頃からどんどん楽しくなってきて、今はもう「天職」だって思っています。
私はわたしでいいんだと思えた
—突然、お店を一人で継ぐ瞬間。不安だったのではないでしょうか
1つ言えるのは、不安で不安でしょうがないってことはなかったです。その余裕もなかったのかな。「やるしかない」という思いでした。
涙もでなかったんです。母が亡くなった時期もお店は営業し続けていました。母の代わりに、お世話になったお客さまに言葉で感謝を伝える、そのことで必死でした。悲しめるようになってきたのはやっと1年経ったくらいの頃でしたね。
ただ、母にはかなわないという思いはいつもありました。母の存在感にも、珈琲にもかなわない。母みたいな存在になれるのかという不安はありました。
私が言うのもなんですけど、母はきれいな人だったんです。上品で、私とはキャラクターの違う存在感を持った人でした。
昔は、母が珈琲一杯出すのに平気で30分、40分お客さまを待たせても、お客さまから一切文句が出てこなかったんです。有無を言わせないんです。今みたいな時代じゃ考えられないですよね(笑)
それだけどっしりと存在感のある人で、私がそうなれるのかっていう不安はありました。それが、「私は私でいいんだ」って思えるようになったのはここ最近のことです。
この空間と、珈琲、そして私がオーナーであること
「うちにはお酒を置かない。ここを酒場にするつもりはない」三輪さんのお母さまはいつもそう言われていたそうです。ところが現在トロワバグでは、毎月のイベントとしてワインと様々なテーマを楽しむイベント「ワインアカデミー」が行われており、毎月多くの人で賑わいます。最近は三輪さんが酒屋さんの免許をとりワインショップとしてもお客さまを楽しませます。
—自分らしくやろうと思ったことで楽になったとのことですが、この大きな変化もそこがきっかけなのでしょうか。
母が亡くなって4年くらい経った頃ですかね。
私、儲けたいわけではないんですけど、ただ正直これ以上どんなに精一杯やっても売り上げがずどんと上がることはないな、と思ったんです。
母には父がいましたが、私は女一人。このお店で生計を立てている。これが私の生きる道、なんですよね。
—これが私の、生きる道・・・
これまで通りやってもなんとかやっていくことはできたかもしれないけど、経営者としては常に上を見ていたい。これからもずっと手を抜かずに自分のモチベーションを挙げる為にも新しいことをしていたいという気持ちになったんです。
そこでまずはじめに、珈琲が苦手な人にも居心地を良くしてもらうためにお店にグラスでビールとワインを置くことにしたのですがこれには思ったより決断に時間がかかりました。母が「うちにはお酒は置かない」って言っていましたから。
—昔からのお客さんの反応も気になります。
トロワバグに純喫茶のイメージを持つお客さんは抵抗があったと思います。でも、「ダメならやめればいいや」という気持ちで。これも母から教わったことなんですけどね。失敗したら、最初に戻ればいい。その思いでした。
—大きな決断でしたね。そして、ワインアカデミーはさらに大きな変化ですね。このきっかけはなんだったのでしょう。
この空間、このアンティークの空間は他にはないものだと思うんです。これを珈琲屋だけにとどめておくのが勿体ないと思って、昔からこの空間を使って人と人をつなげてコミュニティができるような何かをやりたいなと思っていました。トロワバグにとって他にはない秀でたものはずっと珈琲。これは絶対に変わりませんが、それと、この空間、そして私がオーナーであるということ、これもうちの武器だと思ったらもう珈琲屋だけで終わらせたくないとなりました。
私、やりたいことしかやってないです。飲みたいワインでイベントをして、楽しんでくれたお客さんが「このワイン買いたいのに買えないんじゃおもしろくないよ」と言われたら、それもそうだなと税務署へ通って酒屋の免許取って。
母が今のトロワバグを見たらびっくりするでしょうね。ここでワイン開けてイベントやって・・・。
—それは、お客さんを待たせても有無を言わせなかったお母さまの気質を受け継いでいらっしゃる気もします。
そうそう、そうですね。私、全然くよくよしないんです。ただ、大切なお客さまに迷惑をかけることだけは避けないといけませんから、迷惑がかからないように気をつけながら。
—三輪さんにとって、変えてはいけないものとはなんなのでしょう。
絶対変えちゃいけないのは珈琲の味ですよね。ネルドリップの珈琲はとても難しいんです。機械ではないので、昼間に飲んでいただいた珈琲と、今飲んでいただいている珈琲は淹れている人が違うので同じものではないんです。季節によっても、ネルの保管によっても味に出てしまう。だけど、圧倒的に珈琲屋であることは絶対に変えたくないし、死んでも珈琲の味は落としたくないです。
それと、この空間。
京都のお寺のイメージに近いんです。古いけど、ぼろくない。お店はいつもピカピカにして、お花を生けています。ただでさえ地下の閉ざされた空間ですので、この唯一の空間がいつでもきれいであるように、そこは変えずに守っていきたいです。
経営者として新しいことはこれからもやっていくと思いますが、ずーっと根底にあるのは「ダメだったら戻ってくれば良い」という母の教えです。ここが珈琲屋であることは私が死ぬまで変えるつもりはないし、ここを守ることが大前提なので、大変だったらまた戻ってきて珈琲屋をやっていこうという気持ちです。
—このお店を継いだことはラッキーだと言われていましたね。
そう。私はほんとうに恵まれているなぁって思うんです。母の娘に産まれて来て、父と母の間に産まれて良かったなって思います。私が人を集めてイベントをしようとするところなんかは父親ゆずり(笑)
ちょっと人とは違う人生ですけど、それはそれで自分の中では私らしい生き方だし、後悔したことは一回もないですね。この境遇、生き方をかわいそうって言う人もいるだろうけど、私は私をかわいそうとは思わないです。自分の価値観は自分で決めるものですから。
(じじのあとがき)
強く生き生きと話された三輪さんにかわいそうという言葉は似合わず、お母さまにいつも言われていた「お客さまの前に出るときはきれいにしていなさい」という教えを守られて今日もカウンターに立たれています。
アトツギとして生きることに苦労も努力もされた三輪さんのお話は、トロワバグに関わるすべての人への温かい想いと、これからの出会いへの期待に溢れていました。
2020 アトツギのいま
今回、記事をwebに掲載させていただくことについて三輪さんへご連絡させていただいたところ、こんなメッセージをいただきました。
「生きてると思いも寄らずいろんな事が起こります。
でも、こんな時だからこそ、ブレてはいけないのだと私は思います。
もちろん、時代の流れに寄せていかなくてはいけないこともあります。
でも変わらずにいる大切なことを見失ってはいけないと思うのです」
現在、カフェ トロワバグさんは営業時間を短縮して営業しています。
オンラインショップでは、トロワバグブレンドのコーヒー豆や、マスタード、プレゼントにもぴったりの可愛らしいコーヒーチケットの販売も行われています。
久しく神保町へは訪れていないけれど、懐かしいと思われた方、神保町へ訪れるきっかけをつくってみようという方は、記事と併せてトロワバグさんのオンラインショップも覗いてみてはいかがでしょうか。
もちろん、神保町へ訪れ、地下の階段を降りていけば、そこには美しく磨かれた唯一の空間と、いつまでも変わることのない美味しいコーヒーが待っています。
カフェ トロワバグ
東京都千代田区神田神保町1ー12ー1 富田ビルB1
営業時間:[月〜金]11:00〜20:00(L.O 19:30)[土・祝日]12:00〜19:00(L.O 18:30)
定休日:[日]
※2020/6/12現在の営業時間です。最新の情報はカフェトロワバグFacebookページをご覧ください。
カフェ トロワバグ公式サイト・オンラインショップ
https://troisbagues.com/
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