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地底街20-25-330(八王子入口)について(3)

 実の父とはいえ容赦するつもりは全くありません。このような狂ったホラ話が人の目に触れ、吉内の存在や彼の犯した罪が再び注目されることは、離婚した妻、つまり私の母と娘の私に大きな不利益を生むことでしょう。吉内の地底街冒険譚は単なる妄想です。彼が地底街で生活したと主張している1990年10月頃は、まだ私達家族が一緒の家で生活をしていた時期と完全に被ります。その時の日付が入った写真も数枚ですが保管してあります。たしかにその数年後、吉内の統合失調症(当時は精神分裂病と呼称されていました)が原因で家族は離散し、私は吉内との接点を持たなくなりました。今になって考えるとより善い解決方法が他に幾つもあったのだとは思ます。しかし、当時の環境は私達女2人の力だけではどうしようもないことで、頼りになる相談相手もおらず、どう対処するべきなのか検討も付かない状況でした。あの頃、吉内だけではなく私達の精神もとっくに限界値を超えていたのです。
『自立訓練施設八王子あすなろ無差別殺傷事件 吉内巽とは何だったのか』 フリーライター石邑しえ(吉内しえ)


 幼い頃の私は多くの同級生がそうであったように、地底などという有限的で閉じた陰鬱な世界よりも、無限に開かれた広大な宇宙の神秘に想いを馳せていた。学生時代は天文クラブに入り浸り、自分は宇宙を語る偉大な学者になる者なのだと、特化した努力を何一つせずただ漠然と思い込んでいた。だが方々で言われているように、人生というのは思い通りに進んでいくものではなかった。ふと気が付くと、私は長野のプロアイスホッケーチームでスカウトの仕事を専門としていた(何故そんなことになってしまったのか、何かきっかけがあったはずなのだが全く思い出せない)。もちろんプロアイスホッケーチームのスカウトなんてまったくやる気が無かったのだが、何かの間違いで私は平均的なサラリーマンの2倍以上の月収で雇われるカリスマスカウトマン的存在になっており、その界隈に吉内巽の名を轟かせた。話によると長野の敏腕スカウトマンの存在は朝鮮半島やウラジオストクのアイスホッケーチームまで知れ渡っていたという。今となっては確認する術が無く、その真偽は分からない。とにかく、とてつもない速度で過ぎ去った色濃いスカウトマン時代は、幼い私が抱いた宇宙への淡い憧れを完全に置いてけぼりにした。そして、ぽっかりと空いたその席を埋め合わせるためだけに私が手を出したのものが、他ならぬ地底街だった。当時の私が逃れることのできる中で、最も現実に即した楽園が地底街だったのだと言えるだろう。

「地底はその認識範囲に限界があり、絶対的に私たちの下のアイレベルにしか存在できないものです。しかし、私達が地底を想像する時と宇宙を想像する時に他と共有し得る要素の数を比べると、地底が宇宙を圧倒的に超えてくることが分かります。つまり、私達人間が生涯を使って理解し、血肉にし、何かを学び取りそれを実践するためには宇宙はあまりにも大き過ぎるのです。世界中の玩具が入ったおもちゃ箱は運ぶのに精一杯で、いざ遊ぼうとなると疲れてどうしようもありません。勿論、宇宙を求めるのは長い歴史を受け継ぎ、次に繋げるという御立派な大義のためだ。と仰る方は多いですが、私の偏屈な意見を述べるとすれば "それではどうにもならない" んです。この目紛しく変化するカオスな社会を生きるためには、もっと身近で物質的でインスタントな、リアルに即した夢が無ければならないのです。それが例えメッキだとしても、ハリボテの舞台美術であったとしても良いではありませんか。そういうふうに作られた物を冷静で辛辣な視点で見つめて、黙々と評価をし続けるだけの人生なのであれば、会社員の溢れる平日の朝の駅で線路にダイブし、ぽろんと首を落として貰った方が数千倍幸せでしょう。宇宙が未知の詰まった永遠のノンフィクション、地底が現実逃れの為だけの消費的なフィクションなのだとすれば、私達はそんな下品で不便なフィクションに帰らなければならないのです。私達も地底と同じ非生産的なフィクションの存在なのですから」
 スカウトマン時代の貯蓄を切り崩しながら無職生活を送っていた私を、とある大学の地底街同好会に誘ってくれた石邑玖美子教授の素晴らしきスピーチの一部である。
 
「ええ。私は妻を、石邑玖美子を心から愛していました。私達は同じ場所で同じ時を過ごし、地底街への似たような希望を2人で膨らませ続けていました。そして結婚し、娘が生まれ、私は父になりました。まさか20代のうちに家族が持てるとは、いや生涯をかけても私に守べき他人ができるだなんて考えもしませんでした。やはり石邑玖美子が言っていたように私達人間には、それが安物であれ、大量生産された物であれ、作られた偽物であれ、しっかりとリアルに即し、ここにこうして手に取って触ったり匂いを嗅いだりできるサイズの夢が必要なのです。当時の私はこう確信していました。すべての幸福は地底街が私に与えた物であり、私が地底街を信じるからこそ、地上のこの肉体に恩恵を受けることができているのだと。そして、最期に私は必ずや地底街に回帰しなければならないのだと、固く信じることができていたのです」
2000.4.13 吉内巽

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