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昭和の実験室

 久しぶりに小学校で授業をする機会があり、「ものの溶け方」の学習の導入を考えてみました。

 ひそかに準備室で作っておいた3色の液を子どもたちに見せると、目の輝きが変わりました。
 「何で」「何」、「どうなってんの」期待通りの声が聞こえます、

 昭和の時代なら、時間が気になり、正解である「水に溶けた砂糖の量に違いをつけ、それによってできた液の濃度(比重)の違いにより層を作ることが出来る」という仕組を「教え」その仕組(正解)を教えることがら始め、その正解を模倣するための実験をしていました。

正解を確認するための実験だったんですよね。正解以外は学ぶことのない実験が昭和の実験でした。

そこで今回は正解は何も伝えず、「自分達で確める」「自分達で考える」ことを試みてみました。「令和の日本型教育」へのトライです。

2時間の「失敗」で「グループの討論」は熱をおび、「実験とは失敗を繰り返すことだ」とあおりほそくえむ教師を睨みつける視線まで感じました。

「ネットで調べていい」「幼稚園でしたことがある、幼稚園のセンセに聞いていい?」はい、どうぞ。「知識を得ることと実際にやること」の間にはもう1つ大切なことがあることを気づいてほしいという思いがありました。

調べてても、「水に溶かしたもには重さの違いかある」という知識が解っても3つの層はできず;、秋らしい葡萄色の水が出来上がります。

実験の2時間は失敗に終わろうとしたので、最後にホワイトボードに「手順」「道具の操作のていねいさ」と書きました。

この2つがきちんとできたからこそ日本の技術があったと思っています。
「手順への試行錯誤」と「ていねいな作業」がないと「同じもの(正解)」には、たどりつけません。

昭和の「意欲関心態度」という評価項目は新しい評価項目「主体的に学習に取り組む態度」に変わったようですが、「もう一時間だけ実験させて」と目を輝かせながら語りかけてくる子どもたちを見ていると「実験」っていいなと思います。

「正解のための実験」はつまらないですよね。まして、「同じもの以上のもの(新しいもの)」を生み出すことはできません。
正解(モデル)への模倣は基礎なのかもしれませんが、基礎スキルの獲得時期にに点数をつけノルマ化する「教科指導の限界」があるように思います。

こんな実験をしたことを子どもたちが、家庭で話したら「プース・カフェ・スタイル」というカクテル「レインボー🌈」を知っている保護者の方は、僕が酒飲みなのだと思うかもしれませんね。




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