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なんか我々はもっとコテンパンにされていいと思うんよ

とりあえず一個、今日、実質内定が出た。

最後の企業の最終が3日後にあるので、そこまで待ってもらうよう伝えた。当たり前なんだけど、リモート面接ではやっぱり会社の芯はわからないことを痛感した。かなり、いやほぼ全部、実態を伝えてもらったように感じた。少なくとも新卒の時に受けた面接、うち内定が出た3社とは全く違う感触だった。これは中途だからってのもあるし、ベンチャーだからってのもあるとおもうけど。

思えば前職の不満や気持ち悪さは、面接を通して一切事前に伝えられていなかった。いや、当時のおれには伝わっていなかったというべきか。


明日からも3日で5社面接があるが、おそらくうち2社もしかしたら3社、ドタキャンしそうな気がする。全く気持ちが高揚しない。


本命最終まで3日待たなきゃいけないのがもどかしく秒で合否を出してほしいが、5日後には決めてると思うとなんとも言えない気持ちになる。けど、おそらく大半の人は、ここまで考え込まずに決めるんだろうなとも思う。考え込む理由はそういう性格だから、と言えば済む話だが、ここでタイトルにつけた

なんか我々はもっとコテンパンにされていいと思うんよ

という一言が身に染みる。

できる限り苦労もストレスも感じたくなく、努力も我慢もしたくない。楽に人間と関わりたいし、楽に成果が出て楽に生きていきたい。けど、なんか我々はもっとコテンパンにされていいと思うんよ、という言葉に関して、すんなり入ってきたというか、いや、そうだよな。と100で思った。明日になったら90まで落ちてるかもしれないが、今んとこまだ100。

コテンパンにされるという状況を想像すると、心の底では「そんなのやってらんねーよ」と思ってるはず。コテンパンにされるというと誰かおれに対して上から圧力をかけてる絵が想像されて、基本圧力をかける人間はおれがそうされてもいいと思える人間からしかされたくないし、なんならそんな人からそもそもされたことがこの方27年でない。目にかけてくれる大人は、上から目線で言わず、寄り添って言葉をかけてくれる人ばかりだと感じていた。



一回、新しい環境、状況にコテンパンにされた方がいいのかな、いや、されるべきかな、と思った。


深く掘り下げないが、頑固者のおれがそう感じたんだから、間違いなくそうなんだと思う。

ドベンチャーの営業に就こうがある程度安定フェーズの企業でルート営業をしようが、種類が異なるだけで働くということはしんどいことが多い。それは、大学を出て会社勤めをしたこの5年間でわかってるつもり。大学を出て友人たちと遊んでる際、たまに仕事の話になったときに、おれの仕事はある程度イメージされやすいけどそのイメージとはかなり異なる働き方が、実際の現場ではされていた。これは、同じ仕事をしないと絶対にわからない。おれは、ガキに勉強を教えに行く仕事を5年間していたのではない。

事務の内勤バイトにもぜったいにわからないし、商材である現場の教師たちにも、わからない。金融関係の営業マンにも、物売りの営業マンにも、わからない。逆にこっちも、その人たちの大変さはわからない。やっていないから。




まだわからないが、今日は一旦、自分が人に必要とされていることを感じ、なんとも言えぬ感情でホテルに帰った。15分で着くオフィスがあるのに、なんで1時間以上かけて遠いオフィスに呼ばれてるんだ、と思っていたが、やはり理由はあった。


10時間後にはまた面接が始まっているが、相当素に近いコミュニケーションを計れる気がする。

有楽町のサタデーナイトを待たずに、寝る。



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