見出し画像

24時間テレビという存在

日テレでやっている24時間テレビ。
愛は地球を救えるかどうかはわかりませんが、毎年夏の風物詩と言う感じにはなっています。

福祉という面等から見ればプラスの部分もマイナスの部分もありますし、問題がゼロと言う訳ではありません。

しかしながら、ネットで特にネットでしか情報を集めない、好みの情報しか集めない人にとっては嫌悪、憎悪の対象で毎年の様にヘイトをぶつけられているという感じですが、では実際にはどうなんでしょうか?

そもそも始まりはなんだったのか?

24時間テレビは、もともと日本でのチャリティ文化の少なさをなんとかしようという事を御旗に初めています。
もともと大橋巨泉の福祉系特番?だかをベースにと言う事なので企画段階から海外の番組をヒントにした等の話もでていました。

さて、この番組以前になかったのかと言うと年末のラジオ・チャリティ・ミュージックソンと言うのが75年からありまして、通りゃんせ基金等の普及や支援に役立っていた等もあります。
24時間テレビもその系譜ではあるので、基金への募金や福祉事業への支援等はかなり積極的にやっています。

もちろん、NHKの年末助け合いもあったりしますし、チャリティ文化が決して低い訳でもないのにこういうのが出てきているのは、1つに福祉国家への憧れがあるんですね。
福祉国家と言えば北欧、スウェーデン等が有名ですけれども、国民が福祉の恩恵を必ず受けられる事が前提となっています。
この事を実現するためには、やはり財源等を気にする向きもありますし、実際に財源の確保に憂慮する等はスウェーデンでもかなり厳しい財政方式などを取り入れてると言う話は当時もありました。

国が社会福祉国家であるためには、国がどう財源を確保し有効に使うか、福祉国家として政治家や代議士、政党や行政がどう動くべきかを模索してる時期でもあると同時に、福祉に興味が有る人はそれをどう実現するかさせるかでの活動を活発にしだした時期でもあったりするんですね。
それは発足時の大橋巨泉を含むスタッフ等の言葉からも本気の部分はあったのはうかがい知る事はできると思います。

ショーアップの必要と予算。

1978年当時は、日本はまだ裕福でもありません。
国民全員が肉を食うだのなんだのでは悩む時期でもあったし(この時期のサザエさんにはそういう描写もある)、貧富の差こそ少ないながらもやはり一般大衆にはお金での悩みが無い訳ではない時代なのですね。

例えばドラえもんはママが必ず赤字を悩みますし、パパのお給料も色々と問題を持っている描写がありますが、パパはほぼ夜は呑んで帰ってくる(しかものび太のおきている時間に)し、のび太だって高いおもちゃは買えないけれどそれなりにおもちゃを買ってもらっているのはあるんですよね。

そういう、貧富の格差が少ないが上は上で裕福に見える状態のなか、障碍者や貧困者の問題は見えてない政治や行政の部分(見てない訳じゃない)、交通事故遺児、災害遺児等の孤児の問題などは、まだまだ解決してない時代といえる状況です。

あしなが育英会なんかもこの時期、目立って来ていますね。
日本人が等しく中流階級になりつつあるこの時期に忘れられた、目の前の楽しいや幸福にのみ目がいって見失っている弱者を救う必要はまだまだあった時代と言う認識で行くと、多くの耳目を集める手段はショーアップと予算の確保に寄る宣伝ってのは必要不可欠でタレントや芸能人、特別なドラマやアニメ等の放送で耳目を集める方法は必須、また日本の産業構造上必要な中間業者への支払い等が発生することにはなったんですね。

その後、2回、3回と続けるうちにテレビ局の福祉事業では収まらなくなりますが、その頃から帰国子女アイドル等も増えてきてチャリティ番組でのギャラと言う面での疑問もでてくる事にはなりました。
また、企業=TV局の開局記念番組だった第一回はまだしも第二回以降の福祉性、チャリティー性等を考えるとテレビ局の福祉事業や社会貢献と言う枠を超えてしまう部分がでてくるのですよね。

24時間テレビによる募金の運用が変わる。

紆余曲折を経て、公益社団法人が24時間テレビとその関連による募金の管理、収集等を扱う様になります。
公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会と言う公益社団法人がそれで、いわば財団、基金みたいなものと思えば良いのですね。

長々と簡単な説明をもったいぶって書いてたのはこの団体の存在意義が重要だからなのです。
ショーアップと予算の必要、また始まった時の意義と言う物があり、そして存続が決定して以降、多額の寄付金の運用にはテレビ局と言う会社が使うには大きくなりすぎた面は否定できませんし、それだけ集めた人の善意を会社の運用として扱うのにも無理がでてきます。

そこでこの公益社団法人が募金を集め管理し、そして運用します。
福祉車両や設備への補助や寄付、また福祉事業者や公益に係る人や団体への補助や寄付などを行うには相応に専門の分野が必要と言うのは理解できると思いますし、かなりの額が集まり遺児運営するには相応の予算が必要になります。

最も、こういった社団法人は社員や役職持ちの給与が多い等の批判もあるのですがその反面、経費で落ちるような接待、交通費等は制限される部分もあります。
そして法律によって、著しく多額の報酬を受け取る事はできない様にもなっています。
ですので、その報酬の中から交通費や接待費、また必要に応じた経費を賄うなんて事もしていたりはします。

実際、そういう話を聞くチャンスがあるのか?と思う人も多いと思いますがもし福祉に関わっている、携わっている等の場合には財団法人や福祉関係の集団で行う懇親会やパーティなどの集まりに参加する事をおすすめします。
24時間テレビチャリティー委員会からも来てますでしょうし、公益社団法人になる前の、一般社団法人だったかの時にも来ていました。

そういう人と話すとネットで言われているような状態とはちょっと、というか大いに違う部分があります。
例えば、募金を日テレが使っているとか予算を行使しているのでそこから費用をもっていく、とか。
実際には募金はすべて、委員会の管理になりますし、委員会はそこから運用の資金を除き、支援、補助、寄付などに運用しているそうです。

この運用も、車を買い与えるだけではなく組織基盤強化が必要な場合にはそれも補助する事がある、なんて話で公益社団法人としてのルールに則っていると言う事にはなります。
ギャラを募金からと言う話は、これはどうも事実ではないそうでして、ギャラは日テレが払っていると言う話。
そして、制作に係る費用も、募金からは出ていないとの事。

これらの話は実際にその委員会の人と会った時に聞いているので不穏な部分を隠しているかもしれませんけれど、ただ法律に縛られている公益社団法人がアホみたいに法をくぐり抜ける事はできません。
公益社団法人になる前の団体等では、必要以上に金のかかる場合も在ったようですが、それも福祉ないし公益のための費用と認められなければ税金関係での問題は発生する、と言う事だそうです。

つまり、24時間テレビに関する情報は昭和の頃、平成の頃のネガティブな状態だけをつまみ食いしての情報に踊らされている部分が、ネットには強いと言うのはあるのですよね。

では24時間テレビはどういう構造なのか?

テレビ番組としての24時間テレビは大雑把にいってしまえば日テレ(と系列の)社会貢献事業と言う形に落ち着くと思います。
企業の社会貢献事業が強く求められるのようになったのは90年代も終わりの頃。(CSRで調べるとわかりやすいかもしれない)
当たり前と認識されるようになったのは2000年代中盤からと言う状況ではありますが、その先鞭的な意味では24時間テレビはテレビ局のチャリティ、社会貢献の必要を決定づけたのはあります。

ただ、テレビ番組である以上、予算はかかります。
制作スタッフや制作子会社、タレント、ドラマを制作するならそのギャラや費用などなど。
これらを無償で提供しろとか、安くやれ!にも限度が有る状態は改善できてません。

むしろ、年々低賃金禍が押し寄せていたテレビ局にとって、24時間テレビでスポンサーを確保しギャラないし制作費を得て、子会社やタレントやスタッフにギャラを払うと言うのは、ある意味ではそれもまたチャリティなんですよね。

欧米では出演者がギャラをもらうなんてありえない!と言う人もいるとは思いますが、芸能界の構造がこれまた違います。
欧米ではそれこそAgentがついて、タレントや俳優、スポーツ選手など個人の才能で勝負する人のための交渉を受け持ってその利益からマージンを得る事で収益を出しているなんてあります。

このAgentが動くと言う事で高額なギャラすら俳優や小説家や監督や脚本家と言った才能を売りにする人達が行きていけるというか価値を上げていく事ができる(お金の多さが価値の評価といえる)のですが、反面金を得るだけでは社会的な信用や信頼が発生しない事になります。

腕の良いAgentは、そこで社会貢献や無償の社会奉仕等をさせる事で才覚を持つ人、タレントや俳優や小説家などの価値をアップさせていくのですね。
個人事業主であるそういった人を商品として成り立たせる事でギャラやその他の仕事などでの収入を増やす事がAgentの利益にもなる構造、なのですが日本では「芸能事務所」ですとか「所属する事務所」「映画会社との契約」等々の企業に雇われたあるいは保護された人としての仕事が普通になります。

また個人事務所を持つとしても有能なAgentが存在してない日本ではマネージャーが仕事を取ってきたり管理したりする訳ですから、Agentの様に交渉はできません。
マネージャーが交渉をするにはしますが、どうしても金を払う側がつよくなる状況は覆せないなんてことも多いのが現状ですね。

これには資本の差があって、会社形式の事務所ならば会社の方が資本で勝てる。
個人時事務所は個人事業主に毛が生えた程度のもんなので資本体力での交渉能力の差が歴然としてしまう。
なので、独立してもマネジメント業務は大手事務所が代行しますと言う形になってしまうのがあるのですよね。

これはタレントや作家等だけでなく制作子会社やフリーの映像作家関係も同様でギャラを値切られる場合が多い、低予算でやることを望まれても断れない状態があるのは否定できませんし、実際そこをなんとかできないが為に苦労する現場が一番実入りが少ないなんて事態が連綿と続いているのはあるんですよね。

アニメ業界だけではない低賃金カルテル案件

24時間テレビでギャラや制作費用、スポンサー収入が必要なのはこの制作段階における問題と言うのはあります。
広告代理店の中抜問題は今も多くのネットオピニオンが避難する内容ではありますが、実際に広告代理店の構造に渡っての批判はネットオピニオン、特にネトウヨ系と言われる界隈では理解されてない部分が多いです。

広告代理店の構造は大まかに言って、企画・制作(企業とクリエイターをつないで何かを作る、開催する)、営業(スポンサーの確保の他、テレビ放送や宣伝、会場等の確保)と言う感じになります。
ここに経理部門(経費が当然かかるから必要)、宣伝部門(自社も宣伝しないといけないし、営業の準備もある)等の多岐に渡る分野、部門が存在しそこを維持する必要があるんですね。

そのためには経費も甚大なもんになります。
故に仕事を引っ張ってくる、金を持ってくるとなると金額が大きくなればなるほど、経費がかかっているとも言えるのです。
これが全国規模の企画や番組ならなおのこと、です。

例えばネットで悪名高い電通ですけれど、企画制作に関しても複数部門があります。
宣伝、広告などの部門ではクリエイターや会社等と直接やりとりする事が多いので、金払いは良いと言う評価、優良企業評価だったりしますが、大手のイベントやテレビ番組部門となると係るところが増えるために経費が非常に高くなると言うのは否めません。
結果、大金を引っ張ってきても必要部分を抜くとわずかばかりといえる金額が現場に行くことになる、なんてのはあるのですね。

もちろん、批判される様に大手もしくは大御所等が絡むとそこのギャラで大金が抜かれていくと言うのも無いわけではないのですが、それとても大御所等が安価に引き受けるわけにはいかない現実もあります。

例えば、一回の仕事100万のギャラをもらう人が、半額でええよ、とかしてそれが外に漏れる(当然費用の動きをみればわかるのでバレるコトが多い)と他の大御所のギャラも誰それさんはこの価格でしたよとかで下げざるを得ない。
さらに若手や中堅どころがギャラを堅持するのも難しいと言う場合もでてくる。
大御所さんが下げたんですよ、げへへ、みたいにね。
だから若手や新人や中堅のためにも下げられない人が多いのも事実なのですね。

才能のない若手や新人がギャラを下げるのは、商品価値として当然ですけど、そうでない場合には商品価値を維持しないといけなくなるのも実情なんです。

で、商品価値を下げない様にするのも広告代理店の仕事、なのですね。
本来なら事務所や代理人(Agent)の仕事なんですが日本の産業構造上そういうコトにはなってない、と言うのが問題の1つなんです。

ただ、不景気が続けば大御所や人気のある人でもギャラを下げる必要に駆られていくので、低賃金化の波をいかにごまかすかになっていくのですけれどもねえ。

そこで、行われるのが特別出演だとか友情出演なんて方式や、他の予算を下げるコトでの補填等ですがそれだって無理があります。
スポンサーも金が無尽蔵にある訳ではないので、どうしても予算を下げていくコトになるんですよね。
結果、衛星放送や海外資本のところのように間に入る組織や人が少ないところの潤沢な予算に流れていく、なんてコトになってるのが日本の映像やテレビ、エンタメ等の現状。

YouTuberを出すのも予算の都合

人気のある人ならYouTuberでも数を稼げるので、利用します。
合う合わないなんて問題は制作する現場に丸投げして人気があるけど安い連中を使う方法で対処するのですね。

似たような方法は、数十年前の若い人の感性が!とか女性を採用することで思わぬ効果がでます!(でなかったら使う側の責任か、大衆が愚民な!)みたいなコンサルが増えたコトもあるんですけれど、その結果、クリエイティブ界隈やエンタメ界隈、アート界隈は質が下がったなんて言われてしまうコトも。
これは映画などでも同様ですね。
若ければギャラは安いからと言う映画会社の要望通りにしたら、日本映画衰退、みたいな。

才能ある人は、とっくに海外か自分でやってる(インディーズ系)なんてのもあるし。
最も、インディーズ系はメジャーよりシビアですから、駄目なひとは駄目認定されます。
それでちょっと話題になってるひとを呼んで映画撮らせたりしますけど、結果が駄目なら捨てるのも容易。
インディーズに戻りました!凱旋!みたいに言ってもヒットが出ないひとはそういうコトだったりもしますから、なんともです(才能潰された場合もある)。

YouTuberも同様で、You Tubeだから面白いってのを無視してだして人気が下がるなんてものもあるし、迷惑系で人気、話題になればテレビから呼ばれる!なんてコトで騒ぎ起こすひともいたりします。

YouTuberで、オールマイティーにエンタメ、アート、クリエイティブに動けるのなんて一握りですし、ジャーナリズムになるとさらに少ない。
自分で動き、考え、情報を集め、整理して、解析し、新たなものを創出できるような人でないと、無理ってもんなんですよね。

けど、予算が少ないからそれをするしかない。
中抜云々以前に、人も企業も資金的な余力がないから困る。
そしてそれ故に、24時間テレビはお金を云々、募金を使ってギャラ云々なんて話になるんですけれど、まあ、それだって必要経費出でる募金からの部分はあって当然ですからね。
そこもわからないで噂だけで叩くとそれこそ福祉やチャリティ、ボランティ文化の破壊になりかねないんですよね。

24時間テレビは功績の方が大きいかもしれないよね。

テレビ局のCSRの魁と言っても良いのが24時間テレビですけれど、それによる戦後の崩壊してる公益意識をまとめた功績はありますね。

日本はボランティア文化やチャリティ文化、募金文化が無いとかしたり顔で赤い政党系の人が言ってるコトもありましたが、戦前はあったりしました。
チャリティやボランティアって、貴族階級、金持ち階級が行う高貴な仕事の部分が多くて日本でも、私財をなげうって公共の改善を行った人の話は多いのですよね。

しかしながら、戦後は財閥解体などで金持ちが減る、いなくなる。
皇室もだいぶ整理されてしまい、赤十字を作るのに尽力した皇后様の話なんてのもあまり語られない。
皇族の方が福祉系の団体に関わっている話などもでてきませんしね。

そういう話を禁忌のようにしてたコトが金のある人のボランティア意識やチャリティ文化を育てるコトへの足かせになってたかもしれないですが、金持ちや企業が社会貢献をするコトが利益になるって示したのはでかいです。

その所為かしりませんが1999年にはテレビ朝日でもドラえもん募金とか初めていますし、様々な分野での社会貢献の意識また、ギャラがでる24時間テレビなんて話から、有償ボランティアと言う制度もあるんだと認知されていったのも大きな功績といえる状況。

問題やデメリット等もありますけれど、功績の部分や社会や文化に良い影響を与えた部分を見ないでの、噂話やデマだけでの批判や非難は、福祉の発展や公益への尽力などを破壊するだけになります。

ネットのブログや動画等でのそういった批判はネット上の噂やデマを元に中抜の話やギャラの話(主に価格)、タレントの武勇伝を都合よく切り貼りしてるコトが多いと言う事実もあるのですから、闇雲なヘイトや嫌悪などで福祉系を破壊していくような真似をしてる人や団体にはデータを調べ分析し、自分で取材に行って、その結果を広める様にする必要はある、と思ってたりする次第なのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?