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新聞記者の歪んだ市民への「寄り添い」

歪んだ市民至上主義


『ウェッジ』(8月9日配信)の「ゲノム編集」報道で不安にさせる記者の行動原理という記事は面白かったです。

遺伝子組み換え(GM)作物やゲノム編集食品などに対する市民の「漠然とした不安感」が、いつまでたっても緩和されない。一体なぜなのか。その主な要因は市民重視の報道の構図と記者の行動原理にあるのではないか。ただ、最近は誰もが情報を発信できるネットの出現で、この構図が揺らぎ始めている。

食の不安や環境問題といった分野に取り組む市民団体は数多くあります。特に遺伝子組み換え(GM)作物やゲノム編集食品は議員会館で定期的に院内集会が開催されています。記事でも指摘されていますが「漠然とした不安感」を新聞がそのまま報じる現象に対して疑問を呈しています。

特定の団体の主張をそのまま報じるのは果たしてプロの仕事なのか疑問です。いわば市民至上主義。その根底には「市民への寄り添い」という姿勢があります。これは「弱者への寄り添い」と同意語で不安や被害を訴える者が有利という考え方です。

市民といっても活動家なわけで…。

私は長らく津市相生町自治会長事件に関わっていますが、そこで地元の方から多々聞いたのは新聞社に問題を告発しても全く記事ならなかった、ということです。自治会長事件は本当に直接的な被害を受ける市民が多かったです。「漠然とした不安感」どころか本当に困っているのに新聞社は相手にしない。同和問題が背景にあるのと同時に新聞社は市民を峻別するのです。

つまり自説に沿いなおかつ「寄り添い」が演じられる市民にのみ新聞社は微笑みます。

それで部数が挙がりましたか?

私は2004年頃から取材として市民団体や左翼団体をウォッチしています。市民集会という名の特定政党、特定団体の集会では朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、共同通信といったメディアの記者が散見されます。

面白いことにそうした記者たちは「側」なんです。態度や振る舞いが市民側なんですよ。こうした集会では質疑応答という名のアジテーションタイムが用意されていますが、自説を延々と語る記者もいます。

すごく純粋だとは思います。「市民と共に」「在野にある」というポリシーをお持ちなようで。しかしそれは「報道」とは別次元にあります。では本当に市民の声を聞いているのか疑問ですね。先に示した自治会長事件のように。

特に昨今の新聞はTwitterのハッシュタグをムーブメントのようにそのまま報じます。月額約3000円を支払って紙版のまとめサイトを読みたいですか?これもネット版の「寄り添い」記事と言えます。

新聞社も部数減の中で拡販が見込めません。そこで既存の読者や価値観を等しくする層を確実に取り込むため今後も特定市民の寄り添いは続くでしょう。

ただ寄り添いを是とする一部の新聞記者さん。こんなエピソードを紹介しましょう。とある市民集会でどの新聞が最も優れているかという話題になった時に「東京新聞」を挙げる人が多かったです。

一つは福島原発事故以降、脱原発の活動家の主張をそのまま報じた点にあります。

そして

「東京新聞は私たちの投書を採用してくれる」

この意見に対して賛同者が多かったです。記事の内容が評価されるなら記者にとっても名誉なことでしょう。しかし読者投書を採用してくれることが良い新聞の基準…。紙面の質と何ら関係ないことです。

とは言えこの現象も市民の寄り添いというわけですが、最後に一言。

それで部数は挙がったかい?

市民至上主義は紙面の向上にも拡販にも貢献しないことだけは認識された方がいいでしょう。



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