5/29 ニュースなスペイン語 Villa de Pitanxo:ビジャ・デ・ピタンショ号
今から約3ヶ月前の2月15日、カナダ沖でカレイ(fletón(正確には「タイセイヨウオヒョウ」というカレイの一種))漁をしていたビジャ・デ・ピタンショ号が遭難(naufragio)・沈没(se han hundió)した。
24人の乗組員(tripulación)の内、21人が死亡(muerto)もしくは行方不明(desaparecido)となり、奇跡的に3名が無事、救助された(rescatado)。
この度、犠牲者たちの家族らが、ビジャ・デ・ピタンショ号の船長(patrón;capitán)であり、生存者のひとりでもあるフアン・パディン(Juan Padín)と、もうひとりの生存者であり、パディンの甥(sobrino)に当たるエドゥアルド・リアル(Eduardo Rial)、そして、船の運行会社(armador)グルポ・ノレス社(Grupo Nores)を相手取り、「過失致死罪(homicidio por imprudencia)」で、刑事訴訟を起こした(anuncia una querella criminal)。
過失致死、と訳したが、直訳は、「分別を持たない殺人」となる。典型的な例は、酩酊状態で車を運転して人を死なせてしまうようなケースだ。
今回の訴訟では、業務上の安全義務配慮を船長らが怠っていたのではないか、という疑惑がある。
なぜ、こうした疑惑が持ち上がったのか。
実は、カギを握るのが、3人目の生存者(superviviente)であるサムエル・クウェシ(Samuel Kwesi)という人物だ。クウェシはその苗字からも分かるが、スペイン国籍ではなく、ガーナ出身(ghanés)の乗組員だ。
クウェシは、救出された当時、事故状況について、パディンらと同じような供述(testimonio)をしていたのだが、先月の4日、実はパディンらの供述に矛盾しないよう「圧力(presión)」をかけられていたとし、真実を公表したのである。
以下にパディンとクウェシの供述の概要をまとめておこう。
〈パディンの供述〉
早朝4時、エンジンが停止した。そして、海水が次々と船内に流れ込んできたため、保温スーツ(traje térmico)と救命胴衣(chaleco salvavidas)を装着の上、船から逃げるように命令(la orden)を出した。そして、4時24分、SOS(llamada de emergencia)警報を出した。
同じような供述を、甥のリアルもしている。一方、クウェシは、細かい時間などの供述はないが、いくつかの重要な点がパディンらの供述と異なる。
〈クウェシの供述〉
漁船がかなり傾いてきて(muy ladeado)、マットを動かす装着(aparejo(正確には「索具」))を解放するよう(soltar)にパディンに「大声(a grito)」で要請したが、船長のパディンはこれを拒否。救命胴衣を装着するような命令は一切無かった。
しかし、パディンと甥は救出された時、救命胴衣を身に着けていたという。いつ、そして、なぜ、ふたりは救命胴衣を着けていたのか。
海難事故での過失致死と聞けば、知床遊覧船のずさんな経営を思い出す。大部分の海の男たちは海の怖さを身をもって知っているはずだから、文字通り、命をかけて海で戦っている。だから、「ずさん」とは無関係の世界で生きているはずだ。
今回、もし、船長とその甥だけが生き残っていたら、船上での真実は海の藻屑に消えていた。死と背中合わせの、壮絶な現場だったはずだから、記憶の多少の食い違いはしょうがないにしても、重大な点を明らかにしなければ、海に散った船員たちも浮かばれない。
写真は犠牲者家族らの徹底捜索を求める集会。女性の手には犠牲者の写真と「あなたたちはいつも私たちと一緒。でも、私たちには、もう、あなたたちはいない」と書かれたボードを持っている。
出身
https://www.rtve.es/noticias/20220528/familias-del-villa-pitanxo-anuncian-querella-criminal-contra-patron/2354260.shtml