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3/30 ニュースなスペイン語 Lavar los pies:足を洗う

ヨハネによる福音書(Evangelio según San Juan)の13章に次のような一節がある:

それから水をたらいに入れて、(注:イエスは)弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた(Luego puso agua en un lebrillo, y comenzó a lavar los pies de los discípulos, y a enjugarlos con la toalla con que estaba ceñido)

今年は昨日28日が聖木曜日(Jueves Santo)だったことから、フランシスコローマ教皇(el papa Francisco)が、ローマの女性刑務所(prisión femenina)に赴き、12名の受刑囚ら(reclusas;reas)に対して、洗足(センゾク;lavatorio de pies)を行ったとの記事が載っていた。

この儀式は冒頭に引用した、イエスが最後の晩餐(fiesta de la pascua;última cena)の前に、弟子たちの足を洗ってやった場面が元になっている。

カトリックでは、洗足を奉仕の心(vocación de servicio)、謙虚さ(humildad)、平等(igualdad)の象徴とし、これを弟子たちが実行すべき行いとしている。

これは、イエスが

… 主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである(Pues si yo, el Señor y el Maestro, he lavado vuestros pies, vosotros también debéis lavaros los pies los unos a los otros)。

と言ったことに基づく教えだ。

フランシスコ教皇は聖木曜日のミサを現代社会で苦しみに満ちた場所(los lugares de sufrimiento en la sociedad moderna)で行うと決め、2013年からは、刑務所の他、移民の受け入れセンター(centros de acogida para refugiados)、青少年更生センター(correccionales de menores)、老人施設(residencias)などで行っている。

フランシスコ教皇はミサを終え、敷地内の中庭で、囚人や刑務所スタッフ(personal)を前に、次のように語りかけた:

私たちは大なり小なり失敗を犯します。私たちには歴史がありますが、しかし、主は私たちのことをいつだって喜んで待ってくださっています。そして、決して、飽くことなく、私たちを許してくださるのです(Todos tenemos pequeños o grandes fracasos, todos tenemos una historia, pero el Señor nos espera siempre con los brazos abiertos y no se cansa nunca de perdonar)

そして、

これからはイエスと同じこと、すなわち、皆の足を洗うこと、をやってゆきましょう。洗足は奉仕の心に気を向ける行為です。私たちの中に奉仕の心が育つよう、主に祈りましょう(Ahora haremos lo mismo que hizo Jesús, lavar los pies, que es un gesto que llama la atención sobre la vocación del servicio. Pidamos al Señor que haga crecer en todos nosotros la vocación del servicio)

と述べた。

もちろん、神が許すからといって、何をしても良いという訳ではない。

お天道様も見てるからね。

写真は受刑者たちに洗足を施すローマ教皇。

ところで、日本語にも「足を洗う」という表現があるが、こちらは「悪事から抜け出す」という意味。

だから、小欄で扱った「奉仕の心」を意味する「足を洗う」とは、行為は同じでも、根底に流れる思想が違う(というのが小生の考えだけど、諸説あるみたい・・・)。

出典
https://www.rtve.es/noticias/20240328/papa-lava-pies-doce-reclusas-jueves-santo/16036518.shtml