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ぜんぶひとくくりに、「登校拒否」と呼ばれていたあの頃

ある日突然、クラスメートがひとり、学校へ来れなくなった。

あの時代は、どうしていいか、誰もよく知らなかったのだろう。
先生は、わたし達に、朝お迎えに行くように言った。
しばらくの間、そうしてわたし達は、毎朝、その子の家へ通い続けた。

その子のお母さんは、わたし達を家の中へ迎え入れてくれて、飲み物を出してくれたり、来てくれたことを感謝してくれていた。

その部屋の奥で。

母:「みんな、お迎え来てるんだから」
(唸るように拒絶する声)
(何度かの押し問答)
母:「・・・ごめんね、お腹が痛くて、行けないって」

朝起きた時は、大丈夫なのに、学校へ行こうと思うと、お腹が痛くなるんだって。
「行く」って言って、玄関まで行ったのに、突然トイレに駆け込んで、おえってなってたこともあったっけ。
学校に、本当は行きたいのに、って、その子が、涙を流しながら悔しそうに泣いていたこともあった。

そんな姿をわたし達に見せて、その子は、さぞかし嫌だったろうな。
(学校へ行けないって、そんなに悪いこと?
わたし達のやってることって、この子を苦しめているだけなんじゃないの?)
子ども心に、そんなことを考えていた。

そんな感じの日々を、何度も繰り返した。
そのうち、玄関先で、
母:「今日も行けないって言ってるから」
と言われて、なにもせずに学校へ引き返す日が続いた。
通うたびに、その子のお母さんの気力が失われていくのを、わたしは感じていた。
(こんなこと、意味があるのかな)
って、疑問に思いながら、わたし達は、通い続けた。
ある日、先生が、
「もう行かなくていいから」
と言って、わたし達お迎えメンバーのお迎えは、取りやめになった。

そうしてその子は、学校へ来ないまま卒業した。

卒業前、久しぶりに会いに行ったわたし達を、
「あぁ、入んなー」
と、その子は自然体で迎え入れてくれた。
少し、見た目は大人になっていたけれど、クラスメートとして、なにも変わらない空気が流れた。
元気そうなその子が、今やっているゲームの話をするのを見て、ホッとしたのを覚えている。

上の学校に上がった時は、一日だけ、学校に来て、その後ずっと、来なくなった。
そしてまた数年が経って、その子は、専修学校へ進んでいった。
その後どうしているかは、もう耳に入ることはなかった。

あの時、一緒にお迎えにいったメンバーが誰だったかは、全然思い出せないけれど、あの子の名前と顔と、ニックネームだけは、まったく色褪せることなく、わたしの心に残っている。


選択肢が増えた今の時代だったら、あの子はどう生きただろう?
「もし」「○○だったら」「○○すれば」

タラレバの話は、意味がないことを知っているけれど、
「不登校」
というワードを耳にするたびに、そんなことを考える。


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