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『22時のコーヒー』 (ショートストーリー)

(作・Jidak)

「また… ねぇ、眠れないって言ってたの、それだから!」
母がちょっとイラッとした声で言う。

たまに実家に帰ってきて、
夜の10時にコーヒーを淹れて飲もうとしてる娘をみたら、
そりゃ、なんか言いたくなる。わかる。

「ね、もうちょっと、いい豆買ったら?」
「いいの! うちはずっとこれって決めてるの。
 お父さんもこれがいいって。
 それに、私たちあんまり飲んでないのよ、もう。
 お昼、食後に飲んで、それでおしまい」

両親は、昔からコーヒー好きだった。
小学生の私にはミロを飲ませてたけど、
中学生の時、一度、母が気まぐれに牛乳をたっぷり入れたコーヒーを
作ってくれた。
それ以来、私は時々コーヒーを飲むようになった。

「もう、コーヒーの味知ってるもん」
中学生の私は、まわりの友だちより先に大人になった気がした。
たかが、ミルクたっぷりのコーヒーを飲んだだけで。

カフェイン。
その大人な響き。
なのに、歳をとると遠ざけたくなるものだったとは。
「ギルティ」って言われてしまうものだったとは。
中毒性があるとか、
トイレが近くなるとか、
眠れなくなるとか。

31の私には、
コーヒーはいまだに大人の魅力を放つ。
この香り。
この苦み。

22時。
ニューヨークは朝の9時。
あの人は、今日もきっと今、コーヒーを挽いているだろう。

22時、「テレビ電話をしよう」と、当時2人で決めた時間だった。
3年前、彼のニューヨークへの転勤が決まった。
このまま続けるとも別れるとも決めないまま、なんとなく転勤のその日を迎えた。
ただ、週に1回この時間にテレビ電話をしようと決めて。

彼は決まってコーヒーを挽きながらしゃべった。

「ねえ、いつもガリガリうるさいんだけど?」
「ごめん、毎回、先に挽いておこうと思うのにさ、つい忘れちゃうんだよね」

そのガリガリという音に刺激されて、私もコーヒーを飲みたくなって淹れ始める。

「そっち夜だろ。眠れなくなるよ。俺に付き合わなくてもいいのに」

何一つ共通の時間が持てなくなったのに、せめてコーヒーぐらいって、
それは、普通に思うのよ。
思ったのよ。
同じ時間と気持ちを共有してる気分になれるって、思いたかったわけですよ。
言ってないけど、そんなこと。

そして、半年前。

電話のタイミングが合わないことが続いて、3週間ほど顔を見て話せなかった。
あの時、気づいた。
たぶん、お互いが。

この微妙な年齢と、先の見えない世界と、共有できない時間の中で、
なかなか難しいね、難しくなってきたね、って。

次に顔を見ながら電話した時、
コーヒー豆を挽きながら、こちらもコーヒーを淹れながら、
ちょっと久しぶりの間に起きたあれこれを、
たわいもない感じで話しながら。

最後に、「じゃ」って言って、
そして彼が「じゃ、またいつか」って言って。

特に悲しいとかはなく。
自然にわかるもんなんだなぁって、なんとなく感心したりしてる自分がいて。

今、気持ちはすっきりしている。

はず。

だけど。

なぜか時々、コーヒーを淹れたりする。
この時間に。
22時に。

あの時の香りとか、苦みとか。

「ねぇ、眠れないって言ってたの、それだから!」

母は知ってるのかな。

22時のコーヒー。
そろそろやめられそうな気もしてる。

(終わり)

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