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ヤメ公は希望への扉か地獄への扉か?

   株式会社Re:p Akaiwa代表取締役                                                                (元 岡山県赤磐市役所職員) 
 特定非営利活動法人自治経営 中国アライアンス           
 高尾 和也
         
1.量産型機かワンオフ機か

私が改めて言うまでもなく公務員は「全体の奉仕者」です。入庁日に服務の宣誓を行って初めて公務に従事する事が出来ます。
 私も入庁日の朝に辞令交付と同時に宣誓しました。そこから岡山県赤磐市の一般行政職員として27年間公務に従事し、市民窓口や障害者福祉、建設・建築部門、教育委員会等を歴任、東理事長のコラム内で揶揄されている個性の無い「カオナシ」公務員として粛々と職務をこなしていました。その当時は家庭もありました(過去形)し、それが公務員として当たり前の事だと認識しつつも、入庁以来、何かしらの違和感を感じ続けていました。
その後、自らの思考や価値観を大きく転換させる事象が2つ起こります。
1)難病に罹患し、歩行困難に。進行性の病として医師に寝たきり宣告を受け、長期の入退院を繰り返す。
2)リノベーションまちづくり、公民連携事業と出会い、やり甲斐と街の新たな可能性を見出す。

 1)については現在進行形でもありますが、簡単に言うとあのレディ・ガガと同じ病で、全身の強い痛みと様々な随伴症状により、日常生活が困難になります。「治療法も無く、ステージの進行によって最終的に寝たきりになる」と医師からの宣告。入退院を繰り返す事で当然、公務を継続する事も困難になり、職場からは「治療への専念」、「重要な仕事を任せられない」といった扱いを受ける事になります。一般的に組織内でカオナシ公務員は消耗品として『替えは幾らでもいる』という位置付けであると言っても過言ではありません。
 上記の病状により、自らの自信や生きる気力の喪失だけでなく、公務員という経済的に安定した立場も危うくなります。また、保守的な地域の組織内で闘病を続けながら就業するには大きな壁が立ち塞がります。『治療に専念退職』という強烈な同調圧力です。それを跳ね除けるには、替えの効かないオンリーワンである必要があり、カオナシ公務員という『量産型ザク』では無くワンオフ機、同じザクでも『シャア専用ザク』の様なエースパイロットにならなければ生き残る事が出来ませんでした。

2.FMウォーキングデッド

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         (参照)赤磐市公共施設等総合管理計画

当時、全国の市区町村では国の要請で進められていた公共施設マネジメント(以下、「FM」)が自治体の政策で重きを成していく黎明期でもありましたが退院後、この政策の担当者となります。
 これは高度成長期に合わせて無計画に乱立された公共インフラの維持管理・更新費用が自治体の財政を大きく圧迫している問題で、人口減少時代に合わせ、風呂敷を畳んでいく必要があるにも関わらず、既得権益や地域情勢の影響によりそれが出来ず、無駄なコストを延々と支払い続けるという自治体の存続すら危うくさせる大きな問題でした。それを放置し続ける事でどういった事が起きるのでしょうか?
Ⅰ:莫大なインフラ更新費用による社会保障の切り捨て
Ⅱ:地元利益誘導型行政による政治主導のハコモノ行政
Ⅲ:将来世代への負債増加による自治体経営破綻
 その他にも多くの問題が予想されますが、全て住民生活の根幹を揺るがすものばかり。それを解消する手段として提唱されていたものは以下の通りです。
a:公共施設の新築抑制
b:建物の長寿命化
c:公共施設の統廃合・集約・複合化
d:有休資産の有効活用
 各自治体において計画の策定や削減率の設定、推進体制等を求められます。
 赤磐市においても試算によると約50%の公共施設を廃止していかないと自治体として自己破産せざるを得ないという厳しい結果が出ます。

(参照「赤磐市公共施設等総合管理計画」

しかしながら住民や地域にとってそれを簡単に受け入れられるでしょうか?地域の反発や地域選出議員等による強いバイアス、それを受けた執行部による急速なトーンダウン等、結局はスカスカに骨抜きされた、生きていて死んでいる計画ゾンビが全国で量産される結果になります。
 そして、コンサルへの発注費用はなんと1,000万円オーバー。しかし、その90%はこちら(市側)で自前作成したものという不都合な真実が存在します。

3.新たな可能性の発見と卒業

 大金を掛けた意味の無い計画の中にも、唯一盛り込めたポジティブな内容は民間主導型まちづくり推進による有休資産の活用です。
 今から約5年前、2)との邂逅により、従来の行政主導型まちづくりには無い自由な発想や価値観のリノベーションは、量産型ザクに取っては眩いばかりのものであるばかりで無く、その実現性や将来性に大きな可能性を感じ取る事ができ、「これぞ我がまちが生き残る最後の手段」とばかりに開講したばかりの社会人大学を受講、同時に組織内での政策化実現に向けて邁進する事になります。最初は懐疑的であった組織内部も、庁舎敷地内でのコーヒースタンド出店や市有地マーケット社会実証実験等(紆余曲折ありましたが詳細は別の機会に記せたらと思います。)を経て意識が大きく変化する事になります。
 そして、日本屈指の超VIP専門家を招聘し、ドリームチームを結成しながら政策化を推進し、第三セクター設立による公民連携事業化に向け、「さあ!本格始動!」という寸前で事態が急転、全てが無かった事になります。
 その理由としては複数ありますが、大きなものは第三セクター設立に関して議会の同意が得られ難いという事、そして組織が先か事業が先か、いわゆる「ニワトリ・タマゴ」の無限ループに陥ったという事、さらに市が早急な成果を求め過ぎる事、首長及び組織全体における覚悟・本気度が足りなかった事が挙げられます。
 更に私自身が人事異動で左遷される事により、『行政』という枠組の中で出来得る事が全て失くなりました。それと同時に「公務員だから出来る事」より「公務員であるから出来ない事」の多さに気付きました。
 過去の私も含め、公務員の方々は酒席においてだけ饒舌で「自分のまちには良い民間プレイヤーが居ない」と口にします。良い民間プレイヤーが見つかること事態が誠に稀有ですし、ましてや自分達(行政側)にとって都合良く扱える民間プレイヤーとなると更にその数を減らします。
 正直、小規模自治体においては、補助金や公共事業受注など、行政を利用しようとする者は多くても、補助金に頼らずパブリックマインド旺盛な事業者など、1人居れば良い方で、行政側はそう言った民間主導型まちづくりのキーパーソンと如何に伴走して行けるかが大きなポイントになります。そこで見落としがちなのが、どうしても行政側がイニシアチブを取りたいがためにそのキーパーソンを見誤るという点です。
 全てではありませんが、◯◯協議会やNPO団体など、資金的に公共に依存した組織も多く、そのため、行政の使いぱしりとしてしばしば利用される場面も見受けられます。
 稼がなくても補助金や委託業務で活動資金が確保出来るとなれば、どうしてもモチベーションも下がり、その内容も希薄化していきます。結果的に実際のニーズとかけ離れた、本人達の「やり甲斐」という自己満足のために事業を行うようになりがちです。これは行政側にも多く見られます。
 私は市役所在職中には、大阪府大東市が進めている「大東公民連携まちづくり事業株式会社」のような、経営的視点を持った稼ぐ第三セクターの設立を目指していた部分もありましたが、市や市議会といった政治リスクに事業や組織が左右されてしまう恐ろしさもあり、寧ろパブリックマインドを持った民間プレイヤー、また行政と民間の橋渡しを行うエージェント的役割を担いたいという想いもあり、幾度の慰留も固辞し、2019年6月末を以て市役所を退職。同年11月に「株式会社 Re:p Akaiwa(レップアカイワ)」というニュータウン専門の完全民間型地域再生まちづくり 会社を設立しました。

4.まち全体の前に、自分の半径100mを豊かな暮らしに

市役所を退職する前から自らの思考に変化が訪れています。これはこれからまちづくりを推進していこうとしている人達によく話している事でもあるのですが、まずは「自分の半径100mの生活圏での暮らしを豊かにする事から始めてみる」という事です。
 「まち」と一括りにしてもその面積規模や地域の位置、ライフスタイル等、まちの中でも大きく異なります。勿論、価値観も違う訳でして、自治体が良く行う地域格差の無い政策が功を奏さないのは、この各地域の詳細な分析が不十分であるため、地域ニーズとの解離が大きい事が要因のように思います。農家に対して都会型な暮らし方を、住宅街で暮らす住民に農家型の暮らし方をさせるのは困難ですし、特定の地域をピックアップして政策を推進する事は行政にとって「不公平」を助長させるとの観点から避けられてきました。
 そうでなくとも地元利益誘導型議員や町内会等による強い要望やバイアス、クレームにより身動きが取りにくい行政組織。「あそこの地域だけ特別扱いして、金銭的な授受でもあるのではないか?」と言った噂や疑惑が生じやすい封建的な田舎ではこうした旧態依然とした「誰に向けてでもない誰のためでもない政治」が未だ根強く行われています。
 こうした背景の中で、行政職員は自らのまち自体が見え辛くなりがちでもあり、「まち」づくりとはどの地域を指し、どのようなものを指すのか漠然としたイメージの中でしか業務を遂行する事が出来なくなります。
 そうした具体的なイメージが沸かない場合に行うべきなのが「自分の住む地域、或いは自分の住まいから半径100mの生活圏での暮らしを豊かにする事から始める」です。
 自分が住んでいる家、生活圏では「何が起き、何が有り、何が不足しているか?自分や家族・友人がどのような暮らしをしたいか?」といった地域分析が明確に行え、「自らの生活を豊かにするために何が必要でどうしたら良いか?」という手段や目的が自ずと見えてきます。要は一見難しく考えてしまいがちな「まちづくり」というどこか他人事なマジックワードを自分事に置換する事が可能になり、そのイメージや将来像がはっきりとしてきます。
 私は幼少期から西日本有数の郊外住宅団地(ニュータウン)出身・在住でもあったため、ニュータウンでの生活様式や地域性にも熟知していました。更に同様に全国各地で作られた郊外住宅団地もオールドニュータウン化し空洞化していく事もあり、これらの地域再生を手掛ける事は将来的に大きなビジネスチャンスに繋がるとの目論みもあるため、ニュータウン専門の地域再生まちづくり会社としてソーシャルビジネスによる地域再生を手掛けることにしました。まずは自分の半径100mの実践です。飲食業・宿泊業・農業といったこれらのソーシャルビジネス(詳細は別のコラムに掲載します。)を自らの地域で行うのですが、事業計画段階の2020年初頭から、全世界を新型コロナウイルス感染症の恐怖が包み込みます。

5.新型コロナ禍に見る民間主導型まちづくりの脆弱性

 新型コロナウイルス感染症は瞬く間に全世界を恐怖のドン底に陥れました。従来のウイルス性感染症と違い、桁外れの感染力を誇るこのウイルスによるパンデミックは、人間の生命の危険だけでなく、社会活動、更に経済活動まで危機的状況に追い詰めています。防疫・感染予防の観点から活動や生活、行動の自粛を求められ、国民・国家・人種間の疑心暗鬼や対立等、関係性の急速な悪化は言うに及ばず、日本国内においてもデマや誤情報の拡散、感染者やクラスター発生の恐れのある業態に対しての「現代の魔女狩り」とも言えるような監視・中傷・妨害といった行為が増加し、ある種、集団ヒステリーの様相を呈していると言っても過言ではありません。『自粛』の名の下に全ての活動が制限されるなか、その自粛に関する経済的損失について、政府は未だ有効な政策を打ち出せてはいません。国民1人あたりマスク2枚と10万円が給付されますが、未だその両方が届かないと言う国民も多い有様です。新型コロナウイルス感染症による自粛により経済的損失を受けている企業の支援・保障も制度の不備やスピード感の欠如、対象範囲の狭さ等が目立ち、政府自体も未曾有の事態で浮き足立っているように見えます。
 弊社も事態の収束が見えないなか、資金繰り、雇用維持、プロジェクト開始時期の見定め、融資のタイミングと融資規模の修正、アフターコロナの経済活動再開規模等、実に悩ましく悶々と眠れぬ夜を過ごしてきました。
 世界経済の損失も著しく、アジア開発銀行(ADB)は最大で8兆8千億ドル(約940兆円)の経済損失の可能性があると試算しています。また、日本国内においても、今年の倒産(負債一千万円以上、法的整理)件数が、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で7年ぶりに1万件を超すとの見通しと帝国データバンクは明らかにしました。企業の破綻が相次ぐと働く場を失う人の増加が予測され、雇用と生活水準の維持が非常に厳しくなります。
 民間主導型まちづくりの主役は民間プレイヤーです。特に小規模な事業者クラスターがそのエリアを活性化させるのは間違いありません。小規模ゆえのフットワークの軽さやチャレンジする手軽さがメリットに挙げられますが、逆に今回のような事態に陥った時、一番に被害を被るのも小規模事業者である事が分かりました。
 民間主導型まちづくりの根底にあるのは近隣他者との人間関係性であるとともに、「共助」といった地域の繋がりの形成であるとも言えます。それが新型コロナウイルス感染症の第二、第三波の襲来も予測されるなか、感染予防のための「三密」防止、外出自粛、移動の制限、営業の自粛、「相互監視」や「自粛の強要」等、今まで以上にネガティブな地域の繋がりが世論を占めるようになると、民間主導型まちづくりは「魔女」的な扱いを受けかねないという危険性を孕んでいると言えます。

6.それでもまちづくりは辞められない!

 ここで今回のコラムのタイトル『ヤメ公は希望への扉か地獄への扉か?』という話に戻りますが、結論としては、こればかりは何とも言えません。公務員を辞めて何になるか?によって全く開く扉も変化してきます。
 行政の力が強く働く第三セクターに就職、或いは役員となった場合のメリットとしては、組織の信用性や資金調達、雇用・報酬の面では非常に安定しているのではないでしょうか?デメリットとしては、政治リスクに事業が左右される点、議会や地域の反対等により思い切った事業の実施が難しい点が挙げられます。このデメリットを解消するためには、如何に行政サイドの政策部門が汗をかくか?議会や地域への根回し・説明を丁寧に行い、了承を得るか?が大きなポイントになります。
 では、完全民間プレイヤーとなった場合はどうでしょう。メリットとしてはやはり事業及び意思決定スピードの速さ、自由な事業の実施が挙げられるでしょう。その代わりに組織の信用性や資金調達の厳しさ、雇用の安定維持、事業開始直後の報酬の低さ等が犠牲になります。私も役員報酬をいただいていますが、設立間もない事もあり、低く設定しています。前職から比較すると収入は半減しています。だからと言って辞めようとは決して思いませんけどね。
 この業界に身を置くとよく耳にするのが「市役所職員でありつつも、無報酬でまちづくり会社を作りたい」という考えですが、現段階においては非常に厳しいものであると言わざるを得ないでしょう。末端の自治体において特に言われるのが「利害関係の透明性」です。直接は市と契約は結んでいなくとも今後可能性がある場合(まあ、まちづくりを進めていくうえでは否応にも関係性を持つ事になっていきます)、違法性は無くとも『疑われる可能性がある以上は認められない』という結末を迎える事が多いかと思います。私自身もこの事で事情聴取と厳重注意を受けました。現在、公務員もちらほらNPO団体等との副業が認められつつあります。これからはその幅も拡充されていく事でしょう。ですが、それまでは血気にはやらずじっくりと腰を据えて未来を描いておく事が重要ではないでしょうか?公務員の方は「まず辞める事」が一番になりがちですが、まずはやる事をしっかりと決めたうえで次のアクションを起こす事が重要です。
 因みに、私の中では「事業=タマゴ」「組織=ニワトリ」でタマゴが先でした。手段の目的化を防ぐためにも、ぜひ自分だけの「事業=タマゴ」を見つけていただきたいと思います。
 現在、自治経営さんから3本のコラム執筆依頼を受けていますが、次のコラムではこの「事業=タマゴ」について、そして3本目は番外編として2019年7月に現地へと飛んだ「オランダ視察から見るエリアとライフスタイルデザインの重要性」について書いていきたいと思います。