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ほっとして、ごめん

膵臓がんを2年半闘病した母が、緩和ケアに入って2ヶ月が過ぎた。
病院で1ヶ月、色々あって在宅医療に切り替えて1ヶ月。
特にここ2週間くらいで急激に状態が悪化していて。

今朝、車で1時間かけて実家に着いたら
母が眠っていて
叔母も、弟も居間にいて
父から
「お母さん、またひとつ段階が進んだんだ」
と告げられた。

昨晩、内服の痛み止めや麻薬のテープでは抑えられない痛みにのたうちまわり、明け方訪問看護師さんと先生が来て
話し合いをした結果、24時間の皮下注射で痛み止めを入れ続けることになった。

この痛み止めの量を増やしていくにつれて
意識が朦朧としたり、うとうとしたりする時間が長くなること。
これの段階が進んでいくと
辛さを取るために、ほとんど眠っているような「鎮静」という状態に入り
こうなると、もう、会話するのが難しいこと。

先週、症状が悪化した時点で一度聞いていた説明だったけれど
眠る母を目の前にして、体が縮こまって、変な汗が出た。

「今は眠ってるけど、まだ起き上がれるし、会話もできるし、ハグもできるから」
と、父が話したところで、母が

「起きてるよ!」と声を上げた。

居間に置かれた、大きな介護ベッドに寝たまま
「おいで!」と
小枝みたいになった腕を広げて、力強く笑ってくれた。
感情を殺して父の話を聞いていた緊張が切れて
泣きながら、抱き合った。

母は、一日ふわふわとしていた。
寝てみたり、起きて少し話してみたり
自分に刺さっている皮下注射の管がなんなのかわからなくなっていたり
私が作ったごはんを食べたい、と言い出したものの
自分が食べているものや、考えていることがわからず
結局一口も食べられず、それでも
「さおりの作ったご飯を食べたから、元気になった」
と言ったり
トイレの介助をされた後、やけに陽気に戻ってきたり。

たった3日前、家族ではきっと最後の、前倒しのクリスマスパーティーをした時とは、明らかに違う人になっていた。


2週間前、母の強い希望で、初めて訪問の主治医に
「余命」
を聞いた。
私はその場にいなくて
後から父と母に説明を受けたけれど
先生は、1時間かけてじっくりと、話をしてくれたそうだ。

意思の疎通ができなくなるまで、2週間から6週間。
最後の1週間から2週間は、冒頭に書いた「鎮静」という状態で
なるべく辛くなく、息を引き取ることになる。

ずっと、先が見えない中で闘病、そして周りで寄り添うことをしてきた。
母は「先が見えて、やっと安心した」と言った。
いつまで生きられるかわからない状態で
なんのために飲むかわからない薬の管理をしているうちに
1日が終わる。
治療に追われて、他のことを考えたり
1日1日を大切にする心の余裕もない。
家族も疲れ果てているのに、この時間がいつまで続くかわからない。

だから、やっと安心して、何も考えずに過ごすことができると。


ごめん、お母さん。
終わりが見えたことに
私もほっとしてしまったんだ。

この3年間「絶対に外せない予定」や「自分の仕事のことだけを考える」ことはせず、1ヶ月先のスケジュールはなるべく空っぽに、いつ何があっても飛んでいけるように、なおかつ、1ヶ月2ヶ月介護に費やしても困らないだけ稼げるように、やってきた。
全然、長女らしいことはできないけれど
大変だったのは、近くにいる父や、弟や、叔母だったと思うんだけど
それでも、常にそのことを考えて動いてきた。

実家に通いながら抱えられるギリギリの量の仕事だけ残して
その他のことは、一旦全部手放した。
でも、実家にいくときは
「大丈夫!なんのためのフリーランスなのさ!」
「一番元気なんだから、頼って!」
と、ずっと明るく元気に振る舞っていた。
帰ってきた瞬間、全身の力が抜けて
貧血のようになり、起きていられなかったり
自分の家族にイライラしてしまったりしてたのに。

それでも
「いつまで続くんだろう」と思うことなんて、
あまりにも罰当たりで、頭からかき消していた。

でも、ごめん。
期限があることに、ほっとしてしまったんだ。
終わりが見えるからこそ、今を大事にしようって
思えたんだ。

私は、今のお母さんが好きだ。

「さおりの包丁の音は、料理をしてる人の音になったね」
「ごはん、完璧!」
「美人になったね」

元気な時、特に10代の時に言ってもらったことなんてない。

在宅になってからも、なかなか人への疑いの気持ちやイライラが
なくならなかった母が
今フワフワしてて、何も考えず、なんとなく幸せそうなのは
嬉しい。

フワフワしてわけがわからなくなっているのに
帰り際
「大丈夫だから!」
「また、会おう!!!」
と、しっかりした目で見つめて言ってくれて
大丈夫だ、と思えた。

病気になる前も
なってからも
今も
どれも、最後まで、大好きなお母さんなんだ。
後何日、一緒に過ごせるかな。
後何回話せるかな
でも、悔いはないよ

この後、たくさんの方への感謝を連ねたくなったんだけど
まだまだ2000字くらい続いてしまいそうなので
今は、家族に寄り添って、自分の生活を平常心で回すことに
徹したいと思う。
心を寄せ、力を尽くしてくれている
全ての方に感謝しています。

ではまた。

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