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食の病ではない、「人からどう見られるか」の病のホント。摂食障害と向き合い、発信し続けている竹口和香さんのお話。

みなさんこんにちは。ジブン研究編集部です。自分の身近に、何かについて思い悩んだり、思い詰めたりしている人がいませんか?目には見えないけれど、何かに悩んで苦しんでいる人が意外と身近にいることを私たちは忘れそうになります。もし、自分の周りに悩んで苦しんでいる人がいたら、自分には何ができるでしょうか。

日常生活の中で感じる違和感や疑問についてオープンに語り合える場を、当事者との対談形式で実施するオンラインイベント「Original Life Talk」。今回は4年前に摂食障害を克服され、様々なメディアで発信を続けている竹口和香(たけぐち わか)さんに、お話を伺います。

摂食障害とは、単なる食欲や食行動の異常ではなく、1)体重に対する過度のこだわりがあること、 2)自己評価への体重・体形の過剰な影響が存在する、といった心理的要因に基づく食行動の重篤な障害です。(厚生労働省HPより)

イベントに先立ち、摂食障害について、当時どう向き合いながら日々を過ごしていたのか、話をお聞きしました。
第9回「摂食障害ー食の病ではない、「人からどうから見られるか」の病のホントー」どうぞ、お付き合いください。

はじめに


初めまして。竹口和香(たけぐち わか)です。
私は、過去に経験した摂食障害の体験をもとに現在は摂食障害や心の問題についてメディア発信したり個人相談のサービスを行ったりしています。今日は、摂食障害について色々お話しできたらと思います。


症状について


Q.和香さん、どうぞよろしくお願いします!早速ですが質問をしていきたいと思います。最初、症状としてはどんな感じで表れましたか?

「私は摂食障害の中でも拒食症と過食症の中の過食嘔吐という症状を経験しました。拒食症のときは病識がなく、気づいたら摂食障害の沼にハマっていた記憶です。当時高校2年生の拒食時の症状は主に食事制限、過活動の症状でした。1日の摂取カロリーを800kcal以下に制限して、毎日摂取カロリーを計算したり、またお母さんのお弁当を捨てたり、夜ご飯を食べてきたと嘘をついたりと、カロリー制限のための嘘や偏った行動も見られました。食事制限に合わせて起きたのは過活動で、痩せるために毎日1時間半ぐらいランニングしたり、走って学校に行ったりとか。家でも筋トレして、2時間半身浴して、生活全体がカロリーを消費することにすごく加担していたなと記憶しています。結果、低体重に加えて慢性胃炎、無月経、脱毛、貧血などが起きていました。一転、過食に転じた際は、自分の食欲が自分でコントロールできなくなりました。これまで自分で管理できていた食事や運動がどんどんできなくなって自分の意思に反して身体が動いて大量の食べ物を食べてしまうことに絶望しました。過食の代償として嘔吐や下剤乱用という術を使って身体も心もボロボロでしたね。拒食と過食は相反した症状のようですけど、共通していることは体重や見た目に自己価値の多くを置いてしまうところ。痩せないなら生きてる意味がないんです。だからどんな手法を使ってでも痩せようとしてしまう。」

人からどう見られるか


Q.どうしてそこまで痩せたいと思ったのですか?

「最初はただ痩せてみようという軽い気持ちでした。そして痩せたら褒められたという経験から、太ることが非理論的に怖いという感情に変わりました。太るくらいなら人前に出たくないし、自己管理ができない自分なら消えてしまえとすら思ってましたね。じゃあダイエットしたみんなが摂食障害になるのかといったらそうではないので、そこには決定的な理由があったんだと思います。今振り返ると、本当に眠っていた感情は「愛されたい」だったのだと思います。愛されるために完璧でいよう、世間の正解を歩こうと自分を押し殺していたんです。思えば摂食障害の前から「いい子」「気がきく子」みたいにお手本のような子だった。そんな褒められるべき自分を保ちたかった表れが摂食障害の痩せへの依存になったんだと思います。痩せが称賛される文化にのめり込んで、気がつけば愛されるための痩せに殺されて、身体も脳も心も何を求めてるかわからず「人からどう見られるか」に支配されました。次第に外面と本当の(摂食障害の)自分の乖離をごまかさなきゃいけないというストレスを発散する方法として、摂食障害の症状が苦しみを伴う快楽に変わる。奇妙ですけど、自分の意思ではやめたくてもやめられないという域です、依存症の一種ですね。
摂食障害は食の病じゃない、自分の人生を歩めなくなる病。みんなが抱いたことのあるような感情が深く関わっています。

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※過食と嘔吐を繰り返していた時期の写真


私自身と関わってくれた


Q「摂食障害だった」と自分で言葉にするまでに長い年月がかかったと思いますが、言葉にできたきっかけと、当時されて嬉しかった関わりはどんな関わりでしたか?

「言葉にした1番の理由は、もう一人で抱えるには限界があったから。自分が楽になりたかったんです。自分の中で摂食障害が大きすぎて、その事実を言葉にしていないことが、私がこの世に存在するにあたって、世界中に大きな嘘をついているような感覚でした。今活動している当事者に向けての発信も、「一緒に生きていこう」っていう気持ちでいます。助けてあげるという一方向ではなくて、双方向に関わりあいたい。「一人じゃないんだよ」と感覚的に感じてくれたらいいなぁと。。
当時されて嬉しかった関わりは、摂食障害をカミングアウトしても自分との関わり方が変わらなかったことですかね。「竹口和香自身」と付き合ってくれたというか。当時受けていたカウンセリングの先生は、摂食障害を治していこうね、ではなくて、今和香ちゃんが持っている健康な部分を増やしていこうと接してくれていました。出来ないところを直しなさいではなく、そのままでいながら良いところを伸ばしていこう、という考え方に随分救われました。」

「今日はこんなことが出来た!」と自分に声をかけ続けた


Q他者からの声かけによって支えられた部分もあったと思いますが、それでも自分自身に対して自己嫌悪に陥ってしまって落ち込むことがあったのでは、と想像しています。そんな時、自分にどんな言葉をかけていましたか?

「おっしゃる通り、最初はどんな言葉をかけられても信じれなかったり、自分のゆがんだフィルターを通して自分を傷つける言葉として受け取るような感じでした。そこでカウンセラーに勧められて始めたのが日記をつけることでした。当時の私は、「できた自分」を客観的に見て褒めてあげることができなかったんです。だからそんな自分にどんな声をかけられても素直に受け取ることができなかったんです。そこで、ささいなことでも「今の状態の自分でこれができてる!偉いぞ」と日記に書いて自分を褒める練習をしました。書ける体調のときだけ、書きたい分量を書くことで、自分への宿題ではなく自分の休憩所のようなものを作られた気がします。理想を下げるというか。本当の意味で自分を褒めることができるようになるまで、長い時間はかかりましたが、書いているうちにストレスが少しずつ軽減していって、乗り越えられた気がします。それまでは、ずっと「変わらなきゃ」って思ってたんですけど、本当はそのままで十分だった。変わる必要なんてなくて自分が今の自分を受け入れてあげたら楽になれるのかなぁって感覚的に思えたことは大きいです。


摂食障害を知らない人へ


Q摂食障害を知らない人、あまり関わりがない人へ何かメッセージはありますか?

私を見てもらったらわかると思うんですけど、見た目では本当にわからないんです。でも、案外悩んでいる人が本当に身近にいるんです。摂食障害は食の病ではなくて、人からどう見られるか、の病だと精神分析医のヒルデ・ブルックも言葉に残しています。
あと、当事者・非当事者と分けることに私は違和感があって。みんな何かしら、何かの当事者なんですよね。だから、マジョリティとかマイノリティ、正解とか不正解をなくしていきながら、当事者になりすぎることを手放していきたい。
当事者としての意識を強く持ちすぎていると、当事者である自分の主張が「正解」のように伝わってしまって、他の何かの当事者である人を否定することに繋がるとも思っています。こんな人も世の中には存在するんですよ、程度で知ってもらいたいなと思っています。」

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これから


Qたくさんの和香さんの経験談を聞かせてくれて本当にありがとうございました。最後に、和香さんが考えている「これから」を教えてください!

「特別な抱負はないですけど、言葉と空間が好きだから自分が好きな人と好きなものを創っていきたいと思っています。好きって思い込んで頑張っていたことを手放して、これまで自信ないけどほんとは好きだと言いたかったことに向き合って人に頼りながら挑戦していきたいです。摂食障害の頃はできなかった自分の人生歩くか〜っていう感じです。」

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最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
摂食障害の方、もしかして私・僕も摂食障害かもと思われる方、摂食障害について知ってみたい方など、ぜひイベントにご参加ください。
当日は、和香さんへの質問タイムや参加者同士の対話の時間もご用意しております。
イベント参加は、以下のイベントページ内の応募フォームよりお願いいたします!みなさまにお会いできることを楽しみにしております。

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▽イベントページ▽

https://fb.me/e/bkZuBv98k


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