日本の"自分で始めた女たち"#6 原田諭起子さん 最終回「世の中に出さなきゃいけない人が、絶対にいるんですよ」
原田 諭紀子さん(アクセサリーデザイナー・プロデューサー)
最終回(全4回シリーズ)
(第3回目はこちら)
原田さん 斬新なところを見て新しいクリエイションをするという点で、私がやっていることはブルーオーシャンだなって思っているんです。でも10年前に会社を立ち上げたとき、味方は姉と母だけ。夫は何も言わなかったけど、まわりの全員が失敗すると思っていた。ノリでやっていると思われているみたいで。でももう10年経ちました。
中村 ノリで10年は続かんでしょ。
原田さん 実家が会社を経営して辛酸をなめるのも見てきたので、会社経営だけはしたくないと思っていたんだけど。
自分の価値を認めてくれる東京の人たちがいて、対等にわたっていくには会社組織にするしかない。でも周りには「アクセサリー屋が百貨店に声をかけられ、いい気になって会社を立ち上げた」と思われたと思う。
そのとき、私は底辺にいたと思うんですよ。いろんな人と組んだけど、「Matsuyoiのくせに」なんて言われていたから。でも、だからこそ、私は自由に東京に行けた。可愛がられていたら行けなかったと思う。
中村 ああ、それは思う。
原田さん 自分が嫌われていてラッキーだったかもしれない。表向きに不幸に見えることって、逆にラッキーだったりすることってありません?一瞬あきらめるような要素っていっぱいあるけど、その合間にチャンスがあることを忘れないほうがいいんですよね。そこを見抜いているかだと思う。
だから「このままじゃダメだ」ってときに、東京に引き抜かれたというのはよかったのかなと。
中村 「こっちに来なさい」と・・・
原田さん ・・・言われたような気がしたんですよね。
だから、「外に出るのはちょっと」という人も、今いる場所で満足しているなら、いいと思う部分もあるんです。それで商圏が成り立っているなら。
共通の美意識があって薄くつながる
そんな人となら、うまくいく。
原田さん 私、これからは技術を現在まで綿々と受け継いで来た人たちと組みたい。すごいものを作っている人たちとクリエーションしたいんです。「一緒に動くとすごいものができる」って直感的に分かる人と仕事したい。
もしうまくいかなかったとしても、会った人とのつながりで別の何かができるかもしれない。ここが仕事の面白いところだと思うんですよ。
大事なのは動くこと、それは間違いない。
中村 いっしょにやる人についてはどうですか?
原田さん 共通の美意識があって、何かのときに薄くつながる人がいいですね。
自分が仕切って、薄い関係の人同士をつなげるほうが企業として健康的なんじゃないかなと思う。誰かとがっつり一緒にやるのはムリ。そんな人は100%、うさんくさいから(笑)。
中村 そういう人には、何かこっちがおいしいものを持っているように見えているのかなと思うことがあります。でも、おいしいもの、何もない(笑)
原田さん いや、たぶんお金的なものより、人とのつきあいに興味があるんじゃない? 私の場合もそう、背景にあるものを求めて来る。でもうまくいったことない。
中村 人のつきあいは信頼関係だったり相性だったりしますもんね。
原田さん うまくいきたかった人とうまくいかなかったりとかね。それはもう、しゃあない。
誰かと誰かをつなぐとうまくいくこともある。
対等にやっていくけど、時が来たら離れる。
一緒にがっつりやっていくのは難しい。親が2人いることになるからね。
コロナが明けて、やり方を
考え直す時期が来たんじゃないかな。
中村 いまスタッフさん何人ですか?
原田さん 2人です。制作と経理・総務の担当者。東京の販売では売り子さんがいて、大阪にもいて、パリにはコーディネーターさんがいて、ニューヨークにはギャラリストさんがいて。
中村 尽力してくださるパートナーさんがいらっしゃるんですね。
原田さん 東京ではいい人に出会えたので売り場をお願いすることになりました。いつも私が売る必要があるのかな、やり方を考え直す時期が来たんじゃないかな。とは言いながら、相変わらず売り場に立つんだけど。
Matsuyoiの事業、アンティークの事業、プロデュースの事業を分けて、誰かできる人に任せていくことも考えたい。私はもっと大きい枠でものを考える仕事をしないといけない気がしているんです。
珊瑚の30代の職人さんのように「こんな優秀な人がまだおるん?」っていう、世に出さなきゃいけない人が絶対にいるんですよ。
指輪を作る若い人も、CADで設計図を作って「原田さんどうですか」と見せてくれる。じゃあ、その人と珊瑚の人をくっつけたらいい。レベルが高い者同士だから絶対にいいものができるし、この人たちがつくるものなら高くても売れるだろうと。
売る場所も何となく見えているのでそこにアプローチすると面白いんじゃない?って、私の頭の中の妄想を具現化したときに、お金にもなる。それもクリエーションですね。
中村 ここに原田さんがいたからこそ生まれた、っていうのが原田さんの価値ですね。
原田さん 売り場の構成はどうするか、壁の色、什器、それを考えるのはブランディングであり、クリエーションだと思うんですよ。私はショーケースの中の敷物ひとつでも全部自分で考えてディスプレイするのが好きだったし、やってきたからこそ今がある。プロデュースでもそんな仕事をしたいなと思っています。自分が成功することで次の方が出てくれば、それはすごくいいと思う。
原田さん さっき「何で動かないんだろう」って言ったけど、やっぱりいろいろリスク考えちゃって動けないの、分かるんですよね。
でも、いま、才能ある人が苦しい思いをしていて、でも外に出ていけないのであれば、私にとっての百貨店みたいな、いまいる世界の外へ連れ出してくれる存在があればいいのかなって。
一般的に悪いと言われている状況でも、「いい」に変えていく人たちもいる。そういう機会を作ってあげることができたらいいなと思うんですよ。
25年間やってきてもう、何をしても
そう怖いことはなくなった。
原田さん ところで、中村さんとは最初にどこで会ったんだっけ?
中村 久保月さんのところ。久保さんって人をつなげてくれるんですよね。最初は「そういうものか」と思ってたけど、実はそんな人、わりと珍しいと思うんですよ。
原田さん 「ちょっと原田さん紹介しますよ~」ってね。本能的に人をくっつけている。
結局、人の縁を大事にする人が成功するよね。商売って人の良さも怖さも全部教えてくれるじゃないですか。その中で自分がどの人と組むかっていうのは自分の力量。自分の力量を信じられないと、こういう仕事はできないよ。
誰でも紹介するんじゃなくて、自分の目に叶った人と自分のいいと思うものをつなげて、日本のトップクラスの仕事をしたい。それを海外に向けて発信する。
そこまでいい具合につながりそうな匂いがするんで、今後は自分で言うべきだと思ったんです。今まで言わなかったんですけど、言っちゃえと思って。
本当にいいもの、きれいなものは世の中にいっぱいある。それを見つけるのが私の仕事だし、つくるのも私の仕事。会社になって10年、Matsuyoiを始めて25年。四半世紀やってきて、みんなにちょっとは分かってもらえるようになったなと思います。
もう何をしても、そう怖いことはなくなったな。(笑)
【完】
ーー
(おわりに)
2020年1月、世界がパンデミックで閉ざされる直前。私は原田さんに招待枠をいただき、Matsuyoiさんが出展するパリのMaison&Objetを訪問しました。
当時、地方での「国際企業戦略」として海外販路開拓を目指していたので「私も行こうかな?」と言ったら「おいでよ」。M&Oの会場でも、世界で勝負する日本の作り手さんをいっぱい紹介してくれました。
人と人、人と新しい世界とつなげるのが得意な原田さん。
「人脈」というどこか物欲しそうな言葉では表現できない、信頼感のある確かなつながりを、自分の手で紡いでこられたのだと思います。出し惜しみなく手を差し出してくれるのも原田さんらしい。
だからこそ、時には思いもしない傷も負ってきたのだろうなと想像します。それでも黙して飲み込んで、美しいものを作り続けてきたのだろうと。
25年の喜びも自負も悔しさも幸せも、すべて真珠層のように厚く巻かれて。
原田さんの手から生まれてきたものは、柔らかく美しく、光を放っています。
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