社会不適合のままでも、きっと。
「生きづらい側の人間なのだ」と気づいたのは、13歳の時だった。
みんなが当たり前にやっていることが、わたしには息苦しい。集団のなかで上手くやれない。連れ立ってトイレに行かなきゃいけないのはなぜなんだろう。ひとりでいることは集団のなかでの死を意味する空気すら漂い、それを無視する強さのないわたしに、ずしりと重くのしかかっていた。
それからずっと、なんとなく居心地が悪いまま、生きてきた。
中学高校大学社会人と、変わらずに在り続けるこの息苦しい場所が「社会」なのだと思った。そこに適合できない自分を「社会不適合者なんだろうな」と納得しながらも、どうにか "ハリボテの社会性" で日々を乗り切ってきた。
わたしには、わからなかった。
どうすればこの社会で、心地よい場所を見つけられるのか。見当もつかなかったのだ。
「社会を、少しでもいいからわかりたい」
そんな素朴な思いから、大学では社会学を専攻した。
社会とは何か。どうやって成り立っているのか。そして自分はどうすればいいのか。デュルケーム、マックス・ヴェーバー、フーコー、さまざまな有名社会学者が論じる「社会とは」の視点で、この世界を見つめてみる。
それで一瞬はなんとなくわかったような気になっても、次の瞬間にはやっぱりわからなくなってしまう。
社会がわからないと、そこに自分のカタチを合わせることすらできないのに。
「少しでもいいからわかりたい」の願いは成就しないまま卒業し、社会という「わからないもの」のなかに投げ出され、泳ぎ方もわからないまま溺れに溺れて、いまはこの社会の端っこの、ちょっとした浅瀬で生きているような感じ。
「社会をわかりたい」という気持ちは、今も変わらない。
ただ、大枠は変わらないのだけれど実は、以前よりもほんの少し視点が変わっていることに、最近気がついた。
これまでの「社会をわかりたい」は、どうにかして自分が社会に適合したい、うまく生きていける自分になりたい、という気持ちが強かった。
だけれど今は、自分を社会に合わせたいのではない。
自分と社会がうまく関われる方法を見つけたいと、感じているみたい。
圧倒的に存在する「社会」というものに対して、自分に無理をさせて合わせることは、たぶん難しいのだとようやく理解した。ましてや社会を自分に合わせようとすることも、当然できない。
で、あれば。
社会は「社会」として存在したまま。
わたしは「わたし」として存在したまま。
この2つが手を取りあえる場所を探したい。つまり適合ではなく、双方向の関係性をつくりたい。
そうなると、「社会をわかりたい」の意味も変わってくる。
全体を理解したいという意味ではなく、どちらかというと「自分と社会が、うまくやれる点を見つけたい」に変わった。
「社会」の捉え方を変えること。自分のなかから「社会」に関われる点を見つけること。つまり、自分と社会の関係をつくりなおすこと。
今も社会学を学ぶのは、社会を捉える引き出しを増やすためであり、「この視点なら、うまく関われるかも」と思える捉え方を見つけるためなのだろう。
わたしは視野がとても狭いので、自分だけで考えようとすると、どうしても「いや無理じゃん」と匙を投げてしまう。自分をダメなやつだと蔑むことで、なんとか社会を生きようとしてしまうかもしれない。
でもそれじゃあ、たぶん、浮かばれない。わたしの人生。自分を蔑みながら生き続けられるほど、忍耐強い人間でもない。
だからわたしは今日も、自分なりの社会との関係をつくりなおそうと、じたばた足掻いている。
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ちなみに最近「この視点がいいかもしれない」と感じているのは、ゲオルク・ジンメルの社会学。入門として『ジンメル・つながりの哲学 (NHKブックス)』を読み込んでいるのだけど、とても腑に落ちるところが多いです(わたしのnoteを読んでくださっている方は、読んでみると何か発見があるかも)。
おわり
「じぶんジカン」では、自分と向きあう時間をつくるノートをお届けしています。
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