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「誰かの暮らし」に憧れるのは、もうやめた

「これが幸せな暮らしなんですよ」という "正解" が、これでもかというほど世の中に溢れてる。

良いホテルのような広々とした家での暮らしが描かれるCM、凛とした器が並ぶキッチンを特集した雑誌、YouTubeから流れてくる丁寧な暮らしの動画。

とてもとても影響を受けやすいわたしは、「いつかわたしもこんな暮らしを」と夢見ていたし、それを叶えることはわたしにとっての幸せ……のはずだった。

はずだった、というのは、ここ1年でわたしの頭に「あれ、なんかちょっと違うのかも」という実感が、ふつふつと湧き出てきたからである。

わたしは暮らし系の雑誌を読むのが好きで、特に『&Premium』や『Casa BRUTUS』の "静かで落ち着いた大人の暮らし" に憧れる。紙面に集まっている優雅な暮らしをぱらぱら眺めては、「いつかわたしも、こんな素敵な暮らしをしたい」と、ずっと思っていた。

ここでわたしが感じていた「こんな素敵な暮らし」は、例えば広々とした綺麗なおうち。大きくてふかふかなL字型のソファ。シンプルだけどセンスの溢れる家具達。スッキリとしたアイランドキッチン。色彩の落ち着いた雰囲気。

そんな暮らしを夢見ながら、実際のわたしはというと、それらに近づいているとは言えない生活だった。

現実は、自分と同い年ぐらいの、ややくたびれた賃貸マンション。広々とした新築や築浅のおうちに住めるほどの経済力なんてない。家具は、一人暮らし時代から引っ越しのたびに買い足したもので、統一感がない。ちなみに何度も引っ越しをしているけれど、アイランドキッチンの物件にお目にかかったこともない。これもたぶん、わたし達の予算の問題かしら。

ただ、唯一とも言える悪あがきがある。
これまでずっと "畳の部屋" がある物件だけは、避けてきた。条件や立地が良くても、「畳の部屋がある」というだけで選ばない決定打になるほどだった。理由は、自分の「憧れの暮らしイメージ」のなかに、畳の部屋は存在しないから。フローリングと白い壁、心地よいホテルのような家が理想だった。

しかし、そんなわたしが「この街に住みたい」と熱望し、2年前に引っ越してきた物件は、堂々と畳の部屋が構えられているおうちだった。

とっってもふつうの和室

琉球畳みたいなおしゃれ畳でもなく、おそらく前の住人が使っていたであろう日焼けしたふつうの畳に、わたしは困惑した。だってそれは、わたしの「憧れの暮らし」には、存在しない部屋だったから。

それゆえに、越してきてからしばらくの間、わたしはこの部屋とどう付き合えばいいか、わからなかった。

一応「書斎」と名付け、本棚を置いてみる。
でも最初のうちはそれだけで、その部屋でくつろいだりすることはなかった。

しかし数ヶ月経つと、気持ちに変化が訪れる。

慣れてきたのか、馴染んできたのか、なんだかじわじわと愛着が湧いてきたのである。

畳の上を裸足で歩く気持ちよさ。障子から透けてくる陽の光が綺麗なこと。植物を置いてみたらなんだか空間も生き生きとしてきて。あっ、そういえば使ってないハイバックのアウトドアチェア、置いてみようかな。そのそばにキャンプ用のテーブルも置いて、コーヒーテーブルにしよう。

試行錯誤したあとの和室

そうやって工夫しているうちに、しみじみと感じた。

「ああ、わたし、この空間好きだな」

この部屋にあうランプを買いに行っちゃうくらいには

そこからは、ほつれた糸がするすると布を崩していくみたいに、わたしがこれまで抱いていた「憧れの暮らし」のイメージは、さらさらと溶けていった。

新しいマンション? 歴史があるからこその、心地よさだってあるのよ。

アイランドキッチンは、必要ないかも。そもそも料理、そんなにしないからな……。

センスのあるおしゃれな家具も良いけど……今の年季の入った家具達も結構好き。大事に使いたいって、思ってる。

これまで一生懸命憧れてきた「自分の外側で見つけたイメージ」達を、一度手放していく作業。

憧れ続けた「誰かの幸せそうな暮らし」って、本当に自分にとっての幸せな暮らしなのかな?

実はこれまで盲目的に信じてきた "正解" は、自分にとってそれほど重要じゃなかった、なんてことがボロボロと出てくる。

整理するなかで余白が生まれた頭の中に、「自分にとって幸せな暮らしって何だろう」を、もう一度集め直していく。

そうして集めた、自分が内側から求めている「暮らし」は、もっと素朴なものだった。新しくて綺麗なものじゃなくても、古くて愛着の湧くものを大切に。物も、そんなにたくさん無くてもいい。必要なものを、必要なだけ。華やかさや煌びやかさはないけれど、小さな喜びを感じられるような、そういう暮らし。

こうやって書くと、「憧れをあきらめた」ように見えるかもしれないけれど、それはちょっと違う。

「そもそも本当に憧れているのだろうか」を見直した、と言った方が良い。

外側に用意された「憧れ」に向かっていくのではなくて、自分の内側から湧き出るものに目を向けるような、そんな感覚。

ちなみに今もわたしは、暮らし系の雑誌を読むのが好きだけれど、でも以前の読み方とは、ちょっと違う。素敵な暮らしを憧れのイメージとして眺めるのではなくて、その人はどんな哲学でこういう部屋にしたんだろう、と考えるようになった。

もちろん、自分もそれに強く共感すれば、自分の憧れのなかにプラスすることもある。けれどそれは、ただ表層の部分でマネしたいという気持ちではなく、「こういうスタイルでありたい」と思ったときだけだから、やっぱり以前とはちょっと違うと思う。

「誰かの暮らし」を覗くことが、当たり前になった今。

素敵に見えるそれらをやみくもに「幸せな暮らし」の "正解" にせず、「自分にとっての幸せな暮らし」を持っておくことは、他人との幸せ比べをしながら生きないために、大事なことのような気がする。

あなたにとっての「幸せな暮らし」は、どんなものですか。

日々のなかで目にする「素敵な暮らし」ではなく、自分の心が満たされるような、心地よく居られるような、そんな暮らしのあり方を知ろうとすること。

自分だけのものさしを持って、幸せな暮らしをつくっていくために。


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