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過去の自分に感謝しながら、未来の自分のために新たな種を撒く

こつこつ作っていたエッセイ集が、先日校了を迎えた。

「過去の自分が書いた文章をまとめて、エッセイ集にしよう」と決めたのはもう1年近く前のこと。そこからブログ記事を見返したり、再編集したり、大幅に追記したり修正したりしてきた。

わたしがブログを書いていたのは、2016年から2019年の4月ごろまで。フリーランスとして独立してから、ライターを辞めてちょっと経つまでの期間。

過去の文章には、あの時のわたしにしか書けない生々しい悩みや葛藤、そしてそこから考えたことが、たっぷりと記されている。今となっては思いつけないような言葉たちを読み返しながら「ああ、あの時に綴っておいてよかった」と思うし、なんだか愛おしさすら感じる。

わたしはなぜだかいつも、過去の自分にとても感謝している。あの時の自分が悩んでくれたから、一歩踏み出したから、あきらめなかったから、今がある。

数年前にそんなことをツイートしたら、それを見てくれた人から「わたしは過去の自分に感謝できません」という反応が返ってきたことがあった。あの時の自分が間違えたから、上手くやれなかったから、今の自分がダメなのだ、と感じるのだと。

「そんなふうに思うこともあるのか!」と一瞬驚いたのだけれど、よくよく考えてみれば、昔のわたしもそうだった。

わたしはいつも、過去の自分のせいにしたり、過去のトラウマのせいにしたりしながら、生きていたのだった(そしてその時のことについての文章も、今回のエッセイ集に入ってる)。

いつから過去の自分に感謝するようになったんだろう。

記憶の引き出しの至るところを開けてみたけれど、明確なきっかけは思い出せない。でもたぶんわたしは、"過去の自分" に限らず「自分を責めること」自体をやめたのだと思う。自分を責めても何も良いことがないと気づいた、というか。

それがまさに、今回エッセイ集に入れるために読み直している文章が書かれた2016年あたりからだ。

これは明確に自分で感じていることなのだけれど、2015年までのわたしと、2016年からのわたしは、まったく違う。たぶんその1年の間に、わたしは「わたし」を取り戻したのだと思う。

「わたし」を生きられるようになってからというもの、ずっと、過去の自分に感謝するようになった。

それと同時に、「未来の自分に心地よさを準備する」ことも意識するようになった。

わたしは「これからのわたし」のために、自分にとって心地よい方を選択する。一方で、過去の自分が準備してくれた心地よさに、感謝する。

つまり、今の自分は、過去の自分に感謝しながら、未来の自分のために新たな種を撒く。ずーっとその繰り返し。これが、"自分と仲良くする" ってことなのかもなあと思っている。

印刷会社さんから送られてきた見本誌を眺めながら、「これは過去の自分と、今の自分の共作だな」なんて思ったり。そしてこのエッセイ集を作ったことを、きっと未来の自分は感謝するのだろう。

エッセイ集のタイトルは『このままではない これからへ』。

「このままでいいのだろうか」と悩んでいたわたしが、進んでいくために考えたことを綴った文章。そしてそれは、これからのわたしにとっても大切にしたいことであり、忘れないために読み返したい言葉たち。

4月中旬には発売できそうです。その前に、3月末ごろから予約受付がスタートする予定。エッセイ32編入り。気軽に読める本になっていると思います。手に取ってくれる方がいたら、うれしいな。

最終確認の見本誌
写真も自分で撮ったものをセレクトしました
表紙選びの様子
最終的に爽やかな空色にしました

また準備ができたら詳細をお知らせします。おたのしみに。

おわり
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「じぶんジカン」は、自分と向きあう時間をつくるノートを販売しています。

毎週月曜&金曜が発送日です。


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