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「あの人も経験しているんだ」が心の支えとなって

自分ひとりでは抱えきれない心の苦しさや悲しみに、押しつぶされそうになった時。

いつも助けてもらったのは、「あの人も経験しているんだ」という、『誰か』の存在だった。

学校に行きたくなくて休んだ時期も、会社を適応障害で辞めた日も、手術のために入院した時も、インターネットの中で見つけた「自分と同じ経験をした誰か」の言葉に励まされてきた。

「他にも同じ悩みを抱えている人がいるのだ」と孤独感から解放され、自分より先に経験した人の言葉に希望を見出す。そのたび、インターネット上に記録を残してくれた誰かに「心の支えになってくれてありがとう」と伝えたい気持ちでいっぱいになった。

年齢を重ねれば人の支えがなくても耐えられるほど心が強くなるかというと、そんなことはまったくなくて。もうすぐ35歳を迎える今でさえ、ときおり心が苦しくなっては、やはり『誰か』の存在に救われ続けている。

特に、世間一般において祝福されやすい道じゃない方を選んだ時に、そう感じることが多い気がする。例えばわたしは、今のところ子どもを持たない道を歩んでいて、それはやはりどちらかというと「祝福される道じゃない方」だったりする。もちろん自分で歩んでいる道なので、普段はまったく何も思わないのだけれど、何かのきっかけで時折悲しくなってしまうこともある。そんな時に、同じ道を選んだ人の存在によって「この道で楽しく生きている人もいる」と救われたりもする。

また、新しい道を選んだ時の不安もそう。今まさに、わたしは都心を離れた自然のなかでの生活を始めたけれど、あまりに違う環境の中で途方に暮れることも多々ある。しかし同じように都心から自然のなかへ移住した人達の存在によって「わたしも頑張るぞ」と思えていたりする。

わたしがこうして文章を綴り始めたのも、『誰か』の経験談によって自分が救われ、その恩返しとして自分の経験も誰かの支えになったらいいなと思ったからだ。

今ではこうして読んでくれているあなたのように、文章を受け取ってくれる方もいるけれど、インターネット上に綴り始めた当初は見てくれる方もほとんどおらず。それでも書き続けたのは「ひょっとしたら誰か一人でも必要な方が見つけてくれるかもしれない」という気持ちで、それはいつかの『誰か』の小さな声に救われた日の自分自身でもあって。

今もわたしは『誰か』の存在が支えになっているから、その恩返しのような気持ちで、これからも『わたし』を綴っていけたら。


おわり


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