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自然治癒力を待つ忍耐が切れそうになったら【健康エッセイ】

・難しい病気ほど、治療には人の手が必要だと思っていた


病気をしたとき、自然に体が癒えていくのを待つって、なかなか難しいことだ。

待てども待てども、楽になる気配がないから、不安になりやすい。

私はそれに加えて、難しい症状であればあるほど、人の手が入った方が治る確率が高いと思っていた。

だから眼瞼けいれんを発症した時は、手術で悪いところを取ることに
とにかく意識が向いていた。




・今は自然治癒力の良さを感じている



あれからずいぶん時が経った。

今は考えがすっかり変わっていて、
自然治癒の良さを感じている。

体の計画に合わせて、体が修復したいと思う場所から、順に修復されていく過程が大事だと思っている。

それは、その方が後戻りが少ないと感じるからかも。

確かに1つの症状がなくなるまでは、時間がかかる。

けれど、いざなくなる時、そのスピードはとても速いし、一度なくなってしまうと再び現れる確率が少ないと感じている。



・自然治癒力は肌のターンオーバーのように



以前、ブログでこんな話をしたことがある。

「いま表に出ている症状だけが、症状ではない。

その下にも症状はあって、でも1番上が消えない限り、下の症状は姿を現さない。

症状は何層にも何層にも薄い層のように重なっているから、1枚1枚、その層がはがれていくのを待つしかない。」


きっと、これを書くことで、気長に待つよう自分に言い聞かせたかったのだと思う。

それに対して、友人はこうコメントしてくれた。

「肌のターンオーバーみたいだね!」
と。

本当にそうだと思った。

私たちが普段意識できる皮膚は、
1番上の、目に見える部分だけだ。

けれど、皮膚はそれだけではない。

下には、上に上がってくるのを待つ皮膚が何層にも積み重なっている。

どの皮膚も、日の目を浴びるのを待ち望んでいるみたい。

けれど、ひとたび表に出れば、最後は剥がれ落ちる運命だ。

そして剥がれてしまえば、元には戻らないし、戻すこともできない。

まさに、症状の現れ方や消え方と重なると思った。



・自然治癒力は当たり前に起きるもの



自然治癒力は目に見えないものだから、人間からしたら、自然に任せるのはかなりの忍耐が必要だ。

だから、「自然治癒力を信じる」と言われるのだと思う。

信じるという言葉で、何とか存在を確認せずにはいられないのだろう。

私もよく、そうやって言ってしまう。

けれど、自然治癒力って、信じるものではないのかもしれない。

皮膚のターンオーバーのように、意識しなくても、当たり前に起きるもの。

止めたくても、止められないもの。

それが、自然治癒力なのかも。

むしろ意識できてしまったら、日常に支障をきたしてしまいそう。

意識できないくらい、当たり前に起きるから良いのだろう。

それでも、ついつい苛立ちは募るものだ。

そんな時は、皮膚に目を向けてみると良いのかもしれない。

顔を洗ったとき。
シャワーを浴びたとき。
お風呂に入ったとき。

清潔になった肌は、「意識できないけれど確実に存在している力」を思い出させてくれる、ひとつのシンボルだ。

これからもきっと、早い体の修復を求めたくなることがあるだろう。

そんな時は、鏡に映る自分の肌を意識してみようと思う。

※ヘッダー写真は、クリエイターさんの画像をお借りしています。
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頑張りたい理由がある人へ | ジストニア体験者・研究家 永松ひさこ
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