自然治癒力を待つ忍耐が切れそうになったら【健康エッセイ】
・難しい病気ほど、治療には人の手が必要だと思っていた
病気をしたとき、自然に体が癒えていくのを待つって、なかなか難しいことだ。
待てども待てども、楽になる気配がないから、不安になりやすい。
私はそれに加えて、難しい症状であればあるほど、人の手が入った方が治る確率が高いと思っていた。
だから眼瞼けいれんを発症した時は、手術で悪いところを取ることに
とにかく意識が向いていた。
◇
・今は自然治癒力の良さを感じている
あれからずいぶん時が経った。
今は考えがすっかり変わっていて、
自然治癒の良さを感じている。
体の計画に合わせて、体が修復したいと思う場所から、順に修復されていく過程が大事だと思っている。
それは、その方が後戻りが少ないと感じるからかも。
確かに1つの症状がなくなるまでは、時間がかかる。
けれど、いざなくなる時、そのスピードはとても速いし、一度なくなってしまうと再び現れる確率が少ないと感じている。
◇
・自然治癒力は肌のターンオーバーのように
以前、ブログでこんな話をしたことがある。
きっと、これを書くことで、気長に待つよう自分に言い聞かせたかったのだと思う。
それに対して、友人はこうコメントしてくれた。
「肌のターンオーバーみたいだね!」
と。
本当にそうだと思った。
私たちが普段意識できる皮膚は、
1番上の、目に見える部分だけだ。
けれど、皮膚はそれだけではない。
下には、上に上がってくるのを待つ皮膚が何層にも積み重なっている。
どの皮膚も、日の目を浴びるのを待ち望んでいるみたい。
けれど、ひとたび表に出れば、最後は剥がれ落ちる運命だ。
そして剥がれてしまえば、元には戻らないし、戻すこともできない。
まさに、症状の現れ方や消え方と重なると思った。
◇
・自然治癒力は当たり前に起きるもの
自然治癒力は目に見えないものだから、人間からしたら、自然に任せるのはかなりの忍耐が必要だ。
だから、「自然治癒力を信じる」と言われるのだと思う。
信じるという言葉で、何とか存在を確認せずにはいられないのだろう。
私もよく、そうやって言ってしまう。
けれど、自然治癒力って、信じるものではないのかもしれない。
皮膚のターンオーバーのように、意識しなくても、当たり前に起きるもの。
止めたくても、止められないもの。
それが、自然治癒力なのかも。
むしろ意識できてしまったら、日常に支障をきたしてしまいそう。
意識できないくらい、当たり前に起きるから良いのだろう。
それでも、ついつい苛立ちは募るものだ。
そんな時は、皮膚に目を向けてみると良いのかもしれない。
顔を洗ったとき。
シャワーを浴びたとき。
お風呂に入ったとき。
清潔になった肌は、「意識できないけれど確実に存在している力」を思い出させてくれる、ひとつのシンボルだ。
これからもきっと、早い体の修復を求めたくなることがあるだろう。
そんな時は、鏡に映る自分の肌を意識してみようと思う。
※ヘッダー写真は、クリエイターさんの画像をお借りしています。
ありがとうございます😊