メンデルスゾーン『交響曲第3番イ短調 スコットランド』

「♪夏も近づく八十八夜~」の民謡でおなじみの八十八夜は、立春から起算して八十八夜にあたる日に摘んだ茶は上質なものがとれるという民間信仰が由来となっている。今年はうるう年なので今日が八十八夜である。

日本の多くの民謡の例にもれず、「八十八夜」もヨナ抜き音階と呼ばれる五音音階からできており、音程の数が減ることにより素朴で、それゆえ却って心を打つようなメロディとなっている。

日本以外でもスコットランド民謡では五音音階が使われている(最も有名なものは「蛍の光」だろうか)。そのスコットランド民謡にインスピレーションを受け、33歳のメンデルスゾーンが書いた交響曲「スコットランド」が、今回の話題である。

冒頭の4度の悲劇的なメロディからして、スコットランドの空に垂れ込める陰鬱な雨雲を連想させる。このメロディは各楽章に受け継がれていくのだが、それが1楽章の主部に入ると8分の6拍子に合わせて動きが生まれ、農奴の踊りを見ているかのような錯覚が起きる。これはオクターブの跳躍でもっていったん閉じる。そこである種のカタルシスが生じ、見事な緊張と緩和の構造を見て取ることができる。その後も盛り上がりと解決を繰り返し静かに閉じていく。

2楽章も主題のメロディを引き継いで軽快なスケルツォが奏でられ、新しい温泉が湧いたかのような躍動感がある。


だが、なんといっても議論になるのは4楽章であろう。

2拍子の激しいリズムに乗って緊迫したメロディが追いかけるように続いていくのだが、これがコーダで一転、長調に転調したうえで、緩徐なテンポで荘厳なメロディを奏じ、一気に解決してしまう。

終わり方としては確かにめでたしめでたしで奇麗な形だとは思うが、今までの主題を踏襲しているとはいえちょっと唐突すぎるのではないか。

そういうことは以前から言われてきたようで。クラシックファンの中にはこの終楽章を「急速に便意を催してきて、トイレに行こうと焦っている。緊迫感がじりじりと迫る中、なんとか間に合って便器に大便をぶちまけたのがコーダ」のようなひどい言いようがされる。

クラシック音楽ファンのみならず、過去の演奏家の中にはこのコーダに疑問を持った人はやはりいたようで、かの大指揮者オットー・クレンペラーが自作のコーダに改編して演奏している。

現存する録音では、1966年にバイエルン放送交響楽団を指揮したライヴがある。そこでは第4楽章のコーダの後半95小節分をカットし、自作のイ短調のコーダで悲劇的に静かに幕を下ろしている。

もちろん音楽としての完成度は非常に高いと思うのだが、先ほどのアナロジーを適応すると、これは「急速に便意を催してきて、トイレに行こうと焦っている。緊迫感の中急いだものの間に合わず、パンツに大便をぶちまけて悲愴の中いろいろなものが終わるのがコーダ」ということになってしまう。



茶の話が糞で終わって申し訳ない。

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