長沼伸一郎『現代経済学の直観的方法』

1987年出版の「物理数学の直観的方法」は大変な名著で、多くの理系大学生にとって福音になったと聞く。

いま読んでみると「そうでもない」と感じる向きもあるかもしれないが、それは同書の内容が広まってあたりまえになったからで、真に革命的だったのだと思う。きっと数十年後のヨビノリがそういう評価を受けるのだと思う。

出版のいきさつは下記に詳しい。こういう思考の冴え方に共感できる人であれば、今日紹介する「現代経済学の直観的方法」も楽しく読めるのではないかと思う。


その著者により、現代を理解するためには経済の理解が必須ではあるという前提のもと、リテラシーの高い読者が経済学の本質を最短効率でつかむために書かれたのが本書だという。このリテラシーの高い読者というのが胆で、それぞれの専門分野についての知見は豊富でも他分野の理解が不十分であるため全体像をつかみ切れていないという事象がままあることを著者は強調している。

第8章でブロックチェーンと仮想通過の話題が取り上げられるが、これなどはまさに貨幣に対する文系的な理解とハッシュ関数やブロックチェーンに対する理系的な理解を習合させなければ全体を理解したことにならず、大半の人はどちらかの理解に留まり全体像が見えないままになりやすい。

異なる分野においてそれなりに深い理解ができないと問題の理解が進まず打ち手も精彩を欠くどころか却って危険なものとなる、こういう事象は現代でますます増えている。(当然、COVID-19もこのような事象であろう。)

以前もてはやされたT字型人材(専門分野に対して深い理解を持ちつつ、一般教養も併せ持つことで、他分野の人間と知的な共同作業が可能になる)でも、もはや対応することが困難な世の中になっていると個人的には感じる。


本の内容に戻ると。大筋は書かれた当時20-30年前のままだが、現代でも全く色あせる様子はない。


第1章ではマクロ経済学の基本となるY=C+Iをモデル化により簡潔にイメージできるようにしたうえで、金利というものが誕生した歴史的背景を紐解いていき、現代でも資本主義が回転する精神的なメカニズムについても言及している。そのうえで、資本主義はそれ以上分解しようのないもっとも原始的な社会経済システムであることを看破し、中世の社会は金利や金銭の毒をいかに封印してきたかを詳述している。資本主義社会は古代や中世の社会が発展的に解消して生まれたもので、その内在的な矛盾から破綻し共産主義へ向かうと考えられているというマルクスの唯物史観とは対照的である。

続く各章では、その金利やロジスティクスを駆使したスピード至上の資本主義の異常というものを念頭におき、少しずつ離れた話題を抑えにいっている。日本の傾斜生産方式のようなトピックについても触れられている。

階級を資産家、企業家、労働者の3つに分け、ケインズ主義と新古典主義のやり合いを同盟関係・多数決の観点で読み解いているのも面白い。フランス革命前夜の3部会方式で身分ごとの多数決がとられたことや、マルクスが資本論で地主、ブルジョワジー、プロレタリアートの3階級に分けて論じたことが想起される。党派性によって真実が決まるというのは科学というよりは宗教なのではなかろうか。

しかし、なんといっても終章が本書の眼目であろう。封印できなくなった資本主義の毒はいったいどうなるのか、それを「縮退」という概念から読み解いている。

短期的願望(目先の利益)が長期的願望(長期的な利益)を駆逐してしまうのは、何も介入しない状況では人間の生理的な性質上致し方ないのだが、それを阻止するのが本来的な意味での高度な文明なのではないか、という提言はじつに重く、解決は難しい。個人のレベルですら、たとえば医療費を現金支給にすれば短期的な個人の効用という意味ではパレート最適が得られるのかもしれないが、短期的に効用が理解できない抗血小板剤やスタチンの休薬によって冠動脈や脳血管が詰まった人であふれかえることは想像に難くない。

資本主義社会の中でいかに生きるのか、という問題は現代のわれわれにとって特に切実な問いだと思う。資本主義に内在する論理、そこから生じる問題を把握するうえではとても有用な本であることは間違いない。


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