王安石の誕生日
昨日(2021年12月18日)、宋代の詩人・蘇軾(蘇東坡)についてまとめる機会があり、色々と資料を見ていたら、たまたま昨日が「王安石」生誕から1000年にあたるアニバーサリーデーだということに気づきました。
王安石の誕生日は、1021年12月18日。もちろん旧暦での日にちなので、ぴったり同じ日という訳ではないと思いますが、たまたま発見したその偶然に、しばしの間、感慨に耽ってしまいました。
世界史で学んだ人も多いと思いますが、王安石というと、宋代に「新法」と呼ばれる改革をおこなった人物です。
宋代は、名君・趙匡胤が起こした王朝ですが、1番の特徴は「文治主義」という官僚中心の制度設計をおこなったことにあります。唐が崩壊し、五代十国時代における、強者こそが正義といった血で血を洗うような争いの果て、中国を再統一した趙匡胤。彼が辿り着いたのは、武官の上に文官を置くことで、軍隊の暴走を抑えるというやり方でした。
そのためには、優秀な文官が必要になります。そうした優れた人材を発掘するため、趙匡胤は、科挙に「殿試」と呼ばれる皇帝による最終試験を導入し、自ら人材の登用にあたりました。これにより国は安定し、超優秀な人材たちによる国家運営は、中国に大きな経済発展をもたらしました。
農業の技術が進歩し、生産力が伸びます。物が増えると売買が増えるので、それまで限られた場所で行われていた交易が市中に飛び出し、今でいう路面店が誕生します。また、運河が整備され、中国各地に水運で輸送が可能になります。流通網が整備されたことにより、物々交換から、一旦貨幣を経由して取引する貨幣経済が浸透します。そうなると遠隔地との取引が可能になり、マーケットが広がるので、景徳鎮の陶器のように一つの産業に特化することが可能になります。こうして産業の分業が進むと、資本が集中することで技術が向上し、生産力が増えるという好循環を引き起こしたのです。
一方で弊害も起こります。文官たちは、時に派閥を形成して政治闘争をはじめます。優秀な文官同士による政策論争は、なまじ双方に弁が立つが故に政治の停滞を引き起こします。特に、外交・軍事面でそれが顕著に現れます。外敵(遼・西夏・金・モンゴル)との戦争に、基本、宋は負け続けます。
戦争で負けることの代価は、今で言う賠償金の支出であり、それは相手国を豊かにし、自国の財政を圧迫します。また、防衛のための軍事力維持費も増大します。加えて、官僚の数は増え続けます。官僚は自らの地位と権益を確保するために、人と予算の拡充を要求し続けます。気がつけば、よく分からない役職の役人が増え、人件費での支出も増加します。
つまり宋は、経済成長するのに、国家財政は赤字続きという事態に陥るのです。こんな状態の中、国民の中では、地主などの富裕層と小作人などの貧困層による格差が拡大していきます。こうした事態を打開するために制度の改革を行おうとしたのが「王安石」です。
王安石は、新法と呼ばれる一連の政策を次々に打ち出します。有名なものでは、「青苗法→貧農救済」「募役法→公共事業」「市易法→低金利融資」「均輸法→物価安定」「保甲法→兵農一致」「保馬法→軍馬の確保」といったものです。今風に言えば、国家による経済への関与を強め、格差を減らし、社会の安定させるのとともに、国家財政の改善を図った…というところでしょうか。
しかし、格差を減らすということは、既得権益を持つ富裕層にとってはマイナスを意味します。科挙の試験は大変に難しく、資産に余裕がある富裕層しか科挙試験に挑む子弟を養っていけません。こうした王安石の改革は、このような富裕層をバックに持つ宋の官僚の中から、大きく反対を受けることになります。
このようにして「新法派」と「旧法派」という2大派閥が誕生します。更に、こうした派閥の勢力図は、トップである皇帝の意向に左右されます。不幸にして、新法の改革を始めた「神宗」は若くして亡くなり、若くして後を継いだ「哲宗」も若くして亡くなります。その度に派閥間の勢力図が入れ替わり、互いの派閥に対する恨みつらみを募らせていった結果、政治的な混乱が増していきます。そして、その混乱は、やがて金による侵攻と、徽宗と欽宗という現役の皇帝と上皇が金に連行されるという悲劇を招いていくことになるのです…。
また、王安石自身も、1069年に新法による改革を始めて7年後、1076年には旧法派による反対や政治闘争で気力を失い隠居。更に10年後の1086年に没します。
王安石は、非常に優秀な人物で、政治家としての側面の他にも、思想家として、また詩人としても多くの作品を残しています。後の時代では、「唐宋八大家」の一人にも数えられています。
王安石の残した詩の中でも、有名なのは「元日」ですかね。
【 元 日 】
爆 竹 声 中 一 歳 除,
(爆竹が鳴り響く中、また一年、古い年が過ぎていく)
春 風 送 暖 入 屠 蘇 。
(春の暖かい風と共に新しい一年がやってきて、人々は楽しそうに屠蘇を飲む)
千 門 万 戸 曈 曈 日 ,
(今年最初の朝日が家家を照らし)
総 把 新 桃 換 旧 符 。
(人々は「桃符」を古いものから新しいものに変えている)
この詩は、王安石が、1069年の元旦、これから始める新法の改革に向けて決意と希望を込めて読んだ詩とされます。正月に新旧入れ替えとばかりに慌ただしく過ぎゆく光景を見ながら、これから始める改革に力を漲らせている様子がよく分かります。特に、古い「桃符(かつて正月に飾る習慣があった木の札)」を新しいものに変えている様子を新法の改革に重ねているところが伺えますね。
彼自身の優秀さ、実直さ、そして熱意、更には上司(皇帝)の支持。このような優れた条件が揃っていても、実際に全体をバランスよく好転させるのは難しく、「現状維持をしていたい」という保守的な勢力との争いの中で国は緩やかに衰退していく…。1000年前の王安石の苦労を思うと、今の世に通じる改革の難しさを感じずにはいられないのです。
王安石先生、お誕生日おめでとうございます!
宋という王朝は滅びましたが、あなたが人生をかけて追求したことは、1000年後の世界を生きる我々にも大きな意味を与えてくれていますよ。
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