2022年6月に『DNA解析と「アイヌ民族否定論」―歴史修正主義者による先住民族史への干渉』についての補遺という記事を投稿しました。この記事では、ある医師が、分子人類学者が書いた書物から引用する際に一部を省略することによって引用内容とは逆の結論を導き出したり、引用の要約と称してあたかも自説が引用元に書かれているかのようにすることを通じて歴史的事実を歪曲する手口を紹介しました。さらに、この医師が書いた方法を用いて、当時の道議会議員が議会で「アイヌ民族否定論」を公言したことも紹介してあります。
先日その元道議会議員からX(旧ツイッター)で通知が届いたので、珍しいこともあるものだと、関連するポスト(ツイート)検索してみると、以下の記事が見つかりました。
なお、記事内のリンクはすでに切れているので、毎日新聞の記事のリンクに飛べるようにしておきます。このポストで「アイヌを無理やり「縄文人の末裔」にしようとする頓珍漢な学者」というのは誰のことを指すのでしょうか。
最近この記事に関して、元道議がレギュラーで登場するYouTubeの番組があることを知り、その内容を観てみたら、私の論文で指摘したのと同じ方法、つまり記事の一分を省略して内容を変えてしまう方法がまたもや使われていることがわかりました。「文化人放送局 渡邉哲也Show ウポポイ見聞録/42 2022.11.25「遺骨に固執する〇イ〇の方々 お金になるしDNA調べられるのは…」【閲覧注意】という動画です。
この動画の5:56から11:20までを以下に書き起こしました。
「専門家ではない彼らが依拠するのは依拠するのは篠田さんの論文だが結論ありきの自説が目立つ。そもそも民族とは、共有する歴史文化や帰属意識などが重視され、DNAでは決まらない。「アイヌ否定論」を真に受けた人々による拡散が続く。」という記事を紹介してはいますが、記事を読むと少し先に以下のような説明があります。
この説明は元道議にとって都合がわるいので視聴者に見せず、さらに女性キャスターが無邪気に笑う様子を入れて共感を誘うということをしています。さらに、「そもそも民族とは、共有する歴史文化や帰属意識などが重視され、DNAでは決まらない。」というのはこの記事を書いた千葉記者の意見ではなく、現在では学問的な合意となっています。1989年9月にアイヌ研究に関する日本民族学会研究倫理委員会の見解が発表され、以下のような内容となっています。
小林よしのりをはじめとする「アイヌ民族否定論」者はこんなあいまいな定義はおかしいと難癖をつけるのが一つの儀礼のようなことになっていて、ここで紹介した動画でも、その影響を強く受けていることがわかります。しかし、学問の発展を受け入れないで、ある種の本質論にとどまっている以上はこの見解の意味を理解することはないでしょう。
次に、道議会での質問についてです。北海道議会の議事録では以下のように書かれています。
よく読むと、答弁に対して「単純な子孫ではないということで、関係ない」と自説を被せていることがわかります。実はこれに先立って同年11月11日の決算特別委員会第1分科会で、似たような質問をしています。
こちらを読めば、「アイヌ民族の先住性についてでありますが、アイヌの人たちの祖先がいつごろから北海道に住むようになったかは、いまだ断定されていないと認識しておりますが、後のアイヌ文化の原型が形成されたのは、鎌倉・室町時代の13世紀から14世紀ころと考えられているところです。」とあるように、「後のアイヌ文化の原型が形成され」る前からすでに現在北海道と呼んでいる地域(北海道島)に住んでいることは明確に読み取ることができます。「和人側から見てみると、7世紀ごろから、北海道に居住する人たちとの間に接触、交流があったことがうかがわれるものの、文献資料が限られていることもありまして、アイヌ文化の形成期における人々の様子は明らかになっていないことが多いところでありますが、アイヌの人々は、当時の和人との関係において、日本列島北部周辺、とりわけ、我が国固有の領土である北海道に先住していたことは否定できない」という答弁とも矛盾しません。
しかし動画では「つまり北方から来て、縄文の遺伝子もあるけれども後天的に受け継いだんだろうなというようにですね、単純な子孫ではないと 北海道議会で道が答えたことをもとに言ってる」と元道議が言っているので、答弁を曲げて自分の解釈を述べていることがわかります。そもそも、「後天的に受け継いだ」というのは遺伝子の話をしていることと矛盾しています。なお、この答弁については、北海道議会2014年11月11日の答弁についてという記事を書いてあります。
さらに、「研究で明確になったのはアイヌの人々が縄文人のゲノムを最も受け継いでいるということ。アイヌ否定論は完全に誤りだ」と言ったのは誰かということを考えてみましょう。動画を観る限り、毎日新聞の千葉記者の意見のようにとる人が多いでしょうが、記事は以下のように書かれています。
つまり、篠田氏と同様、この分野の専門家である斎藤氏が言っているのを、引用の省略によって、まるで新聞記者の個人的な見解であるかのように編集したのがこの動画なのです。「アイヌを無理やり「縄文人の末裔」にしようとする頓珍漢な学者」」が斎藤氏であるとはさすがに言えないでしょう。斎藤氏の『核DNAでたどる 日本人の源流』(河出書房新社、2017)は一般向けにわかりやすく研究成果をまとめた本です。ご覧になることをお勧めします。
最後に、「頓珍漢な学者」とは誰なのかについて考えてみます。いくらなんでも分子人類学の専門家である篠田氏や斎藤氏は除外されるはずですので、この記事に出てくる「学者」が他にいるはずです。さきに、「例えば引用箇所を数カ所省くだけで、縄文人とアイヌとの共通性の説明が、共通性がないように読めてしまう。原典まで調べる読者は少なく、悪質だ」という文章を引用しました。これがかぎかっこでくくられているのは取材した「学者」の発言であることをしめしています。その発言がどの文脈で出てくるのか、記事から引用します。
ここから、旭川医科大学の稲垣、つまり私のことを指すことがわかります。この記事には他に「学者」が登場しませんし、動画が対象としている視聴者層からも元道議が言う「アイヌを無理やり「縄文人の末裔」にしようとする頓珍漢な学者」」が私であることは自然に導かれます。だからこそ、私に対してXのポストの通知が届いたのです。
2024年3月 旭川医科大学医学部物理学教室 稲垣克彦