北海道議会2014年11月11日の答弁について

『DNA解析と「アイヌ民族否定論」―歴史修正主義者による先住民族史への干渉』という論文を『解放社会学研究』35 (2022) pp.7-32に発表したところ、予想外の反響をいただき、その多くが肯定的なものでした。もちろん、すべてが肯定的というわけではなく、特に問題とした小野寺元道議が以下のようなツイートをしたので紹介します。

せっかく「北海道議会での北海道の答弁」とありますので、議事録を見てみるのが一番わかりやすいですね。以下に引用します。

◆(小野寺秀委員) それでは、通告に従いまして、順次、アイヌ政策について質問をしてまいります。
私は、今まで、アイヌ政策について、いろいろ問題点を議会で指摘してきましたが、ここで一回リセットして、本当のアイヌの歴史はどうなのかということを若干質問したいと思っております。
まず、アイヌ民族の先住性についてお伺いをしますが、アイヌ民族と縄文人、蝦夷(えみし)との関係について、道はどのように考えているのか、お教えください。
○(花崎勝委員長) アイヌ政策推進室参事井之口淳治君。
◎(井之口アイヌ政策推進室参事) アイヌの人たちと縄文人等との関係についてでありますが、国の有識者懇談会の報告書によりますと、北海道に人類が住み始めたのは、今から2万数千年前と言われておりますが、どのような特徴を持った人々が住んでいたのかは明らかになっていないところです。
縄文文化は、一般的には、1万5000年前から3000年前に日本列島に展開したとされており、一方、アイヌ文化は、13世紀から14世紀ごろに、日本列島北部周辺、とりわけ北海道を中心に成立した文化と言われ、当時の人は、本州と北海道の間を交易のために盛んに往来していたと言われています。
また、蝦夷(えみし)については、古くは、アイヌの人たちを指すと考えられていたこともありましたが、現代の歴史学では、特定の民族を指す言葉ではなく、中央政府に敵対、反抗する者の意味で用いられたとするのが一般的であり、この中にアイヌの人たちが含まれていたかどうかは議論のあるところです。
なお、人類学的な研究によって、アイヌの持つ形質や遺伝的な特徴の中には、縄文時代までさかのぼるものがあることが明らかにされているところではありますが、最近の科学的知見によりますと、アイヌの人たちは、縄文の人たちの単純な子孫ではないとする学説が有力であり、大陸から北海道に移住してきた北方民族に特徴的な遺伝子なども多く受け継いでいることが判明しているところでございます。
以上です。
◆(小野寺秀委員) まず、その答弁によると、アイヌの祖先は縄文人ではないというのが一般的な最近の学説だと押さえておきますし、蝦夷(えみし)についても、かなり漠然とした概念だというお答えをいただきましたが、その中で、アイヌ民族の先住性についてお答えがいただけなかったので、もう一度お伺いします。
◎(井之口アイヌ政策推進室参事) アイヌ民族の先住性についてでありますが、アイヌの人たちの祖先がいつごろから北海道に住むようになったかは、いまだ断定されていないと認識しておりますが、後のアイヌ文化の原型が形成されたのは、鎌倉・室町時代の13世紀から14世紀ころと考えられているところです。
一方、この時期は、北海道の南部に本州から進出した、いわゆる和人の社会が形成された時期でもあったところです。
しかしながら、和人側から見てみると、7世紀ごろから、北海道に居住する人たちとの間に接触、交流があったことがうかがわれるものの、文献資料が限られていることもありまして、アイヌ文化の形成期における人々の様子は明らかになっていないことが多いところでありますが、アイヌの人々は、当時の和人との関係において、日本列島北部周辺、とりわけ、我が国固有の領土である北海道に先住していたことは否定できないとされているところです。
なお、アイヌ民族の歴史については、いまだ不明な部分もあることから、道としては、来年の春、新たに開設する北海道博物館や他の研究機関との連携により、その解明に努めていく考えです。
◆(小野寺秀委員) その答弁では、14世紀ころにアイヌ文化が形成された、そのころに和人も北海道に進出をしたかのような答弁ですけれども、1万年以上前から、和人と言われる、アイヌじゃない方たちが北海道と本州を行き来していたというのは事実であると思いますが、なぜ、そのような答弁になったのか、私は理解をしかねております。

北海道議会議事録

これは論文でも引用しましたが、北海道の答弁は、アイヌが縄文人の末裔であることを前提にして、「単純な子孫ではない」と述べています。つまり、オホーツク文化の担い手であった人々の遺伝子「も」アイヌにみられるということを意味します。しかし、それに対して「アイヌの祖先が縄文人の祖先ではないというのが最近の一般的な学説」と小野寺元道議が主張しているわけです。論文では、実際にはそのような「最近の一般的な学説」は存在せず、的場光昭医師によって引用を一部省略することにで、本来の学説とは反対の主張になるように改竄されたものであることを、引用文と被引用文を比較することで示しています。

ところが江戸時代のアイヌのDNAを分析すると「当たり前ですが現代アイヌとよく似ています。…一つの遺跡で分析しているので少し問題がありますが、N9bというタイプが非常に多くあり、…おそらく本土日本人の影響を受けるのだと思いますが、そういう形になっています。」

的場光昭『アイヌ民族って本当にいるの?―金子札幌市議、「アイヌ、いない」発言の真実』
展転社、2014年 p. 62

私たちは、アイヌ協会の方々のご厚意、札幌医科大学の協力もあって、江戸時代のアイヌのDNAを分析することができました。近世の人々のDNAをみると、当たり前ですが現代アイヌの人々とよく似ています。一つの遺跡で分析しているので少し問題がありますが、N9bというタイプが非常に多くあり、M7aは3~4%です。Gタイプも当然両方に出ていて、現在になるとDが少し多くなります。おそらく本土日本人の影響を受けるのだと思いますが、そういう形になっています。

篠田謙一「縄文人はどこからきたか」、『縄文人はどこから来たか?』
北の縄文文化を発信する会編、2012年 p.42

省略部分をよく見ると、本土日本人の影響として表れるハプログループはDであり、同書には「Dという日本人に一番多いタイプは、渡来系弥生人にさらにたくさん出てきます。(p. 41)」 「このM7aとN9bは日本では非常に古い、縄文時代から日本にあるタイプだったという予想がつきます。(p. 39)」という説明とも符合します。

また、「ウポポイは改修されて」云々というくだりについては、国立アイヌ民族博物館の公式サイトにお問い合わせ・よくある質問のQ4に答えが書いてあります。

アイヌ民族の歴史のはじまりは、北海道に人類がやってきた3万年前頃にまで遡ることができます。7世紀頃から、これまでの狩猟採集や漁撈に雑穀農耕が加わり、海を越える交易を盛んにおこなう特色ある文化が形成されていきます。

国立アイヌ民族博物館

「あんなクソ論文」呼ばわりされていますが、具体的にどこが「クソ」なのかといえば、小野寺元道議の詭弁が白日の下にさらされたからなんでしょう。論文は大学リポジトリからダウンロードできますので、ぜひ一度お読みください。

2022年7月 旭川医科大学物理学教室 准教授 稲垣克彦


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