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「父のはなし エッセイ」

<エッセイ>

父の話を書きます。
私の父はすごい人だった。
自分の親族をこのように書くことに嫌悪を抱く人もいるかと思うけども
どうしても自分のためにも書いておきたい
人にも知ってもらいたいという思いで書いている。

父は日本の最高学府の1つをでたけども、一度も公の場や知人の場でそのことを言ったこともないし、鼻にかけたこともない
高校も御三家の1つをでている

しかし、家が裕福だったわけでもない
父は父が中学に入る前に自分の父をなくしているし、
父自体小学校は体が弱くて半分も行けなかった

しかし、何しろ静かな根性がすごかった
父の母親を見てもそれはわかる おばあちゃんもすごい人だった

また、父は仕事でも成功したけども
そのことで自分を誇ったり、人にいったりしたことも私が知る限り一度もなかった というかそのこと自体にはあまり興味がないようだった
ただやるだけ、やることをやるだけというかんじ
それも自分のためではなく、家族がいるから家族のためにという感じだった

とにかくお金を使わない人だった。上場金融機関の常務にまでなったので相当のサラリーがあったと思うが、全くというほどお金を自分に使わなかった。

外食もほぼゼロ、行ってもファミレスくらい?
旅行や海外にもほぼ行かない(子供のために経験させておきたいという母の意向で何回かは行った)
お酒もあんまり、タバコは少しだけ
贅沢といえばゴルフくらいか?でもあれすら仕事が大半で、ゴルフクラブだって本当に驚いたけども30年近くメンテナンスして同じやつを使ってた。でもシングルプレイヤーだった。
他の家のおじさんは結構クラブを買い替えたり、どこの何がいいなんて話をしていたのに、父は笑って聞いているだけだった。

ある時に、クラブいいのかったらいいのに
って言ったら、別にええやろ(父は関西人の東京住まいです)とただ一言

すごいなあと思った。
毎回ゴルフ行った後に丁寧にクラブに脂さしてたのを覚えている。

あととにかく言い訳や誹謗中傷、他責がなかった、ゼロだったと思う。信じられないことに
何十年間も一緒にいて、めちゃくちゃ喋った(私が)のに、ゼロだった。

たとえば、私がある友人の一言に腹が立って、父に相談した時に
いや、まあ彼の言ってることも正しいやろなあ、世間的に見たらある種事実でもあるから、でも、そう思っとるんやなあでええやないか
と言われた。
でも悔しいと言ったら
じゃあ、そう思われている状況じゃないようになるか、相手と喧嘩するかやけど、どっちがええんや?
と聞かれたからどっちも嫌だと答えたら、
うん、じゃあそのままでええ
と言われた 笑
まあうまく伝えられてないけどもこんな感じでした。
向こうが悪いとも、こちらが悪いとも言わない、ただ事実を理解するみたいな感じだった。

これは父の徹頭徹尾の考え方で、父自身にもそうったことが降りかかることがあった、ある時は全く身に覚えのない誹謗中傷があったにも関わらず(会社の昇進昇格で妬みがあり、あることないことを怪文書で流布されたようだ会社は怖い)別に怒るでもなく、そういうことがあったなあと昔話を語ってくれたことがあった。

しかし、父は反論するわけでもなく、何かその人に行動を起こすでもない、ただただ自分が正しいと思うことをやっていくだけ、それも淡々と、

でも、これを身近で見てきたからわかるけども、何よりもこれが強い。
今までいろんな人を見てきたけど、多分このやり方ができるなら最強なのだろうと思っている。
なんせ、相手が何言おうと、どうであろうと 雨が降ろうがやりが降ろうが、淡々と積み重ねていく 近くで見てたからすごい凄みがあった。

父の教えでよく言っていたのが、とにかく きちんと決めて、継続することや 
というもの。
自分の中に何よりも大きく存在している父の言葉だ。

それから、これは父が言ったわけじゃないけども、人をどうこうするんだったら自分が動いたらええ という意味を理解している。
本当にそのように思う。正しい正論だなあと思う なかなかできないけども。

また、優しい人だった。
うちは犬を飼っていたんだけども、とにかく父が食卓やソファーに座ると犬がその近くにきて離れない。
父がボスであり、心地よい存在ということがわかっている。
父も優しく撫でる、話しかける、餌をやるみたいな行動だった。

もう1つ、多分最後になるけども
父は何が起こっても 
大丈夫や
と言ってくれた。

ここにはかけないけども、私の人生でも多分一般的に相当な人生を揺るがすことが起きたことがあって、その時に私はもう絶望に落ちかけていた。

でも、父は間髪入れず、淡々と

大丈夫や

と言ってくれた。信じられないくらい安心したのを覚えている。
それがあったから乗り越えることができた。


でも、そんな中たった1つ、父の人生でたった1つだと思う。
大丈夫やといえなかったこと

それは私が病気になった時のことだった。
その時は初めて うん と言ったきり唸ってしまった

外科的なことや西洋医学的なことであれば、父は毎回間違いなく大丈夫だと言ってきた。それは時間がかかろうと何であろうといつか治るという確信を持って答えていた。でも、そういった範疇にないものを見て、初めて唸ってしまった。

父の初めての苦悩だった。

きっとそれは初めて私が補助輪を解かれて自分で何とかしないといけない課題が与えられたのだと今は思っている。

今度は自分で、何とかする。

自分で自分に大丈夫と言ってやる。

そういうことだと理解した。

簡単ではないけども、でも少しずつ、淡々と積み上げ、前を向いて取り組んでいる。

僕の体には父の血が流れており、そして、僕自身のエネルギーもある。
何とかなる

これはそういう物語だと思っている。
本当の意味で優しい人間になりたいと思っている。

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