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「人生は一本道か?選択可能か?」

よく考えていることをまとめてみます。

人生は果たして決定しているのか、それとも選択可能なのかということ。
よく言われる因果論、非因果論というやつです。

みなさんはどう思いますか?これには答えがないのですが(証明ができないため)私はどうしても考えてしまいます。

自分の過去の分岐点やなどを辿ってみますと、あの時別の選択肢もあったと思う一方で、かなりの要素で、その時の選択をせざるを得ない状況にあったことが細かくみていくとわかります。自分の意思では違う選択を取りたいと思っていたとしても、ある事情でそれはできなかった、あるいは、外的要素のために、その選択をとることがその場面では魅力的に思えたなどの状況があることがわかります。

つまり、選択しているようで、選択せざるをえない状況にあったと思われます。

これはもっと遡っていけば、出生の偶然、遺伝によるポテンシャル、自分を取り巻く環境などなど、因果の連鎖であることがわかります。

となると、結局は選択しているようで、もう決まっている?一本道の連続を私たちは歩いているだけ?という気もします。

私は、結構そうではないかと思っています。

そして、ただ1つ残されたものは、そういった過去をどう解釈するか、どのように理解するかということだけ自己に選択肢が与えられているような気がします。まあこれすらも理論で突き詰めていけば因果と言われるかもしれませんが、私はこの部分だけは自分の意思が介在しているのではないかと思っています。

そして、その解釈力の変化で、人生はガラッと色彩を変えてしまう。

同じ一本道であったとしても、どのように見えた人生か、どう解釈した人生かという部分だけは残されている気がします。というか、そうであって欲しいです 笑

この話は人間に霊魂があるかどうかという話や、しんだらどうなるのか、次の人生はあるのか という話も絡んで来ると思います。

これもどうにもこうにも証明不能ですが、1つ私の親戚で起こった出来事があります。

私の母がたの祖父は非常に厳格な真面目な方でした。
その祖父が、生前、戦争にいった友人が訪ねてきたという話を何回かしたそうです。そして、友人が訪ねてくると、しばらくしてその友人が亡くなったという知らせが届いたと聞いています。

また、こういったこともありました。
私の母がたの祖父が亡くなった時、私の祖父の家は従来から仏教系の住職様とお付き合いがあったのですが、朝方住職さんから家に電話があり、今○○さんがお亡くなりになられましたねと言われて、祖父をみに行ったら布団で亡くなっていたそうです。住職さんは嘘をつくような人ではありませんし、私の祖母も嘘をいうような人ではありませんでした。夜中に読経していた時に祖父が訪ねてきたそうです。なんとも不思議な話です。

なので、私はどのような形かはわかりませんが霊魂の存在は信じています。
輪廻に関してはわかりません。

でも、なんとなく
何度か生まれ変わって、その度に人生の解釈力を磨く?試される?ような気がしています。

なんのために?などわからないことは山ほどありますが、そもそも、この地球、人間の成り立ちなど、完全に訳がわからないですよね 笑 元々宇宙は全くの闇で、そこからビッグバンがあり、チリから今の地球ができ、人間が誕生しているという、、、訳がわからない話だと思います。

誰が?なんのために?というか、誰かも関係ないのかもしれません
自然の摂理が?それにしても不思議です。

科学が進んでいく中でいつか解明されるんでしょうか?
それとも、マトリックスのような世界なのでしょうか。

いつかわかると面白いなと思います。

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