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どんな身体でいたいのか。「ボディポジティブ」にモヤること。

こんにちは、しえるです。
暑い、暑い、暑い〜〜!!!と思っていた日々から、少しずつ秋めいてきた最近。
夏の終わりは心なしか寂しくもあるけれど、暑さが苦手な私は秋にやりたいことを思い受かべてはウキウキしています。

最近Netflixでこんなドキュメンタリーをみました。

「スキン・ディシジョン〜お肌の悩みをプロが解決〜」

様々な原因から肌や体型に悩みを持つ人たちを、医師のナザリアンと看護師のジェイミーが、その背景を理解した上で治療・施術していくこの番組。クライアント(患者)は皆、自然な形でそれぞれの望みを実現してもらい、肌や体型はもちろん、表情や内面までもが変化していくのがとても印象的です。

2020年の番組のようなので、見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。

悩みの種類や背景はそれぞれ。各エピソードに様々なクライアントがやってくるのですが、私は大きく二つのタイプに分けられるように思いました。

①第三者からの危害によって、身体を傷つけられ、心も傷つけられてしまった人たち。

例えば…
・交通事故で顔面が変形してしまい、それ以前のように生きることを楽しめなくなった人。
・元夫からの激しいDVの末、夫に銃弾を撃ち込まれ、弾痕や夫の名のタトゥーの存在でトラウマから全く抜け出せない人。
・モデルとして第一線で活躍していたのに、ある夜突然顔を切りつけられてモデル生命を絶たれた人。

②自分の身体それ自身が変化し、自信を無くしてしまった人たち。

例えば…
・四人の子を出産し、体型が激変し、自分でも自分の身体が嫌いで、夫とセックスレスになった人。
・ひどいニキビに悩み、レーザーとダウンタイムを繰り返し、よくなるどころか悪化してしまう高校生。

この、②の方、まさに自分も当てはまるなーと思いまして。
もちろん、番組に登場するクライアントのような壮絶さはないけれど、子どもの頃から揶揄されてきた、大きなお尻に太い足。いまだにからかわれる丸い鼻。出産を経て、垂れて萎んだ無惨な胸に、頑張っても消えない妊娠線や、シワシワのお腹。もっと言えば、白髪だって、皺だって、シミだって。

悩みの大小はあれど、誰にでもあるであろう、自分の身体の気に入らないポイント。治せるなら治したい部分。

ボディポジティブと、ポジティブになれない自分

さて、最近「ボディポジティブ」という言葉がよく聞かれます。

ボディポジティブとは、自分のありのままの身体を受け入れることを目指すムーブメントのことだ。太っている痩せているなどの体型やスタイルに関わらず、誰もがポジティブなボディイメージを持とうという考え方で、欧米を中心に2010年頃からSNSなどで広がった。たとえば「痩せたスタイルほど美しい」などの非現実的な美しさ基準から自由になり「プラスサイズ」などのあらゆる体型を肯定するスタンスである。当初は体型やスタイルの話題が中心だったが、現在ではあらゆる身体的特徴や障害、人種や年齢、ジェンダーの多様性なども含めて自分の身体や外見を肯定する概念に広がりをみせている。

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広告業界、ファッション業界で、最近は多様な人たちが起用されているのを、私自身も感じている。と、ともに、「ありのままを受け入れる」「ありのままが美しい」という風潮が感じられ、現にSNSなどには、妊娠線を「誇りに思う」とその姿を公開する人も増えている。

だけどだけど、私はやっぱり自分の体型や身体の変化について「誇りに」思えなくて、いつも自信がなくて、劣等感があって、できれば隠したいと思ってしまうのだ。
今からでも変われるなら変わってみたいし、戻れるなら戻りたい、とも思う。
そんな自分を、「ボディポジティブ」という言葉が襲うのだ。「お前は、自分の身体を愛せないのか?」「お前は、産みたくて産んだんじゃないのか?」「お前は、まだそんな悪あがきをしているほど、プライドが高いのか?」
自分の身体をポジティブに捉えられない私は、ダメな奴なんじゃないか?妊娠線を母親の勲章と呼べない私、垂れた胸を慈しめない私、あの頃悩んだニキビを青春の証と言えない私。

誰のために身体を変えたいと思うのか

そんな時、冒頭の「スキン・ディシジョン」を観たのだ。
変わりたい、戻りたい、綺麗になりたい、と願う人たちがその望みを叶えた時、まるで別人のように明るい笑顔で、自信に満ちた喋り方をし、嬉しいと涙を流す。

変わらなくても、戻らなくても、綺麗にならなくても、本当は良いのだ。
それこそ周りの人は「そのままでも十分綺麗だよ」とか、「変わる必要ないよ」とか「病気でもないのにメスを入れるなんて!」とか、「このままの君が好きだよ」とか、言っていたかもしれないし、きっと言っていただろう。

だけど、「自分が」いやなのだ。「自分のために」変わりたいのだ。

その時、思った。ボディポジティブとは、<自分の身体に対する他人からの評価に意味はないし、他人から評価されるべきではなく、自分が好きな自分はそのままで良いし、受け入れられるべきである。>ということかな、と。
逆に、自分が嫌いな自分を無理に受け入れる必要はないのだ。肌や体型が変わることで、内面がこんなに好転するならば、(変えられる環境があって変えたいと思うならば)変わった方が良いに決まっている。その「嫌いな部分」や「変わりたい気持ち」を否定することも否定されることも必要ない。

悪あがき、バンザイ

気づけば私は体型も崩れ、体力も無くなり疲れやすくなった。タンパク質が不足しているのか、白髪は増えるし爪も脆くなっている。
自分のためだけに使える時間なんてないと、何もしてこなかったけれど、ボディポジティブ云々の前に、小さな子どもたちを抱える身「元気でいなくては…!」と思う場面が多く、人生初めてスポーツジムに通い出した。
そして、人生初めてプロテインというものを飲み出した。

お金を払って走るなんて。公園を走れば良いではないか!そう言い続けていた私ですが…。お金を払っても、走るのはあまり好きではなくて笑、もっぱら筋トレマシーンを少々。時間が合えばヨガやストレッチのクラスに参加している。
行ったからって、何かがすぐ変わるわけれはないけれど、悪あがきバンザイ。やれるところまでやってみよう。

平日の昼間にヨガやダンスなどのクラスに顔を出すと、見事に60〜80代と見られる方々ばかりで驚いた!そして、みんな超元気!ヨガといってもちょっと強度のある、半ば筋トレみたいなクラスで、産後腹筋が失われた私が端っこでひっくり返りそうな格好になっているというのに、おじさま・おばさま、なんならおじいちゃん・おばあちゃん達が何食わぬ顔でインストラクターの指示をこなす様子にたまげた。なんなら、自己肯定感爆下がりで、ジムに行ってしょんぼり帰ってくる日もあったものだ。。。

もちろん、そこで出会う方々は毎日の時間にもきっと余裕があって、これを楽しみに通っているのだと思うけれど、でもそうやって自分の身体に向き合う時間をとっているのは尊敬するし、継続がきちんと力になって表れているのも見ていてわかるから、見習わないとなーと思う。

話が少し逸れてしまったけれど、私自身はこの身体を外科的に向上させることは今は考えられないので、日々の努力で変わる可能性がある部分は引き続き悪あがきもしたいし、美容やファッションでカバーができることがあるならば、それがたとえ「隠す」ことであっても積極的に取り入れて、なるべく心がポジティブにいられるように過ごしていきたいな、と思う今日この頃だ。




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