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ぼっち陰キャ大学生の日常 #2 悲報 財布を落とす

私はそれなりの管理能力はあると思う。

そう信じてこれまで来たが、一昨日とうとう財布を落としてしまった

用事があり最寄りの駅までコンビニのシェア自転車を使い、「電動自転車サイコー!」とうつつを抜かしつつ向かっていたところ、その間でポケットから落としてしまった模様。

財布には現金1万5千円とクレジットカード、キャッシュカード、学生証、健康保険証、マイナンバーカードといった重要なものが多数入っていた

私の記憶の限りでは小学生の頃に家のカギを落とした以来、モノを落としたりすることは無くなり、財布などはもってのほかだった

しかし、この頃シャーペンを忘れたり、折り畳み傘を置き忘れたりなど、忘れ物をすることが増え、その予兆が無くはなかった

とりあえず、落とした直後警察に届け出を出し、クレジットカードやキャッシュカード、マイナンバーカードの差し止めや、落とした可能性がありそうな場所には一通り連絡を入れ、現在は待ちの姿勢である。


今回の凄惨な事件を通して一番驚いたところは、落としたことに気づいたときに全く焦らなかった自分自身にある。

先ほどから言っている通り、大きな忘れ物はこれまでほとんど無く、届け出の出し方や落とし物をしたときにやるべきことの知識は皆無であった。

であるにも関わらず、何故焦りが1つも無かったのか?

それは幸運なことにスマホは落としていなかったからである。

実際、落としたことに気づいた直後、スマホで検索を入れ、落とし物をしたときにやるべきことを即座に実行することができた。

一通りの情報が瞬時に網羅できるスマホさえあれば、大抵の問題には対処できることが今回目に見えて分かったが、仮にスマホが無かったと思うと冷や汗が出る


しかし、そういった冷静さがあったのは事件直後の話で、時間が経過するにつれ、段々と喪失感と自分への情けなさが込みあがってくる

それなりに管理能力には自信があったため直されその感情が込みあがってきているのだろう。

普段は「神様?何それ?」という考えの私でも祈ってしまうくらいだ。

よくよく考えてみると、無宗教を語っている人も時には神頼みをするだろうし、神以外にも何らかの概念を信じて行動しているのであるならば、全人類は何らかの宗教に入っているのかもしれないと気付いた。

といったように、話に飛躍に飛躍を重ね、自分自身の気を紛らわすことで、憂鬱な気分をカバーしている。


財布を落としてから既に2日経つが未だ連絡は来ず、2日3日経っても届いていないのならば、恐らく見つかったとしても現金は入っていないだろう。

とりあえず財布とカード類が戻ってくれば良いなと思いつつも、そろそろ財布が戻ってこない覚悟もしなければならない

気分が悪くなってきたため、そろそろ終わりにしようと思う。

何はともあれ、このnoteを読んでいる方への警鐘になればなと思い、文章を綴った次第である。

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